島根の女子大生の頭部が広島の山の中で見つかったね。19歳という年齢に無念の情が我がことのように浮かんだ。死というものを身近に感じる歳になったからだろううと思っている。殺される直前までまだあった未来に対して誰が償ってくれるというのか。例えば犯人が捕まったとする。殺すつもりはなかったという。ひとり殺しただけだからとこの国の司法は無期くらいの判定だとする。犯人にも更正の機会を与えてくださいと弁護士が言う。彼の未来が、被害者の死を踏み台にして輝くとでもいうように。犯人の未来と被害者の未来とどちらが価値多いかはいうまでもないことなのに。今ある未来には注意がいったとしてもまだあった未来は誰にも顧みられる事はないのか不条理を感じる。彼女が、これからやりたかったことを想像するにつけ犯人の命では償えないと強く感じた。江戸時代の刑法のように一族郎党皆罰というように刑法を変えないとこのままでは、歯止めがきかない。死刑では軽過ぎるとこのごろ思う。それくらい未来に対して憧れを持つのは、もう自分ができなかったことをこれからの若者に期待してるからだろう。いや、若さに期待しているからだろう。今まで、歯牙にもかけなかったことが気になりだしたのです。おかしなことに・・・・。
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