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雑感録

福岡なるほどフシギ発見~番外編~ 日本最古の戸籍木簡

 
太宰府の国分松本遺跡で発見された日本最古の戸籍木簡
先日の現地説明会は行けなかったんだけど(どの道、大雨で中止になったそうな)、太宰府市文化ふれあい館での速報展示が明日までだったので、現物だけでも見とこうと思って行ってきた。

今回の発掘では7世紀後半~8世紀の瓦や土器などとともに木簡10点が見つかっていて、件の「戸籍」はそのうちの一つ。
読みづらい字が大半だったけど、そこに文字が書かれていることはハッキリ分かるもので、地中からこれだけ良好な状態の木簡が出土するのは奇跡に近いらしい。
元川底の粘土質の中に埋まっていたそうで、空気に晒されなかったので腐食せずに残ったんだろう。

赤外線写真で判別された木簡の内容は、「嶋評」の16人分の個人情報。
「嶋」っていうのは後の「志摩」(糸島西部)で、「評」は701年の大宝律令以降は「郡」と呼ばれる行政区画。
つまり、大宝律令以前の戸籍と考えられるそうで、「嶋」にある「川ア里(川辺里)」という里の名前も記されている。
これまで「最古」とされていた戸籍は正倉院にある702年ごろ(大宝律令以降)のもので、この中にも「筑前国嶋川辺里」という地名が書いてあり、地方の情報がちゃんと中央に伝わってる証拠にもなる訳だ。
ちなみに、筑紫国が筑前国と筑後国に分かれたのも7世紀後半の話。
正倉院の戸籍には●●●という嶋郡の有力者の名前が記されているそうだが、今回の木簡にはその人物につながりそうな名前はなかったらしい。
※有力者の氏名は個人情報保護法のため伏せ字にさせていただきました。いや、書いてあったけど単に忘れただけです。


糸島の志摩中央公園にある「川邊の里」の碑。

とにかく、国分尼寺や国分寺に近いこの場所でこういう木簡が見つかったということは、筑前国府(筑前国の役所)の前身か筑紫大宰(大宰府政庁の前身)の関連施設がここにあったのではないかと考えられるそうです。

いっしょに見物していた地元のおばちゃんが発掘現場の場所を教えてくれたので、とりあえず行ってみた(上の写真)。
マンション建設予定地だそうで、太宰府市の条例では指定されたエリアで建物の建て替えなんかをする際には必ず発掘調査をしなくちゃいけなくて、今回はマンション建設のおかげでこれらの資料が見つかったんだけど、調査が終わればこの上にマンションが建っちゃうわけです。
また、木簡は保存処理や研究のため、速報展示が終われば当分の間は見ることはできないでしょう。

この後、ついでに一昨年小郡に移転した九州歴史資料館に行ってみたんだけど、このあたりの国道3号は高架が多くて、さんざん迷う羽目になってしまいました。
あ~、疲れた。

追記
有力者の名前、メモしてました。肥君猪手(ひのきみのいて)さんです。人物辞典に載るような有名な方のようです。
ちなみに今回の木簡にあった名前は建部さん、占部さん、穴口部さん、白髭部さんなど。部民制ってやつですかね?



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