雨降りですが気温は高く、朝から来ていたものを一枚脱ぎました。
ポーチ作りは昨日は休み。
ミシンの針が折れてから手縫いで五つ目を作ったけれど、
その後糸通しも紛失してしまい手縫いをしようにも糸を通すのに一苦労する有様でした。
糸を通す作業が大変なので
休むことにしました。
毎日一個作ろうなんて、何のためにそんなに張り切るのか
意味がないです。
それで疲れて他のことができなくなったら本末転倒でしょ。
おとといの作品は木綿にツルツルの絹を裏地に使いました。
でもちょっと合わなかわね。
ツルツル過ぎました。
軽くてふわっと浮き出てしまう感じ。
ミシンで押さえておけばよかったか。
内側に麻の葉模様の帯地を解いたのでタッグをつけてみました。
ブランドマークです。
お裁縫はお休みでも片付けを少しと思って着物をほどきました。
この間の緑の絣の着物がまだ解き終わっていないのです。
裏の茶色の縮緬が欲しくて緑の着物を解体していたら
裾周りにも絹の真綿が入っているのを見つけました。
げ、こんなところにも防寒のための小さな心づくしが。。。。。。
日本人ってすごいですね。
こんな繊細な細やかな気配りができる民族ってなかなかないだろうね。
すぐに忖度しちゃうし、
それを心配りとして美徳として認識しています。
潜在意識の中で美徳として根付いている習慣を覆すような事には
無意識のうちに抵抗を感じてしまいます。
そこがグローバルなアイデアを理解するのに
大いに邪魔になっていることに気がつかなければなりませんね。
ちょっと着物から話題が逸れました。
それはとても残念なことですが、着物に込められた日本人の知恵はだんだんに消えていってしまうのでしょうね。
先日手に入れた茶色の襦袢は
古いものではありません。
ミシンで縫ってありました。
生地は薄手のウールで気に入ってます。
解体しようと思ったけど、ミシン縫いですし
それにずいぶん簡単な作り方がしてありました。
着物も進化しているんだね。
が、しかし、それを進化と呼んで良いのかわかりません。
デザイナーズ着物って呼べば良いのかしら?
着物はもともと幅の決まった反物をいかに無駄なく切らずに仕立て上げるか、
考えて作られていると思います。
襟とか、前身頃とか布をたたみ込んで使っています。
その厚みがしっかりとした襟となり全体の印象が決まってくるのです。
でも先日手にした現代の襦袢はあちこち布がカットしてありました。
余分な布はカットする、洋服の発想です。
それだけで形は同じに出来ていても、
全体の印象はずいぶん違うものになるはずです。
けれども、昔の着物のことを知っている人がいなくなればそんな違いを口にすることもなくなるでしょう。
ジャパニーズ着物はミシンで縫われた形だけの物になってしまうのかもしれません。
近頃着物を触る機会が増えて、
着物を通して日本の心を考えたりしています。
何しろかつて私たちは着物を着て日常を暮らしていた国民だったわけですから。
その着物には知恵と工夫が施されているに違いないでしょう。
着物を着て育った人の心に宿る精神とはいかなるものや?
と考えたりするのです。
実は身につけている衣服が自分の精神の構造に大きな影響を与えていることに
気がついていない人の方が多いですね。
着物を着ていた頃の日本人と、
今の日本人、
特に女性の精神は全く違うものだと思います。
皆さんもこれに関しては同意なさるでしょう。
スポーツはほとんどできなかったでしょうね。
着物からそんな考えが派生しました。
雨の日には他にどんなやることがあるでしょう。
今日も少し着物に付き合って、
巡る想いを楽しみましょうか。
茶色のポーチが二つできました。
一つはマチなしのちょっと長めのサイズです。
手縫いです。
ファスナーの色は焦げ茶色。
もう一つは
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ポーチ作りは昨日は休み。
ミシンの針が折れてから手縫いで五つ目を作ったけれど、
その後糸通しも紛失してしまい手縫いをしようにも糸を通すのに一苦労する有様でした。
糸を通す作業が大変なので
休むことにしました。
毎日一個作ろうなんて、何のためにそんなに張り切るのか
意味がないです。
それで疲れて他のことができなくなったら本末転倒でしょ。
おとといの作品は木綿にツルツルの絹を裏地に使いました。
でもちょっと合わなかわね。
ツルツル過ぎました。
軽くてふわっと浮き出てしまう感じ。
ミシンで押さえておけばよかったか。
内側に麻の葉模様の帯地を解いたのでタッグをつけてみました。
ブランドマークです。
お裁縫はお休みでも片付けを少しと思って着物をほどきました。
この間の緑の絣の着物がまだ解き終わっていないのです。
裏の茶色の縮緬が欲しくて緑の着物を解体していたら
裾周りにも絹の真綿が入っているのを見つけました。
げ、こんなところにも防寒のための小さな心づくしが。。。。。。
日本人ってすごいですね。
こんな繊細な細やかな気配りができる民族ってなかなかないだろうね。
すぐに忖度しちゃうし、
それを心配りとして美徳として認識しています。
潜在意識の中で美徳として根付いている習慣を覆すような事には
無意識のうちに抵抗を感じてしまいます。
そこがグローバルなアイデアを理解するのに
大いに邪魔になっていることに気がつかなければなりませんね。
ちょっと着物から話題が逸れました。
それはとても残念なことですが、着物に込められた日本人の知恵はだんだんに消えていってしまうのでしょうね。
先日手に入れた茶色の襦袢は
古いものではありません。
ミシンで縫ってありました。
生地は薄手のウールで気に入ってます。
解体しようと思ったけど、ミシン縫いですし
それにずいぶん簡単な作り方がしてありました。
着物も進化しているんだね。
が、しかし、それを進化と呼んで良いのかわかりません。
デザイナーズ着物って呼べば良いのかしら?
着物はもともと幅の決まった反物をいかに無駄なく切らずに仕立て上げるか、
考えて作られていると思います。
襟とか、前身頃とか布をたたみ込んで使っています。
その厚みがしっかりとした襟となり全体の印象が決まってくるのです。
でも先日手にした現代の襦袢はあちこち布がカットしてありました。
余分な布はカットする、洋服の発想です。
それだけで形は同じに出来ていても、
全体の印象はずいぶん違うものになるはずです。
けれども、昔の着物のことを知っている人がいなくなればそんな違いを口にすることもなくなるでしょう。
ジャパニーズ着物はミシンで縫われた形だけの物になってしまうのかもしれません。
近頃着物を触る機会が増えて、
着物を通して日本の心を考えたりしています。
何しろかつて私たちは着物を着て日常を暮らしていた国民だったわけですから。
その着物には知恵と工夫が施されているに違いないでしょう。
着物を着て育った人の心に宿る精神とはいかなるものや?
と考えたりするのです。
実は身につけている衣服が自分の精神の構造に大きな影響を与えていることに
気がついていない人の方が多いですね。
着物を着ていた頃の日本人と、
今の日本人、
特に女性の精神は全く違うものだと思います。
皆さんもこれに関しては同意なさるでしょう。
スポーツはほとんどできなかったでしょうね。
着物からそんな考えが派生しました。
雨の日には他にどんなやることがあるでしょう。
今日も少し着物に付き合って、
巡る想いを楽しみましょうか。
茶色のポーチが二つできました。
一つはマチなしのちょっと長めのサイズです。
手縫いです。
ファスナーの色は焦げ茶色。
もう一つは
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