出版屋の仕事

知識も経験もコネもないのに出版社になった。おまけに、すべての業務をたった一人でこなす私。汗と涙と苦笑いの細腕苦労記。

ジャンル

2009年04月27日 | 発売前
グーグルの問題について書きたい気もするが、長くなりそうだし別に機会に。(もうすぐ飲みにいく時間なので)

先週、見本納品に行ってきた。前回は、正月休み明け初日に行って大変な目に遭ったことをここでも書いたので、4ヶ月弱ぶりである。昨年刊行予定の本がずれ込んだためだけとはいえ、年3点ペースに向かって着々と。それでも「久しぶりですね」と言われてしまったが、こっちは「こないだ行ったばっかり」という気分である。いつまでたっても見本納品は嫌なものである。

その上、今回はこのブログにコメントいただいていた疑問を確かめるという、特別任務があった。「アマゾン(オンライン書店)で、ちゃんとしたジャンルに入れてもらうにはどうしたらいいか」という疑問である。実はあの後、その答がわかりそうなセミナーもあったんだが、都合が付かなくて出られなかった。

で、きいてきました。・・・というか、かろうじてそれらしき質問をしてきたので、ここで報告する。聞いてすぐここで書くということに抵抗がないわけではないが、もう出版業界は狭い世界と思って腹をくくる。

まずアマゾンで新刊を扱ってくれる日販だが、棚をきかれたとき、「この“棚”というのはオンライン書店でのジャンル分けのことですか?」と尋ねたら、ハッキリ「そうです」という返事が返ってきた。今回は前もってアマゾンのジャンルを調べていったので、それを答えた。見本納品が先週の金曜日なので、結果がどうなるか、今日の時点ではわからない。結果がどうなるかって、もっときちんと確かめればいいんだが、それは「本社嫌い」ってことでお許し乞う。

ちなみに、今回の本に限って「あちこちのジャンルにあてはまる」本ではなくて、結構分かりやすい本である。なので、「答えた結果」なのか、今ひとつ判別しづらいかもしれない。

大阪屋では、何もたずねるチャンスなし。搬入日と冊数を確認して「じゃ。」という感じで終わってしまった。ジャンルの話だけじゃなくて、今回に限って広告出したり何したりってことを報告しようと思ってたけど、それも話すチャンスなし。

トーハンでは、「ジャンルは基本的に書店さんにお任せ」というような返事が返ってきた。ただ、アマゾンじゃなくて何だっけ?7&Yだっけ?と考えてるうちに思わず「e-本のジャンル」と言ってしまったので、リアル書店の話と思われたのかもしれない。

ただ、トーハンは他の質問に対しても「書店さんが…」と答えることがあった。確か事前注文とかについて尋ねたときだと記憶している。一般的にトーハンは「仕入れ窓口でごちゃごちゃ言うな。それなりのところへ営業せよ」ということかもしれない。

というわけで、「どこの棚ですか?ときかれていた質問」は「わかりづらい本だというコメント」だと今まで思っていたのが、少なくとも日販では違うらしいということはわかった。

とりあえずのところは、このへんで勘弁してもらおう。いや、ジャンルごとのランキングで上位に出るとどうのこうの…とか、理解はしてるんだけど、今のところは「売れなきゃ一緒だし」という気持ちもあって、このへんで。

ボキャブラリー

2009年04月20日 | 制作業務
自分の本を書いたとき、担当の編集者からもらったアドバイスがとても役に立っている。自分の原稿へのアドバイスに留まらず、編集者とはこういうアドバイスをするのだとわかったことが、非常に大きい。

今回の新刊では、ちょうどテーマが「本人にしか語れない」ことだったこともあり、「自分がしてもらったことをする」という感じだった。

そのおかげか、著者から上がってくる原稿は本当に「要望どおりに書き換えてくれた」というもので、こんなに編集が楽しかったのは久しぶりとも言える。なんというか、楽しいのはいつも楽しいんだが、今回は「楽しいだけじゃなくラク」であった。

著者の文章力によるものが大きい。が、文章力というのは「書く」だけじゃないんだなとつくづく思った。つまり、こちらの要望&意図どおり書き直してくれる以前に、それを確実に理解してくれたのが毎回わかった。

