ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

おお!字がでかい!見やすいのか見にくいのか、、むむ。

2012-06-25 18:13:23 | 日記




なんか書こうとは思っていても、いや書くほどでもないか、とかそんなちゃんとした物語にはならんとか思ってしまって、
書けないでいました、、ら、この6月まだ2回しか書いていないではありませぬか!
これはいかん、ということでなるべく書けていけたらいいなぁ。
なんでもいっか。
すんごいちょろんとしたことでも、まぁそのとき感じたことなのだから、それをそのまま書いていいわな、うむうむ。



いま受けている授業で「メンタルヘルス」という授業があるのですが、
その講義の先生は多分心理学が専門の感じの人で、
授業の内容はなんというか、説教的、日々誰しもが悩んだり、こういうときどうしたらいいんだろうってことを
こういうときはこうしたらいいですよ、こういうのはあかんですよ、というように教えを説くわけです。


その説教も嫌な感じというか押し付けがましい感じでこっちに入ってくるわけじゃなくて、
もっとすんなりとこっちに聞かしてくれて、しかも先生自身がとてもユーモアがあって
いい雰囲気の人だから生徒にも多分人気で受講する生徒は毎年大勢な訳です。
大抵人数が多ければ多いほど、うるさい授業になる確立が高いわけですが、
この授業に関しては人数が多い割に案外みんな聞いていてへぇという感じです。



そんで今期のこの授業では0歳から順に幼児期や反抗期や成人期、などなどその期間のキーワードなる課題というものを
見つめながらお話されているのですが、今日は30~65歳の人生本番、成人期のお話でした。
成人期は生殖性(世代性)対 停滞感というものを胸に秘めている、と。
生殖性(世代性)というのは次世代の確立と指導に対する興味関心といったものを指し、
そういうことに興味関心もない人はきっと停滞感を感じている人もいるだろうと。
いま大学で学んでいるあなたたちはこういうこと(次世代への関心、問題意識)を持つことは
ある意味、当然というか義務でもあり責務でもあるということを自覚してほしい、とも言っていたな。


そんなことを言っていて、ほんとそだなぁと思いまして。
そしてこの年代のキーワードはずばり”世話をする”だそうな。
それは子どもの世話だったり自分の親の世話だったり、もちろん自分自身の世話だったりするんだけど、
その世話をするというのは、ことばで言ってしまうとはいはい、お世話ねと、一言で分かったような気に
なりもするけど、実際そういうことを仕事にしている人(例えば、介護士、看護士、教師など)は
どういう人間であるべきなのか、と問題にしてみるとなかなかに難しい。


先生はこの時期に、悩むことと言ったら、ほとんど人間関係だと。
そりゃ小さい子どもにとっても人間関係というのが最もな悩みの種かもしれないが、
社会に出て仕事をしていく上での人間関係というものは友達同士の関係とはまた違った
関係だからこそ、その人間関係がつらいととてもきつい。
いくら給料が良くて、いい地位に立てたとしても、周りとの関係がぎくしゃくだったら、
それは楽しくないし精神的にも身体的にも病んでおかしくないだろう。
どんなに安いお給料でもどんなにつまらない仕事の内容でも
そこの人との関係が良いと、それなりに人生楽しく生きられるものだ、とまで先生は言っていた。


だからこそ、この年代の課題は、健康な人間関係の構築だと言う。
それを築くためには、まず自己開示できる人間であるべきであると。
自己開示できる人間というのはつまり、分かりやすい人間であるということ。
この自己開示の”開”だが、単純にこころを開くなんてことばあるけど、
もっと具体的に説明すると4つの点があげられる。

一つ目は、事実の開示。
なにごとも嘘をつかず、あったことをそのまま説明できる人。

二つ目は、行動の開示。
私は毎日朝ジョギングしてるんだ~なんてことを言うべきなんだって。
普通はそんなこと人に言わなくったっていいじゃない、と思うけど、そういうことまで
言っている人こそ信頼しやすい、わかりやすい、わけだ。

三つ目は、価値観の開示。
これは日本人が最も苦手とするところだけれど、すききらいをはっきり言う人の方が好かれやすいと。
はっきり言うにも言い方があって、枕詞をつけて話すのがいいのだとか。
たとえば、「申し訳ないですが、私はそういうことだいきらいなんですよ」とか。
「ありがとうございます、私の気持ちをよくわかってくださいますね、私はそれがだいすきなんですよ」
とかね。

枕詞:おかげさまで~、
   残念ながら~、ご承知の通り~
   おことばを返すようですが~
   ごもっともだと思いますが~


最後、四つ目は、感情の開示。
これはなかなか難しいこと。大人になればなるほどなかなか言いにくくなる人多いようだけど。
その言い方にしても、ずばっと言うわけじゃなくて、
「~のかんじがします」という言い方がいいらしい。
「私はちょっとそのことばにいらつきの感じがしてます」怒っているからって怒鳴ればいいわけじゃない。
怒っているんだと言う、それでいいじゃないか、と。


んま、そんな感じで自己開示することが、周りに自分をよくみせることができて、
それによって周りも安心できる、信頼できる、そういう人間であるべきだと。
決して、人に何考えてるのか分からないと言われてはならないぞ、と、
それはやさしく遠回しに私はあなたのことを信頼できていないと
言われているようなものなのだとか。



