傘谷坂から再び、清水坂へ戻り、坂の途中から右に曲がる。
少しいくと妻恋神社があり、その辺りから下り坂となる。
これが「妻恋坂」(つまこいざか)だ。
新妻恋坂の裏通りに平行してあり、こちらの方が歴史は長い。
また、妻恋神社は、元々は湯島天神町から移ってきており、
祀ってあるのはお稲荷さんだ。
(湯島3丁目1番地辺り)
少しいくと妻恋神社があり、その辺りから下り坂となる。
これが「妻恋坂」(つまこいざか)だ。
新妻恋坂の裏通りに平行してあり、こちらの方が歴史は長い。
また、妻恋神社は、元々は湯島天神町から移ってきており、
祀ってあるのはお稲荷さんだ。
(湯島3丁目1番地辺り)
横見坂から、さらに本郷寄りに裏通りを進むと、
十字路からいきなり坂道となる。
これが「傘谷坂」(かさだにざか)だ。
この辺りの坂下に、傘作りの職人さんが多く住んでいたという。
金花通り沿いだ。
(湯島2丁目4番地辺り)
十字路からいきなり坂道となる。
これが「傘谷坂」(かさだにざか)だ。
この辺りの坂下に、傘作りの職人さんが多く住んでいたという。
金花通り沿いだ。
(湯島2丁目4番地辺り)
清水坂の坂下から本郷方面に進み、すぐのところを右に
曲がると坂がある。
これが「横見坂」(よこみざか)だ。
江戸の頃、蔵前橋通りは木が鬱蒼と茂った一帯で、
この谷から湯島の高台に上がるこの坂道は、西側に富士山が
眺められた絶好のポジションだった。坂を上る時、
富士を眺めるため横見しながら上るので、命名されている。
(湯島2丁目1番地辺り)
曲がると坂がある。
これが「横見坂」(よこみざか)だ。
江戸の頃、蔵前橋通りは木が鬱蒼と茂った一帯で、
この谷から湯島の高台に上がるこの坂道は、西側に富士山が
眺められた絶好のポジションだった。坂を上る時、
富士を眺めるため横見しながら上るので、命名されている。
(湯島2丁目1番地辺り)
先ほど下ってきた樹木谷坂の坂下まで戻り、ここの信号で
蔵前橋通りを横断。その真っ正面に坂道が続く。
これが「清水坂」(しみずざか)。
この坂は、以前訪れている。江戸の頃、この坂道を含め
この辺り一帯は、島田弾正の旗本屋敷がある土地だった。
明治に入り、その土地を清水精機が所有することになり、
大正の頃、天神さんとお茶の水の間の往来が不憫だったので、
清水精機が土地の一部を町に提供し、坂道を整備した。
地元に貢献した功徳を讃えられて、社名が坂名となった。
(湯島3丁目1番地辺り)
蔵前橋通りを横断。その真っ正面に坂道が続く。
これが「清水坂」(しみずざか)。
この坂は、以前訪れている。江戸の頃、この坂道を含め
この辺り一帯は、島田弾正の旗本屋敷がある土地だった。
明治に入り、その土地を清水精機が所有することになり、
大正の頃、天神さんとお茶の水の間の往来が不憫だったので、
清水精機が土地の一部を町に提供し、坂道を整備した。
地元に貢献した功徳を讃えられて、社名が坂名となった。
(湯島3丁目1番地辺り)