要望&意図を理解してもらうなんていうとエラそうだが、国語の問題みたいな「文章理解度」のことではない。それだったらこちらの説明能力の話にもなるし。

数ヶ月やり取りをして、なんというか、ボキャブラリーが同じタイプだったのではないかと思う。こういうときにはこういう言葉を使うという癖みたいなもの。文体や言葉の選び方、強調の仕方なども同じ系統で、ちょうど上手い具合に伝わるというか。だから、もらった原稿そのものも、「私にとってめちゃくちゃ読みやすい文章」であった。

あと、書き手とその文章にはいろんな個性があって、なるべく活かしたいという気持ちは常にある。でも、やっぱり好みというものはあって、読者としての自分の好みと違うとき、編集者としての能力を総動員しないといけない。

今回はたまたま、ボキャブラリーが同じで、読者としての好みにもピッタリだったのではなかろうかと思う。こんな「楽しいのにラク」な編集は、そうしょっちゅうはないだろうなあ。

組版

2009年04月07日 | 制作業務
先日、組版で必要なこと…のようなセミナーに行ってきた。うちも出版業を初めてもうすぐ8年。創業当時から持っていた古いソフトに替えてCS3なるものを入れたので、ついでに勉強というわけである。

ちなみに、印刷会社は古い分にはOKみたいで、古いソフトで入稿しても何の問題もない。けど、いかんせんパソコン本体がいかれるのが心配だ。ファイル自体は保存してあるけど、古いパソコンを諦めることになったとき、データ作成中なんてことになったら悲惨だ。なので、今のうちに…ということで手をつけた。

本日新刊のデータ入稿をしたんだがそちらは新しいソフトで、数日前にした重版は古いソフト。画面を切り替えながら作業していると混乱する、というのが面倒といえば面倒だが、そのうち慣れるだろう。

で、パソコンの環境が整い、やってる本人も慣れてきたので、以前からの懸案事項である「組版」の勉強に行ったのである。

なぜ懸案だったかというと、正式なものを知らないから。自分でデータを作っていてわからないことがあると調べるんだが、何やら意味不明のことがときどき出てくる。多くは活版印刷の頃からある約束事みたいなものらしく、これを一度ちゃんと学んでおかないといかんと前から思っていたのだ。

私は個人的には、活版印刷の紙面のほうがより美しいとか読みやすいとかは思わない。なんちゅうか、ノスタルジーを感じることはあっても、「それが王道」みたいなことを言われると、ケッ!と思うタイプである。特に最近の文庫の「文字を大きくしたのはいいが、かえって読みづらい」のは勘弁してもらいたい。

けど、昔の約束を知ってて無視する(私がいいと思うようにする)のと、知らないのとではやはり違うだろうと、なんとなく思う。例えば個人的には、カッコがどうとか句読点が頭に来ないってのはわかるが、ある行の頭が「る。・・・」というふうになっているのは好きじゃない。好きじゃないからいじるんだが、いじるときに「うちはこれでよいのだ」といじりたい。

想像していたとおり、セミナーの講師は活版印刷の頃からのプロで、「岩波さんあたりだと・・・」を連発する人であった。今回は「古くからの約束」を学ぶために行ったので真面目に聞いたし、非常に勉強になった。

が、やっぱり、「ホントにそのほうが読みやすいかあ?」と思うのも事実。講師曰くの「最近の本」も読み慣れているせいか、私はそうなってなくても違和感はない。頭が「る。」のほうがよっぽど違和感がある。

コンピュータの発展をありがたがっている身としては、むしろ、「昔できなかったからって、それじゃなきゃっていうのはどうよ」と思う。つまり、昔からいろいろできていて、その結果「古い約束」が美しく読みやすいのならわかるが、「限られた中で」より読みやすいのを生み出しただけなのであれば、そんなにこだわることある?と感じるのである。

だって、「版面からはみ出るのは絶対おかしいからやめる」と言ったって句読点ははみ出すんだし、結局、「当時できたこととだけが基本なんじゃん」と思う。

私は出版を初めて3、4年くらい経った頃、「古いのがベストとは限らん」とムキになった(そしていろいろ失敗した)ことがある。そうならないように、今回はちゃんと講師の言っていたことを噛み砕いて、「より読みやすい」本を作っていきたい。(美しいってのはどうかなあ? ビジュアル本ならともかく、情報を伝えるための「たかが書籍」で、それっておこがましくないか?)