数日前、突如東京から高校時代の友達が遊びにやってきた。
彼女はグランドスタッフといういわゆる空港の受付のお姉さんになるのが夢で
現在そういうキャビンアテンダントや彼女のようなグランドスタッフを育成する学校へ通っており
第一志望は成田空港で働くのがいいのだが、福岡に私がいるものだから
福岡空港も受けてみようかな、というのでこちらにやってきたのだ。
私と一緒に過ごした時間は計算すると一日もない15時間ほどだったのだがずっとしゃべり通しだった。
彼女とは高校3年のとき確かに毎日ほとんどいっしょにいた仲間内のひとりだし
お互いよい関係を育んではいたものの、私がいる福岡にまでひとりでやってくるほどだとは思わなかった。
その子はあるMちゃんという子と一番仲が良くお互いが親友だと思っているような関係でいた。
私はその親友同士の二人の中に私も加わり、高校3年のときは3人で毎日一緒に過ごしていた。
その3人でいるのが一番心地よかったこともあり、
正直高校が終わったとき1対1では会わないだろうなぁと思えるような子だったのだが。
その子から言わしたら、私が1対1で会いたいと思えるのはそのMちゃんと私の2人だけだという。
高校を出てから他の友達も一緒に何度か会いはしたものの、その子と会うのは2年ぶりで
しかも1対1で会うのは高校以来ぶりというか、ほとんど初めてに近かった。
それゆえに私は多少なりとも緊張していたのだ、ちゃんと話せるのかな、気まずい空気にはならないだろうか、、などと思ったりもした。
そして彼女が来た。
バスから降りてきた彼女と久しぶりに再会してお互い「久しぶり~元気だったか?」
「福岡へようこそ~」なんて笑顔で話しだしたときから、その子が帰るときまで終始楽しかった。
会話がつきることもなく、一緒に同じ空間にいても何も気を使うこともなく、むしろ居心地がよく、
あれ?なんだかとってもいい感じだ、この子とこんな感じだとは!というほど気持ちよかった。
彼女との会話はもちろん高校の頃の昔話をはじめにしろ、いまの悩みや考えていることを話もしたが、
一番驚いたのは、彼女の留学先での経験談だった。
彼女はちょうど1年?ほど前までオーストラリアに7ヶ月留学していた。
ホームステイをしながら、学校にも通う生活であちらでたくさんの外国人の友達ができたという。
彼女曰く、今思い返せば楽しかったな、もう一回どこか外国行きたいなぁと思えるけど、
当時はつらいことばかりだったという。
オーストラリアは反日国家でホームステイ先のおじさんのお父さんも日本人に殺されたと言う。
その話を彼女は何度もくり返し聞かされていたらしい。
それから、朝散歩していたら卵をぶつけられたりもした。
それからあるどこの国の人だったか忘れてしまったが、ある人がその彼女の写真をFaceBookにあげたら
そのある人の友達がその写真に「真珠湾攻撃を思い出せ」とコメントを書かれたりもしたし、
学校のグループワークのときも韓国人の子が「日本人とは一緒に組みたくない」と言われもしたらしい。
私はその子がそんなに気が強い方でもなくて、争いをさけたいし人ときゃっきゃつるむことができない正直な子だというのを
分かっているから、その子が向こうでそんな経験をして私にそう話すときは普通に話してくれてはいるものの、
実際そのときはどんなにつらい気持ちで過ごしていたのか、想像もできなくて、それを経験してきた上に
カナダは親日国家だからそんなところに行っても面白くないから、次はイギリスに行きたいんだよねと話す彼女は
もう高校時代の私が知っている彼女ではないことにひどく驚かされたのだ。
そして、彼女はその経験をこのように話してもくれた。
私は向こうに行って一番中国人の子と仲良くなれて、行く前はなんとなく中国人よりも韓国人の方が好印象だったけど
行ってからむしろ中国人の方がいい印象を持てて、韓国人に対しては悪い印象を持った。
それは韓国人の人は本当にずばっと思ったことをすぐ口にして、それは中国人も同じなんだけど
韓国人の方がもっときつく、時には何か嫌なことがあってからは私を完全に無視する、
