昼からは、映画を観に行った。
1969年の略称「連続射殺魔」と言う映画である。
1968年に米軍横須賀基地から盗み出した拳銃で、東京、京都、函館、名古屋で4件の連続射殺事件を起こし、1969年に逮捕された19歳の永山則夫が、生まれてから逮捕される迄に見たであろう現場の、1969年時点の実写記録である。
映画の概略は、次のページでご覧下さい。
https://filmarks.com/movies/16711
千葉市立美術館では、今、「1968年激動の時代の芸術」と言う企画展をやっており、この映画の上映もその一環である。(映画だけなら無料)
1968年は、私が大学を卒業して会社に入った年であり、70年安保闘争と全共闘運動が盛んになった年だ。
翌年の1969年1月には、東大安田講堂占拠事件があり、10月には新宿騒乱事件があった。
確か、三億円事件もこの年12月だったと思う。
映画は、その時時の永山則夫の所在地を知らせる短いナレーション以外はモダンジャズが流れているだけで、その時その時に永山則夫が目にしたであろう風景・建物・街・乗り物・人物などが淡々と映される。
変わった映画である。
永山則夫役の人物も、よく言われる、博打狂いの
父親、ネグレクトの母親、暴力的兄などの身内の役の人や関係者役の人も、全く出て来ない。
ひたすら「光景」の連続であり、永山則夫とその事件について、当時の時代背景についてある程度知らないと眠くなるだけだろうと思った。(私も眠くなったが、劇場でなく、美術館の講堂でパイプ椅子のため、尻が痛くなるので眠気覚ましになった)
当時の私は、社会人の生活に慣れることと、初任給で結婚したため自分のことに精一杯で、この事件について深く知ることが無かった。
永山則夫が獄中で、「無知の涙」や「木橋」と言う自伝的小説を書き、その極貧状態を訴えていると聞いていたので、どのようなことだったのか知りたくて、この映画を観ようと思った。
1969年の網走市郊外は、トタン屋根に板張りの建物が多く、東京、大阪、名古屋などの下町の猥雑さは凄まじいものがあったことを改めて知らされた。
中学卒業で集団就職した子供が、僅かの期間で次々と職を離れても、なんとか次の仕事が見つかると言う高度成長期の入り口(大阪万博の直前)でもあった。
看板に、ストリップが多かったのも、懐かしい。
この映画を観て初めて知ったが、永山則夫は、一時、私の故郷・宇都宮で自動車整備の仕事に就いている。
船で密航を2回企てて失敗しているのは、吉田松陰のようだ。
映画では、出だしの蒸気機関車、ジーゼル機関車を初め、船、バス、タクシー、自転車など多様な乗り物が出て来て、永山則夫の移動の激しさを象徴していた。
観客は、200人の定員のところ、130人位だった。
以外と若い人が多かった。
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私は、柳家吉緑さん(千葉県東金市出身)を応援しています。
1969年の略称「連続射殺魔」と言う映画である。
1968年に米軍横須賀基地から盗み出した拳銃で、東京、京都、函館、名古屋で4件の連続射殺事件を起こし、1969年に逮捕された19歳の永山則夫が、生まれてから逮捕される迄に見たであろう現場の、1969年時点の実写記録である。
映画の概略は、次のページでご覧下さい。
https://filmarks.com/movies/16711
千葉市立美術館では、今、「1968年激動の時代の芸術」と言う企画展をやっており、この映画の上映もその一環である。(映画だけなら無料)
1968年は、私が大学を卒業して会社に入った年であり、70年安保闘争と全共闘運動が盛んになった年だ。
翌年の1969年1月には、東大安田講堂占拠事件があり、10月には新宿騒乱事件があった。
確か、三億円事件もこの年12月だったと思う。
映画は、その時時の永山則夫の所在地を知らせる短いナレーション以外はモダンジャズが流れているだけで、その時その時に永山則夫が目にしたであろう風景・建物・街・乗り物・人物などが淡々と映される。
変わった映画である。
永山則夫役の人物も、よく言われる、博打狂いの
父親、ネグレクトの母親、暴力的兄などの身内の役の人や関係者役の人も、全く出て来ない。
ひたすら「光景」の連続であり、永山則夫とその事件について、当時の時代背景についてある程度知らないと眠くなるだけだろうと思った。(私も眠くなったが、劇場でなく、美術館の講堂でパイプ椅子のため、尻が痛くなるので眠気覚ましになった)
当時の私は、社会人の生活に慣れることと、初任給で結婚したため自分のことに精一杯で、この事件について深く知ることが無かった。
永山則夫が獄中で、「無知の涙」や「木橋」と言う自伝的小説を書き、その極貧状態を訴えていると聞いていたので、どのようなことだったのか知りたくて、この映画を観ようと思った。
1969年の網走市郊外は、トタン屋根に板張りの建物が多く、東京、大阪、名古屋などの下町の猥雑さは凄まじいものがあったことを改めて知らされた。
中学卒業で集団就職した子供が、僅かの期間で次々と職を離れても、なんとか次の仕事が見つかると言う高度成長期の入り口(大阪万博の直前)でもあった。
看板に、ストリップが多かったのも、懐かしい。
この映画を観て初めて知ったが、永山則夫は、一時、私の故郷・宇都宮で自動車整備の仕事に就いている。
船で密航を2回企てて失敗しているのは、吉田松陰のようだ。
映画では、出だしの蒸気機関車、ジーゼル機関車を初め、船、バス、タクシー、自転車など多様な乗り物が出て来て、永山則夫の移動の激しさを象徴していた。
観客は、200人の定員のところ、130人位だった。
以外と若い人が多かった。
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私は、柳家吉緑さん(千葉県東金市出身)を応援しています。
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