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実相院を目指したのは、もう一つ目的があった。それはこの寺の
とい面の民家裏にある「千葉次郎勝胤の墓」を確認するためだ。
先ほどの経塚からの道すがら、見落としていたが墓入り口の石標
があった。その路地を奥に進んだ右側にあった。ところがここには
すでに墓はなく、長勝寺境内に移されていた。
旧墓地には勝胤の活躍を示す石碑が設置されていた。手前には、
よく訪れる方が多いと思われるようで、移転先の地図が設置されて
いた。よって、ここは元墓として旧史蹟として残されている。
下総国千葉庄(現在の千葉市)を本拠地とした武士団・千葉氏は、
鎌倉幕府の開設に重要な役割を果たし、それ以降、房総地方に勢力
を誇った。
15世紀半ば、関東で起こった享徳の乱(1455~83)により、
千葉氏一族は内部分裂し、嫡流は武蔵東南部に拠点を移す。これを
武蔵千葉氏という。その後、小田原北條氏の家臣として組み入れら
れている。
(足立区伊興3-23-24)
墓入り口石標
とい面の民家裏にある「千葉次郎勝胤の墓」を確認するためだ。
先ほどの経塚からの道すがら、見落としていたが墓入り口の石標
があった。その路地を奥に進んだ右側にあった。ところがここには
すでに墓はなく、長勝寺境内に移されていた。
旧墓地には勝胤の活躍を示す石碑が設置されていた。手前には、
よく訪れる方が多いと思われるようで、移転先の地図が設置されて
いた。よって、ここは元墓として旧史蹟として残されている。
下総国千葉庄(現在の千葉市)を本拠地とした武士団・千葉氏は、
鎌倉幕府の開設に重要な役割を果たし、それ以降、房総地方に勢力
を誇った。
15世紀半ば、関東で起こった享徳の乱(1455~83)により、
千葉氏一族は内部分裂し、嫡流は武蔵東南部に拠点を移す。これを
武蔵千葉氏という。その後、小田原北條氏の家臣として組み入れら
れている。
(足立区伊興3-23-24)
墓入り口石標