本当に嫌いな存在は視界にもいれない、排除するやり方がとても厳しかった。
けど、その中国人の人からも教科書に書かれた日本人が南京で起こした大量虐殺に話も聞いたらしいけれど、
日本人は何にも知らなすぎる、無頓着すぎると言われてその通りだと思った、と言う。
韓国人にしても日本人とは違って、嫌う理由をそれぞれが持っている。
自分は韓国人なんだと自国の国旗を胸に掲げて生きている、
それに比べて私のように日本人だけど自分は日本人を代表してオーストラリアに来たというような意識は
最初全くなかったが、周りから自分は日本人なんだと意識せざるを得ない環境に置かれて、
初めて自分は日本人なんだと自覚できたし、それでいて、私は日本人でよかったとも同時に思えたらしい。
私はなんでそれほどに日本人だからと言ってとても嫌な思いを経験しただろうにそれでも日本人でよかったと思えたの?と聞くと、
確かに日本人の子でも留学して日本に帰る頃には反日派になって帰国する日本人は多いらしい、
だけど私はその逆でもっと好きになった。
もちろん日本の嫌なところやだめなところがよく見えるようにもなったのだけど、
日本人として誇らしいのは、ご飯がおいしいし、日本の文化がすばらしいし、
何より日本人ほど礼儀正しい人はいない、それを実感できて、日本人はすごいと思えたらしい。
電車でもちゃんと順番に並んで降りてくる人を先に優先し待つことができたり、
落ちたお財布を交番に届けたり、とそれは当たり前だと思っていたけど、そうじゃない国もあるもので
それがあたり前にできる国なんだと思えた時は嬉しく思った。
それに比べると、中国人や韓国人の礼儀のなさはこっちがちょっといらついてしまうほどなっていないらしい。
けどそれもそういう文化らしいのだが、友達には家族同様に「ありがとう」や「ごめんね」も言わないで接するのが普通らしい。
お金を貸しても時間に遅刻して遅れてきたときも感謝も謝罪も一切言わない。
それにむっと感じもしたけど、そういうもので生きているんだから仕方ないかと最後には思えた。
それに周りの外国人には「日本人はありがとうとごめんねを言い過ぎる」とも言われ、
自分はそれが正しいことだと思っていたし、あたり前のことだと思っていたけど、
そうは思えない人がこの世界にはいっぱいいるということに気づけたことは大きい。
オーストラリアは移民の国でたくさんの人種の人が暮らしているからこそ見えてくるものがあるし、
だからこそみんな自分の胸に国旗を抱いているけれど、日本は海に囲まれた島国で侵略されたこともなく、
国の中には日本人しかいない、だからこそ自分を日本人だと自意識することがないから
韓国のことにしても中国のことにしても、関心がなさ過ぎる。
韓国や中国が何か言ってくるから、それに対してだけ何か思うだけで、
韓国人や中国人のように明確な理由を持ち合わせていない。
そういうところがいけないと思う。
お互いがもっと歩み寄れるようにはならないのだろうか、、、ということだった。
あの子が、あの子とこんなことを話すときがくるとは、、と。
私の場合、なんとなくそういうことをふんわりと感じていただけでそれを実際に
ちゃんと問題としては感じてはいなかったのだが、それを彼女は体験してきた中で
感じてきた思いなわけだから、それは単純にいいな、うらやましいなと思えたのだ。
そのことを彼女に言うと、こんな話をここまで真剣に聞いてくれる人はいなかったよ、
私に留学したらいいのに、、と言っていた。
いやぁとにかくたのしかったな。刺戟的だった。
また1対1で会いたいな、話したいなと思える友達が増えた気がして嬉しい。
そんな充実した15時間だったのでした。
ともあれ語れる人が居るということそのものが、生きることのひとつの大きな醍醐味ですね。
はい、ほんとに共は人生の宝というようなことばがあるような気がしますが、ほんとにそうだなぁとしみじみ感じています。
ところで、私のこのブログの文章って読みやすいですか?読みにくいですか?
それがいいのかな。
高校時代のお友達は、特別だね。同じ土地、時間、時代、思春期だからね。もっといい刺激を受けるべし!