青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

懐色リバイバル

2012年10月28日 20時53分06秒 | 富士急行

 

(富士山麓鉄道モ1型@河口湖駅前)

 

わしか?
わしは、モ1って言うもんじゃよ。
1929年生まれじゃから、もう80過ぎのジジイじゃよ。
遊園地なんかで有名になっとる富士急行が、ここまで開通した時の創業メンバーじゃて。
今は、こうしてきれいにしてもろうて、駅前から後輩どもの仕事ぶりを見ている毎日じゃ。
最初の頃は、わしらみたいな生え抜きの連中が、それこそ富士山に向かう長い坂を毎日登っては降りておったんじゃが…
最近は、後輩もよそから来たモンばっかでのう。
ちと寂しいが、まあみんなようけ働いちょるよ。
おおそうだ若けぇしの、今日は後輩のお色直しが終わったらしく、お披露目式があるそうじゃ。
こんなさぶい朝っぱらから騒がしいのはそのせいなんじゃろうが、みんなようけ知っておるのう!
なんのなんの、ジジイは早起きじゃから気にする事はないぞ。
遠慮せずに、かえーしい(かわいい)後輩の門出を祝ってやってけれ!

 


と言う訳で朝5時に起きて河口湖くんだりまで行って参りましたよ「富士急行1000系『京王電鉄5000系カラー』出発式&撮影会」。まあ鉄道の事に興味ない人にとっちゃ何のことやら?って感じなんでしょうが、ようは最近流行りのリバイバルモノ。鉄道会社にとって高収益性を誇る昭和生まれのおっさんヲタをアリ地獄に落とし込む驚異のオッサンホイホイなのであります!(ここんとこちょっと怒り新党のナイツ塙風に)。


月江寺の駅近くの市営駐車場に車を置いて、7時半の電車で河口湖の駅へ移動。朝8時前には現着してたんだけどボヤっとしてたら来るわ来るわ。最終的にはどんだけ集まったんだろうねえ。500人くらい来てたんじゃないの?と。関東の大手私鉄だったら比べ物になんないくらいの人が来るんだろうけどさ、富士急行ですし朝8時に河口湖ですしそんなに…とタカをくくってた私が悪うございました。すいません(笑)。

富士急行に移籍した京王5000系は、それぞれの用途とさまざまな塗装に塗り分けられて活躍をしとりますけれど、今回新たに「京王リバイバル色」として1001+1002の2連が塗装され総勢5色のバリエーションに。その5色を河口湖の電留線に一気にどどんと並べてしまいましょう!と言うスペシャルなイベントなのですが、周りの話を聞くと真打ちの京王色は河口湖まで回送されて来るらしいので駅のハイランド側で待ち構えるヲタ多数。

 

AM8:10、真打ちキター!

小学校2年生、みんなで行った多摩動物園!
小学校5年生、みんなで登った高尾山!
中学校3年生、こっそり行った府中競馬!(←)


小田急線ほどではないけれど、自分の生活にサブメインとして存在した京王線。特に相模原線使いだった私には、快速東大島行=都営車か京王6000系、各停調布行き=5000系と言う印象がとっても強い。末期は春秋の競馬急行や、それこそ競馬場線動物園線高尾線の末端運用でお世話になった5000系。車内の「K.T.R」の京王帝都マークが入ったスピーカーと、天井にはゴウゴウと回る丸い送風口とか何もかもが懐かしく思い出されます。


構内での入れ替えも済み、どどんと並べて撮影会。
左から富士登山電車、京王リバイバルカラー、旧富士急行カラー、サイドに富士山をあしらった青カラー、そして紅白のマッターホルンカラー。同一車種をいっぺんに買い取ったからこそ出来るこのバリエーション、商売の方式としては秩父鉄道の1000系国電リバイバルシリーズと同じだよな(笑)。場内は雨で足元も悪く、そんな中をカメラ持ったヲタが右往左往するので落ち着かないことこの上ないのだが、まあイベントってのはこう言うもんなんでしょう。それでもカオスの中に一定の秩序はあって、最前列まで行ったらだいたいの人はパパっと撮ってすぐ下がってくれたので罵声や怒号はありませんでしたけど…
あと、予定では8:30~9:00の段取りだったんだけど車輛の運用の都合で8:25~8:45くらいで終わりになっちゃったんで、後から来た人はかわいそうだったですかねえ。

 


近影で今一度。
京王線自体が軌間1372mmと言う馬車軌道のそれなんで、狭軌1076mmの富士急行だと少々台車周りに尻すぼみ感があるのは否めません。ハキモノも東急のTRの台車じゃなくて営団のFS316に変わっちゃってるしね。あと、大きな排障機(スカート)が多少目に付いたりはしますけど、これは遮断機のない踏切とカーブが連続する富士急ではしょうがないもの。全てひっくるめて初代は来年で落成から50年を迎える京王5000系でこんだけのヲタ客が呼べるのだから、やっぱりこの車両は高度経済成長の時代を生き抜いた関東私鉄屈指の名車と言う評価は疑いのないところなんでしょうね。

  


もう一度そのご尊顔を。
運転台の上に注目すると、「5863」と言うナンバーはこの車両の京王時代の車番。数字は京王フォントと言うべき独特の角ばったレタリングがバッチリとか涙モノの仕上げですな。運転台下のサボ差しも今回の京王色リバイバルに伴って作り直したり、あまつさえパンタグラフまで当時のものと同じものに戻してしまったそうで…しかしよく在庫が残ってたな!若葉台の倉庫の中から出て来たのだろうか。京王5000の屋根上クーラーは分散型と集中型がありますが、このモデルは集中型がドカンと乗ったタイプですね。


追っ掛けで入線して来た高尾からの直通山スカ115とのコラボで。
場内アナウンスでは「京王5000系の永遠のライバルが現役当時では絶対に叶わなかった奇跡の並び」とか言われてたけどそれは煽り過ぎのようなw京王5000のライバルってったら国鉄101か103か201だと思うのでね。そう言う意味では河口湖まで201が来てる時代にこの企画をやれば良かったのかもしれないけどそれは後の祭りでございます。塗り直された京王5000に比べトタの115の外装のヤレっぷりが結構激しくてかわいそうだったかな…。


いずれにしてもスタッフにワールド工芸とかKATOの人がいたんじゃないかと思わずにはいられない基本に忠実なリバイバル。きれいに塗られた下回りとその仕上げは、露出ガタ落ちのこんな日には大助かりのツヤッツヤ。見るものを唸らせる出来栄えだと思いますですよ(笑)。出来栄えがいいとこんなことして遊んでみたくもなるのも人情と言うものです。

次回以降に続く。

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