・日々の出来事を簡単にまとめています。
田中がくBLOG



これまで、随分お世話になった北川イッセイがお亡くなりになったと元秘書の讃岐君から昨夜電話が入りました。
一瞬、耳を疑いましたが、癌を克服する為に闘病生活を続けられていたので、受け入れる事にしました。
本日が告別式でしたが、北川イッセイ先生の遺言で「コロナ禍の中なので家族だけにして欲しい」と言われていたそうで、私も参列を断念しました。
讃岐君の話によると、私が市町村議員連盟の会長に就任した事を自分の事のように喜んでくれていたそうです。
そして「学ちゃんは、大阪府連を背負って立つ男なので、安心して任せられる」と言うてくれていたそうです。
男の約束として、本日の告別式が終わるまで、内緒にしていました。
北川イッセイ先生には、これまで貝塚市も大変お世話になりました。
泉州山手線や新庁舎建替え工事などは、北川イッセイ先生が国土交通副大臣の時に尽力して頂き実現をしました。
先日の一般質問の中でも、藤原市長が、答弁の中でも説明されていました。
本当に、言葉では言い表せないぐらい感謝しか無いです。
これからも、北川イッセイ先生がいつも口にしていた「生涯一市民」の言葉を心に焼き付け、先生のご意志を受け継いで参ります。

北川イッセイ先生のご冥福を心からお祈り致します。

落ち着いたら、必ず仏壇に参りに行きたいと思います。

イッセイ先生、ありがとうございました。


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8日
10時から、厚生文教常任委員会が開催されたので、控室で拝聴していました。

11時過ぎには、和田まきよ府政対策委員長が後援会の役員さんたちと挨拶に来られました。
そこで、議員団の役割分担を決めて、9日から連れ周りをする事になりました。
また、熊取町や泉佐野市の議員も、貝塚市内の親せき・友人・知人の所へ連れ周りをしてあげると申し出があり、日程が埋まって来ました。
約1時間ほど、打合せをして解散しました。

14時頃からは、和田まきよ後援会が事務所に使う予定の場所を見に行き、レイアウトや足りない機材の発注を行いました。
段取りの途中には、和田まきよ府政対策委員長のお父様が挨拶に来られたので、今後の進め方について意見交換をさせて頂きました。

16時過ぎに、事務所予定地を出て自宅に戻りました。
ここから、役1時間半ほどは、電話対応をしていました。
未だに、今井豊事件についてマスコミから取材の申し込みが有ります。
週刊新潮に掲載された事以外に何かあるのか知りませんが、対応をさせて頂きました。

その後、久しぶりにジムへ行って1時間ほど汗を流して来ました。

終わってから、自宅に戻り夕食を済ませてからも、23時頃まで電話対応をしていました。
選挙だけでなく、日常の陳情も多数あります。
コロナ禍の中、疲弊する経済を立て直さなければなりません!

11日13時からは、急遽、自民党大阪府連会議室から菅総理とZOOMで会議をする事になりました。
大阪府連からは、私を含めて4名が選ばれて出席をします。
一律10万円再給付や持続化給付金の売り上げ2割減で、会社の規模に応じて金額を1千万単位で出して欲しいと、要望書を提出しているので、もう一度念押ししたいと思います。

※今回の貝塚市府議会補欠選挙は、和田まきよ府政対策委員長と牛尾議員の一騎打ちになりそうです。
今井氏の秘書から議員になった牛尾議員は、とても手ごわい相手ですが、今回は貝塚市の名誉とプライドを守る選挙なので、負ける訳には行きません!
なぜなら、牛尾議員も、女性とお金(収支報告書1 年間未提出)の問題で、維新の会内部から、告発文をポスティングされているのは、有名です。
同じ過ちを犯さない為にも、全力で頑張ります。


今日は、10時から総務産業常任委員会が開催されるので出席します。

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