昨日のバス旅行は、賑やかな昼食会の後、昼からは、鈴木貫太郎記念館を見学しました。
http://www.city.noda.chiba.jp/shisetsu/bunka/1001064.html
鈴木貫太郎は、2・26事件の時の侍従長で、叛乱軍から4発の銃撃を受けましたが、奥様の「年寄りですから、とどめは控えて下さい」と言う言葉で、指揮官の安藤輝三大尉が止めたため、命を永らえました。
(ちなみに、安藤大尉は、私の母校、宇都宮高校の旧制宇都宮中学から仙台の陸軍幼年学校に行きました)
なお、奥様は、今のお茶の水大学附属幼稚園の先生から、昭和天皇の養育係になった方です。
また、鈴木は、昭和天皇の意向で、終戦時の総理大臣になり、ポツダム宣言の受諾を決めました。
野田市教育委員会が管理する小さな記念館ですが、2・26事件の日の模様を語る奥様のビデオは、実感が溢れていました。
館のパンフレットには、終戦の詔勅にあった「為萬世開太平」の文字が使われています。
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私は、柳家吉緑さん(千葉県東金市出身)を応援しています。
柳家吉緑オフィシャルサイト
yanagiyakichiroku.wixsite.com/kichirokuofficial
http://www.city.noda.chiba.jp/shisetsu/bunka/1001064.html
鈴木貫太郎は、2・26事件の時の侍従長で、叛乱軍から4発の銃撃を受けましたが、奥様の「年寄りですから、とどめは控えて下さい」と言う言葉で、指揮官の安藤輝三大尉が止めたため、命を永らえました。
(ちなみに、安藤大尉は、私の母校、宇都宮高校の旧制宇都宮中学から仙台の陸軍幼年学校に行きました)
なお、奥様は、今のお茶の水大学附属幼稚園の先生から、昭和天皇の養育係になった方です。
また、鈴木は、昭和天皇の意向で、終戦時の総理大臣になり、ポツダム宣言の受諾を決めました。
野田市教育委員会が管理する小さな記念館ですが、2・26事件の日の模様を語る奥様のビデオは、実感が溢れていました。
館のパンフレットには、終戦の詔勅にあった「為萬世開太平」の文字が使われています。
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