青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

受け継がれゆく名調子。

2023年10月07日 10時00分00秒 | 一畑電車

(三叉の別れ@川跡駅)

北松江線と大社線の分岐駅である川跡の駅。駅自体の周辺には特に商圏がある訳でもなく、出雲市街の街外れ、という感じの場所にある。乗車・降車の需要よりも、あくまで乗り換えのためにある雰囲気が、なんとなく富山地鉄の寺田の駅っぽい。一畑電車の前身である一畑軽便鉄道は、当初は出雲今市(出雲市)から出雲大社を目指しての路線の建設を目論みたのですが、省線(鐵道省線)が大社までの路線開設に権利を主張したため、一畑軽便鉄道はひとまず一畑方面へ路線を延ばすことになります。1912年の省線大社線の開通から遅れること18年、1930年(昭和5年)に改めて一畑軽便鉄道は大社への路線を建設。分岐駅としてこの川跡駅が設置されたようなのですが、昭和初期の時刻表なんかを見ると、かつてこの辺りに「鳶ヶ巣」という名前の駅があったみたいで、そこらへん現在の川跡駅とどう違うのだろうか。

2面4線のホームを持つ川跡の駅。大社線が到着し、その間に松江行き・出雲市行きが到着して双方の乗客が乗り換え。松江行きが発車し、出雲市行きが発車し、そして大社行きが発車していくのが川跡駅のルーティーン。大社へ向かう客、帰る客を待たせずに捌くスジ引きは一畑電車の伝統で、もう何十年もこのパターンが繰り返されているのではなかろうか。ということで、川跡駅に電車が到着すると、ひとまず乗客たちはこの構内踏切を渡って、自分が行きたい方向の電車に乗り換える民族大移動が始まる。その水先案内人を務める駅員さん。マイクを持って構内踏切に立ち、独特の名調子でアナウンスを繰り返すのであった。

ああそれにしても、この川跡の駅員さんの喋り口調のアナウンス。お国訛りが入っているのか、緩やかな中にも独特のリズム感があって非常に聞き入りやすい。なんとも長閑な地方私鉄の雰囲気と相まって、いつまでも聞いていられるような名人芸である。駅の放送なんて、都会の駅ではほとんどが自動放送が取って代わっているけれど、こういうのは絶対なくしちゃダメだよなあ。地方私鉄の文化財だなあ。なんて思いながら、乗る電車を一本遅らせてまでもこの名調子を心行くまで味わった。こういう「音」から味わう地方私鉄の魅力。また一つアプローチの手段を手に入れたようで、にんまりとしてしまう。

いつの間にか川跡の駅の三線全てのホームに7000系が集まった。この日の日中運用は7000系祭りのようだ。その前でマイクを握る駅員さんは、あたかも電車のコンダクターのようで。指揮棒代わりにマイクを持って、電車の行き先の指揮を取っている。オールドファンならご存じかもしれませんが、デハニの時代の川跡の駅は、名物のおばちゃん駅員がいて「かわと~、かわと~、かわと~・・・」という哀愁を帯びた駅名の連呼から、流麗たる出雲弁のアナウンスを繰り広げていたそうな。ひょっとしたらこの駅員さんも、「川跡おばちゃん」の名調子を引き継いだ後継者なのかもしれないね。

コメント
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