ぱっぱらっ記 In Danmark

夫の転勤に伴い、家族四人=夫、私、長男3歳、長女1歳でデンマークで、2年間暮らした記録です。

お別れ

2006年08月12日 | 日々のこと
実はこの夏休み、一つのお別れがありました。


昨年の4月デンマークに来て以来、昼間は無人化する
社宅に暮らしていて、自分の友達も子どもの友達も誰もいない
生活が一年たったあと、

この4月から、昨年は奥さんの第二子出産のため、デンマークで
単身赴任していたFさんの家族(奥さん・4歳のRちゃん・8ヶ月のRちゃん)
がお隣に来デンしてきました。


私はちょっとかわってるのか、人がいなくてさみしい~~~とあんまり
思ったことがなく、正直Fさん一家が隣に引っ越してくることも
「そうか~小さいお子さんがいるのに大変やな~、でもテツジロー
 日本のお友達と遊べたら喜ぶやろうな」くらいにしか思っていませんでした。



で、4月にF夫人が来デンされ、夫人は日本でバリバリナースのお仕事をされていたこともあり、
出合ったときの第一声も
「もうほんとにデンマークにきたくなかったんです~!」だったし
テツジローもカノスケも昼間は幼稚園にいっていて、私も学校だし
そんなに仲良くならないかな~~と思っていたのです。



が、なんと夫人が来てまもなく第三子妊娠が判明し、
上の二人を帝王切開していることもあり、一ヵ月後の5月には
「7月に本帰国」が決定してしまいました。


それがきっかけななったのかどうかわかりませんが、
そのあと自分やお子さん達の体調不良があったり、精神的に不安定になることもあり、
相談に乗ったり、もちろん時には私の愚痴も聞いてもらったりしていて、
とっても仲良くなることができました。


夫人はなかなかに、辛口トークでスレスレギャグもいかしていたので
一年間眠っていた私の日本欲?もちょっと増していたりもしたのですが・・・

3週間ほど前とうとう日本に帰国されました。



最後にはテツジローに博多弁がRちゃんに大阪弁がうつるほど、
仲良くなっていて、「また誰もいない社宅に戻るだけ」と自分に言い聞かせていた
私も情の厚い九州女の涙に負けて?だらだらと涙を流してしまいました。



Fさんファミリーがいなくなってしまってからのしばらくは、
落ち込むというより、穴がポッカリ開いたようなかんじでなんだかぼ~っとしていました。
テツジローもまだ小さくてよくわかってないのか、お別れのときに泣いたりはしなかったものの、
「Rちゃんが日本かえったんやったら、テツジローも帰りたい」とか、
朝起きていきなり「なんでRちゃんともうあそべへんの?テツジローRちゃんの夢見た」とか、
最後にFファミリーにもらった物から「あ~Rちゃんの臭いがする」とか
色々言っては母をしみじみさせていました。



今は、学校が始まった事もあり、だんだん穴もふさがりつつあります。



やはり日本語で話せる気の置けない友達って大きい存在だったんだなぁと思った、
夏休みの思い出、でした。

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