まぁ、これも私なりの解釈なわけで、ちょっと先生の意図とずれていたら申し訳ないのだけど。
そんなことを言っていて、なるほどなぁと思ったわけであります。
そのあと見せてくれたビデオが(毎度の授業で講義半分とビデオ半分の授業なので)核についての話だったわけです。
NHKの特集番組で内容は1960年代ころ、非核三原則が発表された時代のこと。
それが発表される前に起きていた政治や外交での裏の取引、密約などについて
当時そのことを実際に押し進めていたお偉いさん方にインタビューした内容だった。



日本やドイツ、アメリカの方まで取材に行って当時の資料や当時のお偉いさんにお話を聞いて回っていた。
まだ非核三原則を出す前、政府内でも核を保有すべきか否か、についての議論がされていた。
その議論は日本でも核を保有(つくる)ことが可能かどうかということも検討していたようで、
それはそれは事細かに、核兵器をつくるための主要な核分裂性物質でもあるプルトニウムの生産についても非常に具体的に現実的に調べている。
そしてその時代アジアで初めて中国で核実験が起きたことにより、日本も核を保有すべきだという考えが非常に強まっていったことがわかる。

それは当時の総理大臣佐藤首相にも同じことが言えて、個人的には核を持つべきだと考えていると米国の外交官とお話している。
そこで日本やその他大勢の国に持たれては困ると思った米国やロシア、イギリス、フランス、中国の5ヵ国以外が
核兵器を持つことを禁止する核拡散防止条約を出して来たわけです。



それでそこから漏れた日本とドイツが(当時この5カ国に次いで経済発展していた国)秘密に会議をして
われわれも核を保有しないかと、日本が持ちかけていたのです。
けれど当時のドイツ(西ドイツ)は東西に分裂していた状態で、ドイツ国内で
西はアメリカに東はロシアに踏み入れられていて、常に核の恐怖があることもあるしで、
自分たちだけではそのことに関して決定はできない、と。
そんなころ佐藤首相と当時のアメリカ大統領と交わした約束がアメリカが日本を守ってあげる、
ということで日本は米国の核の傘の下に入ることで安全を確保。
そこで非核三原則が出されたわけだ。


それで佐藤首相はノーベル平和賞を頂いた。
そこで日本は核廃絶が勧められることを望むことをアピールし諸外国が日本を真似することを願うと
演説で述べようとしたにも関わらず、核廃絶=邪魔をされるのを嫌がった米国はそのような発言は控えるよう日本に忠告。
演説をする数日前に台本から、諸外国が日本の真似をして核廃絶へと向かうことを願うというような文章は消されていたのだ。

そのビデオの中で日本のある元官僚さんが話していたことで衝撃だったことばがある。
「国民は何も知らない、外交などで裏での密約や会議が行われることは必然と言える。それは知らない国民の方が悪い」
「それだけ慎重にならなくてはいけないことだし、ただ単に日本が唯一の被爆国だからと、核の保有など絶対あってはいけない、
なんてことを安易に思ってもいけない。もっと具体的に考えて議論するべき必要がある」なんてことを言っていた。
逆に当時の米国やドイツの外交官は「日本にはがっかりさせられた、被爆しながらも核を保有し、簡単につくることができると言う、
それは本当に驚いた。本当は日本が核廃絶に対して先頭に立ってそれを訴えかけなければいけないのではないか」と言っていた。
当時の日本の国内では核には猛反対、デモが行われていた。



なんか長ったらしく、べらべらとビデオの内容を書いてしまったけど、自分のために書いているみたい。
言わば、復習みたいなとこかな。
言いたかったことは、この授業の先生が私たち大学生に授業の最初で、
この世界や日本のこれからについてあなたたちは色々と考えなければいけない、その責任があるし、
これから生まれてくるこどもたちにどう指導してくべきなのか、そういうことに関して、
問題を持ち興味、関心をいだかなければいけない、と言っていたのだ。


それでこのビデオを見せるところが、あぁ教授ってすごいな、ある意味、本当に教師だなぁと思ったんだ。
先生自身が核について色々語るわけじゃない。
ビデオ自体もただ単に事実をたんたんと見せてくれているのに過ぎない。
それを見て、あなたはどう感じるか、どう思うのか、というところなのだと思う。
けど、多くの生徒はいつもはプロフェッショナルの仕事などの番組や映画を見るせいもあって、寝ている人が多かった。
結局あまり自分自身の問題として入ってくるには少しばかり重い内容であることは確かだ。
けれど、やはりこの世界を生きている限りこういうことにも目を向けなければならないのだな、と改めて思わされたし、
自分の知らないことが世の中にはたくさんあるし、自分とは全く置かれている環境も考え及ぶことも全然違う人間がいるということに
ひえーと思ってしまう。
元官僚の人たちの話を聞く限り、実際に政治や外交をしている人がいるんだとしみじみ思わされて、
国民ということばがその人たちにとっていかに自分と切り離されたことばなのか感じたし、
そこで働く人たちは日本という国を確かに現実的に見ているし、知っている。
とてもよく勉強しているのだろうということも見えてくる。


んーなんだか遠いなぁと思った。
けど、うーんん、自分のことなんだよなぁ、、。
厄介であるなぁ生きているというのは楽だけでは済まされないよね。
だっていまの私の暮らしもこのアパートと契約してお金を払って部屋を自分のものにしたようにして、
電気もガスも水道もどういう仕組みか、その専門の人にお金を支払って、何も知らずにそれをお金と交換で使っていると、、。
もう既にいろいろとつながってしまっていて、さっぱりきれい自分ひとりで暮らしている、なんてことはありえない。
私はもう生まれた時から社会という仕組みの中で生きているし、人間関係のつながりで私は私をやっている。
うーむむむ、、むむむむむ。


長いこと書いてしまった。
今日はこの辺で。








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