(一枚の切符から@流鉄馬橋駅)
アタクシの汚い手をでっかくアップにしてごめんなさい。PASMOやSuica全盛のこの時代、久しくキップと言うものを買う事もなくなった訳でありますから、こんなペラペラの紙の切符一枚でも何だかものすごく新鮮な気分になります。そういえば、昔の私鉄電車のキップって券面の全面に亘って小さな文字で「てつどうてつどうてつどうてつどう…」って数限りない文字が書いてあったのを手に取ってから思い出しました(笑)。あと、券面の発行番号を加減乗除していかにして10にするかとかよくやってたなあw
三連休の最終日、事前の予想よりはだいぶ天気が持ち直して来たものだから、息子を連れてちょっと乗り鉄。とりあえず横浜出て、京急に乗って、品川からどうしようっかなと思いつつそのまま浅草線内を乗り越し、ふらりふらりと乗り換えて京成高砂駅。京成金町線のホームが2階に上げられて本線から切り離されてしまったのに驚き。前は上野発の4両編成の普通電車がそのまま金町線に乗り入れて京成金町まで行くのも結構多かったと思うんだけど…真ん中に柴又駅を挟んで駅三つ。京成でも一番レトロな車両が回され、下町をのんびり走る金町線の雰囲気ってのは嫌いじゃない。この日は封じ込めの3500系4連が機織り運用、ゆらり揺られて京成金町駅→JR金町駅へ。
思えば常磐線の駅なんて来たのはかなり久しぶりの話、しばし金町駅に滞在して常磐線の列車を眺める。以前じーちゃんばーちゃんの家が千葉県にあった時には毎月のように乗っていたものだが、自分が免許を取ってからは千葉へ行くのもクルマになり、そしてじーちゃんばーちゃんそのものが千葉からいなくなってしまった。当時は中電の415系が白に青帯へ順次塗り替えられて、デカ目403系はそろそろ引退…とかそんな時期でしたか(つくば博が終わったくらいの時期ね)。エメラルドグリーンの103系がブンブン!地下鉄から追い出された1000番台も快速線に転用されてブンブン!とやたら103系がフルターボで駆け回っていた常磐快速線。特にこの金町と北小金の辺りは線形も良くて、かっ飛ばしぶりは凄まじかったですねえ…。つくばエクスプレスが開通して千葉県北部~茨城県南部の常磐線乗客もかなり少なくなったと思うのだが、それでも国電時代から続く迫力の10+5の快速15連運行は健在。息子は初めて見るスーパーひたちに「かっこええええええ!!」と大興奮ですが、おとーちゃんは水カツのボンネット485系にヘッドマークは水色地に梅散らしのL特急ひたちが懐かしいw
下りの快速電車が通過したのち、間髪入れず下りの接近を示す線路際の表示灯がチカチカと点滅したらしく、「あ、また来るよ!」と息子が。教えてくれるまで気が付かなかったが、最近息子は表示灯の点滅で列車の接近を感知すると言う技術を学んだらしい(笑)。こんな間隔で続行の列車ってことは貨物かなんかか?と思いきややって来たのは勝田所属のEast-iD。親子ともども初めて見たよ!
ひとしきり金町で行きかう常磐線の列車を眺めたのち、営団6000系にて馬橋駅へ移動。馬橋駅と言えば、私が子供の頃には南側に貨物の大きなヤードがあって、ワキ5000とかのパレット積みの貨車がたっくさん留置されていたんですよね。んで、その頃から駅の横には「鉄道用品株式会社」って会社があって、子供心に「何を扱ってる会社なんだろ?」と気になってしょうがなかったのだが、その謎は解明されず現在に至る。つか、この会社の横の側線に置かれているワム80000って記憶に間違いなければ自分が小学校くらいの頃からずーっとそのままになっているような気が…馬橋の主だな。
息子と楽しく電車に乗って、とりあえず夕飯までに元気に家に帰れれば良いと言う、最近の親子の日帰り流浪の旅は特に予定のないノープラン。さりとてどこかで家に向かって折り返さなきゃなりません。ここ馬橋から流山電鉄に乗って流山まで乗って、そこを本日の折り返し地点とすることにしましょうか。常磐線の改札を出て跨線橋を降りると、首都圏の駅にしては極めて鄙びた雰囲気の閑散とした改札口。ちょっとヨレヨレの色褪せた制服を着た駅員さんが、電車に乗って来た子供と親しげに会話するようなほのぼのとしたムード…
一日乗車券もあったけど、ちょっと途中下車している余裕はなさげなんで流山まで200円の切符を購入。
ってか、確かに6kmないくらいの路線だけど、初乗り120円って安いよねえ?
規模的にもうちょっと高くしないと採算取りにくいんじゃないかと思うんだけど…
次回にちょこっとだけ続く。
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