塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

目黒川の橋巡り ふれあいK字橋

2007-05-09 07:12:00 | 
 山手線の架橋をくぐると、直ぐのところに橋がある。
「ふれあいK字橋」である。
変な名前の橋であるが、よく見ると、橋桁の川上に支えるようにした
2本の支柱が両岸につき、この形を真上から見ると「K」の字に
見えるのでつけられたようだ。
 以前は、TVドラマでもよく登場している橋である。
(西五反田1丁目10番地辺り)

目黒川の橋巡り 山手線の架橋

2007-05-09 07:09:23 | 
 山本橋を過ぎ、川の先を眺めると線路の架橋が見えてくる。
これが「山手線の架橋」だ。
目黒川に対し斜めに架けられている。山手線の高架下を
くぐるのは、本日2回目となる。
(東五反田2丁目8番地辺り)

目黒川の橋巡り 山本橋

2007-05-09 07:05:18 | 
 イマジカの建物の角近くに、橋が架かっている。
「山本橋」(やまもとばし)である。
イマジカのモダーンな建物にとけ込むには、少し難があるが、
別名を持っている。「ルーサング 大崎シティタワー橋」だ。
別の名前は、い・ま・じ・か。
(東五反田2丁目14番地辺り)

目黒川の橋巡り イマジカ(コダックシグマ)

2007-05-09 07:00:44 | 
 御成橋から川沿いに遡上していくと、懐かしい名前が目に
飛び込んだ。
「イマジカ」(コダックシグマ、古くは東洋現像所)である。
最近は、カメラといえばデジタルに取って代わったが、
少し昔は銀鉛フィルムのカメラであった。
 そんな当時、週末に撮影したフィルム(コダクローム64)を
大猛急で現像するため、深夜にこの現像工場まで持ち込んだことが
たびたびある。
 今では銀鉛フィルムも見なくなった。
(東五反田2丁目14番地辺り)

目黒川の橋巡り 御成橋

2007-05-09 06:56:45 | 
 少し進むと赤い欄干に、コンクリートむき出しの橋が見える。
「御成橋」(おなりばし)である。
 江戸の頃、将軍が鷹狩りに向かう途中、当時のこの橋を渡る時に
「殿のおなり~」と呼ばれたので命名されたといわれる。
(東五反田2丁目15番地辺り)

目黒川の橋巡り 鈴懸歩道橋

2007-05-09 06:53:34 | 
 代替え橋から先に進むと、歩道橋が見える。
これが「鈴懸歩道橋」(すずかけほどうきょう)だ。
歩道橋でもブルーのアーチ型の味のある橋である。
(東五反田2丁目15番地辺り)

目黒川の橋巡り 小関歩道橋の代替え橋

2007-05-09 06:51:19 | 
 森永橋から少し進むと、橋の架け替え工事が行われている。
「小関歩道橋」(こせきほどうきょう)の代替え橋だ。
以前の橋の海側に架設されている。
 この代替え橋は、新しい小関歩道橋が完成すれば、
取り壊されるのだろう。
(北品川5丁目7番地辺り)

目黒川の橋巡り 森永橋

2007-05-09 06:47:15 | 
 居木橋からさらに遡上していくと、左側は大崎界隈の再開発で
立派なビル群がそびえ立っている。ゲートシティ大崎というらしい。
 少し進むと、橋が見えてくる。「森永橋」(もりながばし)だ。
1915年、森永製菓の第1工場がこの近くに建設されるのに伴い、
森永製菓が会社で、幅2.7m、長さ10.9mの木造橋を架けたのが始まり。
 1929年3月、目黒川の改修工事により、鉄筋コンクリートの橋に
改修され、現在に至っている。
(北品川5丁目8番地辺り)

目黒川の橋巡り 居木橋

2007-05-09 06:44:17 | 
 続いて、山手通りに架かる橋が見えてくる。
「居木橋」(いるきばし)である。
 山手通りは、ずいぶん昔、室町時代の頃、品川から多摩方面に
抜ける街道だった。
目黒川の河辺に1本の松に木があり、旅人はこれを
「ゆるぎの松」と呼んでいた。時代と共に呼び名が変化して
「いるぎの松」となり、そこにあった橋も「居木橋」となった
そうである。
 また、この辺り、江戸時代は農業が盛んで、沢庵和尚が
上方からカボチャの種を取り寄せ、当地の名主、松原庄左右衛門に
栽培させた。そのカボチャは、「居留木橋カボチャ」の名で
明治の頃までは、地元名産野菜のひとつとなっていたという。
(北品川4丁目10番地辺り)

目黒川の橋巡り 東海道新幹線の架橋

2007-05-09 06:39:14 | 
 三嶽橋から先に進む。再び線路橋が見えてくる。
ここは海側手前から東海道新幹線、横須賀線、山手線と
四複線になっている幅の広い架橋である。
800系の新幹線が通るところを撮りたかったが、
タイミング悪し。先を急ぐ時、振り返ると近々登場する
新しい新幹線の試運転姿が目に入った。
(北品川4丁目10番地辺り)