出版屋の仕事

知識も経験もコネもないのに出版社になった。おまけに、すべての業務をたった一人でこなす私。汗と涙と苦笑いの細腕苦労記。

印税支払

2009年02月26日 | 制作業務
ご存知のように、うちではコストを押さえて本を作って売っている。広告宣伝費などもほとんどかけない。たまにするFAX営業や献本なども送付先の数を気にするほどで、非常に細かい。

コスト削減を常に意識していて悪いことはないと思うが、「金をかけて効果を出す」ということができない。いや、しようと思ったらできるんだけど、「そういうことを始めたら、遣い癖がついちゃうんじゃないか」とか「効果がハッキリわからない出費はやはり押さえよう」などと不安に思っていて、結局いつものスタイルになる。

基本的に金を払う相手は、印刷製本会社と著者だけである。あとは本当に金額も小さく、1点あたりの収支計算をするときに常に入れている予備費でまかなう。

印刷製本に関しては、相見積もりを取ったり安く上がるように作ったりはしている。が、そもそも他社にやってもらうことなので、ちょっとまけてもらう以外、ほぼ相手の言い値である。そこで印税の話になるんだが、こちらも他者にやってもらうことなので相手の言い値かというと、違う。

出版を始めた頃は、「たかだが数十万円の印税で、本当に本1冊書いてくれるのか」と疑っていた。他にも着手金のようなものを払うのかと思っていた。まあ、そうじゃないということが判明し、他にもいろいろ学ぶにつれて、「10%は版元として胸のはれる数字」ということもわかってきた。

ここで、本1冊書き上げることへの対価として高いか安いかの議論は置いておく。書く側になったことは1回しかないし、そのときも印税より他のメリットのほうが重要だった。だから、肉体的精神的な作業量との単純比較となると、私にはわからない。

出版社としては、安いに越したことはない。でも本の根幹のことだから、宣伝費なんかとは違って「質に直結する=ケチるべきではない出費」という話を聞くと、そうかもなと思う。そうだ!と思わないのは、やはり1枚あたり原稿料なんかと違って部数によって上下するので「自然に支払額が変わってくるから」かもしれない。つまり、こちらが「はい、よく書けました! いっぱい払いましょう」あるいは「こりゃダメです、報酬減額します」という話にはならないので、ケチもへったくれもない。

と思っていたらそうでもなくて、印税も奥が深いとわかってきた。いや、わかったのはずいぶん前だけど、「できる範囲でできることをする」こともできると思うようになってきた。

ややこしい表現だが、私にとって「できる範囲以外」というのは結構ハッキリしていて、「初版は印税を払わない」、「5%以下」、「いつまでたっても払わない(売れたら払うが売れなかったらごまかす…みたいなこと)」の3点である。これはしたくない。

書協かどこかの契約書ひな形からあまりにもかけ離れるのはちょっと…という感じ。そのひな形だが、以前は「刷り部数に○%を乗じた金額を発刊月の翌月末」なんて書いてあって、パーセンテージこそ書き込むようになってたが、そう払うのが普通なんだと思ってそうしていた。が、最近は「刷り部数」でなくて「実売部数」になっている。どこもかしこも大変大変と言ってるから変えたんだろうか。

刷り部数が多いとは言えないが、刷った分に対して10%をとっとと払ってしまうのは気持ちがいい。「やることやった」という気になる。

刷り部数を発刊時に払うことは出版社の矜持だと言う出版社の人にも会ったことがある。それまでただ「他に倣う」ってな気持ちでそうしていたので、ふーんと思った。けれども矜持とまで言われて「見栄はってどうする」と思ったことがきっかけで、疑問を感じるようになった。するべきことはしたいけど、昔のプライドにつき合って会社を潰すんじゃアホみたいだな、というわけである。

そもそもなぜ「刷り部数」に対して払うことになったのか。ほとんど売れて、増刷を検討するケースのほうが多かったのか。けれども印刷製本会社に「実売部数」で払うことなんか、昔からなかっただろう。「持っている能力を使って納品する」って点は同じである。

けど、売れた分だけ印税を払うということは、そんなにケチ臭いことなのか。売上が見込める著者とそうでない書き手との違いだろうか。このへんも微妙な話で、売れ行きと質が一致しないこともあるだろうし、「あなた(著者)が売れるって言い張るんなら、じゃあ「実売部数」であなただって問題ないはずじゃないか」という理屈になる。あるいは、単なる支払時期の問題か。

あまりにも奥が深すぎて、もっといろんな話をしたいんだが、ちょっと長くなりすぎるのでこのへんでやめる。後日、「これこれ分をいついつ払う」のような具体的条件の話も書きたいと思います。

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