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雑感録

When I’m Sixty-Four PART2 初吉野ヶ里【なるほど】

5月3日のGW後半初日は障害者席が取れればMHSでベススタに行こうと思ってたけど、取れなかったので、已む無く吉野ヶ里歴史公園へ。
吉野ヶ里はむかしモノ・コトマガジン「MADE IN…」を作ってた頃は大川の木のおもちゃ工房の取材で前を何度も通ってたけど、中に入るのは初めて。
せっかく佐賀まで行くんだったら、今は亡き長崎の「一休軒」のおばちゃんが修行したと言ってた佐賀の「一休軒」のラーメンを食ってみたいと思ってたけど、都市高速に乗って板付JCTに来たところで大渋滞。
このままじゃ九州道も渋滞だろうと思って一旦水城出口で都市高を降りて、鳥栖ICから長崎自動車道に乗り直して行ってきた。

吉野ヶ里歴史公園は障害者入園&駐車場無料なんだけど、この日はだれでも入園&駐車場無料。
先日、NHKスペシャルの歴史ミステリーで線刻付き石棺の石蓋が発見されたというのを見てたので、さっそくボライティアの案内じいさんに尋ねてみると、「“最後の”公開展示イベント」を開催場所を教えてくれた。

入口で車椅子を借りたけど、電動があったことを思い出して借り直し。息子がほとんど押してくれたけど、押す側からも電動操作ができるスグレモノ(当たり前?)。
以前来たことのある配偶者と息子によると、むかしよりずいぶんきれいに整備されてるそう。

見て回ったのは①南内郭(大人〔ダイジン〕やその妻の住居)→②北内郭(王の住居および神殿)→③甕棺墓列→④北墳丘墓(大きな墳丘墓の中に、発掘現場を展示)→⑤石棺墓「最後の」特別公開(発掘現場)。
①南内郭の復元住居には、屋根に神社の千木みたいな舟型が載っていた。

②北内郭の神殿は、出雲大社には及ばないけど3階建ての大きな神殿。
(トップの写真)
③甕棺墓列は福岡の遺跡でも見慣れた光景。
④北墳丘墓は発掘現場の上に覆屋を設けて墳丘墓を模した造り。中の発掘現場を見学可能。

⑤石棺墓「最後の」特別公開会場は大木の切り株がいくつもある高台で、電動とはいえ車椅子を押す息子がひどく難儀していた。
石棺墓の発掘現場では埋蔵文化財課の職員と思われる人が説明してくれて、質問タイムに前から疑問だった「吉野ヶ里は魏志倭人伝のどのクニに当たると考えられてるのか?」と訊いてみ。すると「それは邪馬台国です、といいたいところですが…」とお茶を濁されて、結局推測でもどことは言えないとの答え。

帰りはほどんど自分の車椅子運転で帰ってきた。
とにかく暑い日でほとんど直射日光に当たりっぱなし。ファブリ病で汗をかかない僕は肌が真っ赤になって、キッチンカーのかき氷(ドラキュラ=ブドウシロップらしい)が旨かった。


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