音楽のすごいところは、その音楽で気持ちを変えてしまうくらいの力があるところだよね。
たとえば、この私しかいない部屋でひとり聞いてる音楽が私の気持ちを勝手に操作している感じに思うときがある。
なんか知らないうちに穏やかな気持ちだったり、踊りたい衝動に駆られたり、すごく切ない気持ちになったりもする。
そのいま見えてる風景がまるで映画のワンシーンのように自分を主人公として見たりする。
それくらい自分の気持ちなんていうのはいい加減ちゃいい加減なんだと思う。
自分では自分の気持ちってのは自分から湧き出るもの、自分自身から生まれてくるものなように思うけど、実は、そうでもないということに気づく。
音楽のとこだけで言うわけじゃないけど。
なんていうか、これがすきだきらいだ、かっこいいかっこわるい、やらやら、というのも自分から生まれたものなんて言えない。
周りの人やこの社会に左右されて出てきた価値観からだと思う。
だから何というわけではないけれど、自分というのもそれくらい自分と思ってる自分で思う自分というのは、とても曖昧だし、私でさえも私というのを計り知れないでいる。
確かな私とか本当の私というのは、ひとつじゃない。
いっぱいあるんだなと思う。
ということを、感じるのはそうあることでもないと思う。
自分の感情のコントロールをもっと上手にできたら、とか、大人になったらそういうことはできてこそ立派なんていうのは、どうだろう。
いや、ある程度そういうのはなくちゃ困るわけだけど。
なんだろうな、難しいよなぁ。
自分のよくわからない気持ちと向き合っていかなくちゃならないのだものね。
そのよくわからないたくさんの気持ちはどれも本当の気持ちだと思う。
だからこそ厄介でもあるのか。
こういうことを考えるときってあるよね。
自分の気持ちもまた自分で言葉でいつも決めている気がする。その都度。
決めないとやれないってのもある。
よくわからん話になっちゃったなぁ。