青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

野岩国境を往く

2017年12月10日 10時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(銘鈑は黙して語る@中三依温泉駅)

駅の築堤の下にあったボックスカルバート。「1971-8」のプレートがついていますので、これはこの構造物が1971年(昭和46年)の8月に設置された証なのですが、野岩鉄道自体は1986年(昭和61年)の開業ですからだいぶ開きがありますよね。現在の野岩鉄道は、当初の計画では「国鉄野岩線」として会津線の会津滝ノ原(現在の会津高原尾瀬口)~新藤原間に昭和41年から鉄建公団によって建設を進められた路線でした。鉄建公団とは、赤字で首が回らなくなった国鉄の代わりに鉄道の新線建設を担った特殊法人ですが、その中には現在の石勝線や智頭急行など地方の基幹路線として重要な役割を担う路線を建設した一方、「こんなところに必要ねーんじゃねーの?」的なド田舎に「地方社会のインフラ整備」という錦の御旗を立てて、PC高架橋と長大トンネルで高規格なローカル線の建設を押し進めました。

  

鉄建公団の建設した路線はその収益で債務を償還するスキームになっていましたが、「こんなところに(略)」作られた路線から収益が上がる訳もありませんで、さらに国鉄関連の債務を膨らました結果、とうとう昭和55年の国鉄再建法施行により新線の建設は凍結されてしまいます。野岩線計画もこの法律に巻き込まれ、作りかけの状態で約3年の間工事が中断。その後の建設と運営を福島県・栃木県を中心に設立された野岩鉄道が引き受ける事でようやっと開業にこぎつける事が出来た訳ですが、乗り込んだ会津田島行きの車窓から見る風景は人間より圧倒的にサルやシカのほうが多そうな帝釈山脈の深い山の中。こりゃ収益を考えたら建設は出来ないなあと思わざるを得ません(笑)。線路の規格はホントいいんですけどね。

  

野岩鉄道栃木県内最後の駅、男鹿(おじか)高原駅。野岩国境に横たわる山王峠のどん詰まり。関東最強の秘境駅との呼び声も高く、駅の周囲には一軒の人家もないそうです。公式HPにすら「駅付近には、広場(緊急用ヘリポート)以外特に何もありません。」と断言されているのが笑えます。それでも浅草からの直通列車が現在も停車していますから、「浅草から一本で行ける秘境(駅)」としてマニアに静かな人気があります。こんな人跡未踏の峠道に開業したからには、駅の開業に何らかの意図があったはずなのですが、現状は野岩鉄道の変電所と駅の北側にある山王トンネル(3,441m)の保守作業用の基地としての意味合いが大半のようです。


中三依温泉から乗車した我々親子の他は、会津田島行の6050系2連に乗客は僅か1人のみ。12月の閑散期とは言え観光需要もそれほどまでにないのかなあ、と言った雰囲気ですが、列車はそんなことお構いなしに高規格の線路を突っ走り、下野と岩代の国を隔てる県境の山王トンネルを抜けて福島県へ入ります。福島県に入って最初の駅である会津高原尾瀬口が野岩鉄道の終点で、ここから先は会津鉄道になりますが、列車は会津鉄道に乗り入れて会津田島まで行きます。会津田島までは電化されていますから、実質東武と野岩鉄道の管轄のようなものでしょう。

  

会津高原尾瀬口からは線路の規格は大幅に下がり、いかにもローカル線っぽい短尺レールの継ぎ目を激しく叩くジョイント音を聞きながら会津田島へ。南会津町の中心地である会津田島は阿賀川の上流部に開けた小盆地で、文字通り南会津郡の物資の集散地として古くから栄えて来ました。ここで会津鉄道のDCにお乗り換えになりますが、乗り換え時間が30分くらいあるので駅前のコンビニで色々と補給。駅はなかなか立派で、物産館や観光案内所を兼ねています。


16時半過ぎの会津田島発の改札を済ませ、構内踏切から見る初冬の南会津の山々。頂上は若干の雪化粧。白河や須賀川の中通り地方と会津地方を隔てる山々に夕日が当たりとてもきれいだ。今日泊まる宿におおまかな到着時刻を告げ、1両のディーゼルカーに乗り込みます。横浜から乗った電車は東海道の15両でしたから、今日一日でどんどこ減車されて最後は15分の1になったねえ。福島に入ったとたんに目立つ会津っぽの爺様たちの会津弁賑やかに、会津田島を出発するのでありました。
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