青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

馬立栄枯

2018年08月27日 22時00分00秒 | 小湊鐡道

(接近表示@馬立駅)

緩く日は西に傾いて、馬立の遅い午後。待合室に列車の接近を告げる灯りが点る。子供の頃、東京の国電のホームでよく見た接近表示器。小湊鐡道なりの設備投資による近代化に向けてのアイテムだったんだろうけど、それがいい感じに侘びて来ていて、なおかつ現役で稼働しているのがミソ。小湊鐡道の沿線、特に人口が多い五井~上総牛久間でも、平成初期のバブル期をピークにして需要減が続いています。


千葉市内への通勤圏に開かれた住宅地に入居してきた団塊世代が60~70代になり、その子供たちが選ぶのは都心回帰。家の数だけは建っているけれど案外と活気のない雰囲気や、昼間に人の姿が見えないあたりに街としての生命力が下がっている印象を強く受けます。私の亡くなった祖父母も昭和40年代に開発された北総の新興住宅地に住んでいたので、似たような肌感覚を覚えますね。


そのほとんどの部分を市原市内に有する小湊鉄道線は、そのまま市原と養老川流域の歴史と寄り添って来ました。この「馬立」という地名は、この辺りで農耕や荷役に使う馬のセリ市が開かれていたことに由来するそうです。「牛久」の手前が「馬立」とはこれいかに、という感じですが、いずれにしろ房総半島の中央部に牛馬に代わって恩恵をもたらしたのが小湊鐡道であることは間違いありません。



ツルリとシンプルな顔をしたキハ200形の交換。お隣いすみ鉄道のキハ28・52コンビに目が行きますが、こちらもデビューから50年モノのビンテージ気動車。見た目にシンプルなデザインなのであまり古くなっているイメージもないんだけど、日本で営業に供されている気動車の中ではもはや最古参の部類に入るのではないだろうか。小湊がキハ200形に形式を揃えているのは、可能な限り部品を共通化し異常時のリカバリメソッドを積み上げる事で保守管理を容易にするためだそう。その甲斐あって、未だに特に置き換えの声を聞くこともなく、房総の里山のイメージリーダーとして今日も走り続けています。
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