出版屋の仕事

知識も経験もコネもないのに出版社になった。おまけに、すべての業務をたった一人でこなす私。汗と涙と苦笑いの細腕苦労記。

カラー

2009年09月24日 | 制作業務
新刊が無事出てホッと一息だが、近頃の配本数の少なさはすごい。うちに限って言えば、事前注文の数といい成績といい、まあしょうがないという気もする。が、見本納品のときに聞こえてくる会話からすると、他にも似たような配本数の出版社はいっぱいいるようだ。一方、5千部なんて数字も聞こえてきて、ようするに二極分化なのかなとも思う。

前回の記事にも書いたが、自分の本を出してくれたということで非常に気になってしまい、しばらくあちこちのブログを見に行ったりしていた。で、あることに気がついた。

出版社を始めた頃から自社のカラーを作っていけといろんな人に言われ続けているが、実現していない。自分では「ジャンルは絞れないが系統は同じ」と思っているが、カラーとはとても言えない。読書をするとき版元なんか気にしないので、別にいいじゃないかと思ったりもするが、新刊を出すたびにPR先とか「そのジャンルに強い書店」などを調べる手間が大変なのは事実。つまりカラーってのは読者を意識した言葉ではなくて、単純に経営面でのアドバイスだったのか。

しかし、経営面を考えて方針転換したら「悲しい」とか「違う出版社になってしまう」とか言うのは、読者だ。あるいは、今までに本を出してもらった人たち。

売れない部門を縮小して、何が悪いのかと言いたい。売れないんだからしょうがないじゃんとか、なら買ってくれと言いたくなる。おそらく、経営方針はしょうがないにしろ、その対応の仕方が悪かったんだと想像するが、あんなふうに言われたら経営者も大変だ。出版社じゃないが、社員が「私たちのことは最後でいいです、社長、頑張ってください」と言ってくれた会社を知っている。一時はその言葉に甘えたものの見事に再起して、未払いだった給料も全部払った。そこと比べると、やり方がよろしくなかったんだろうなあと、想像できる。

それでも、あんなふうに言われるんだったら、あまりカラーなんかつけないほうがいいんじゃないかという気もする。過去に売れた本はあくまでも過去に売れた本だし、営業がうまかったら補充を続けてもらえるんだろう。けれども、こんなに新刊が出ている時代だし、自社でも毎年新しい本を作っていくんだから、「古いものばかりを売り続けていく」ってのはあり得ない。

古いものではなくて本の雰囲気の話だと言われそうだし、編集方針という観念はわかる。けれども、この「人の動きが激しい」業界で、編集者ひとり辞めたら大打撃!なんてのは厳しすぎる。だって、一部の(私は直接知らないが)良心的じゃない版元以外、みんな一所懸命本を作ってる。別に、手抜きをしてるわけじゃないのである。センスの問題と言われたらしょうがないが、あちこちを読んでいると、話はセンスに限ったことじゃない。ようするに「昔を懐かしんでいる」のと同じ。レトロ感覚。

その懐かしんでいる昔のものに関する本を買い続けてくれるんならいいけど、それこそ社会は変化してるし読者も年とる。「当時よく受け入れられたもの」を出し続けていたとしても、きっと結果は同じだったと思う。自分自身ウン十年前に何に興味持ってたかを考えれば当然だ。

会社を続けていって株主に配当するために頑張っているのに、レトロ感覚に振り回されるのは嫌だ。いっそのこと、カラーなんかなくてもいいんじゃないかと思う。

以前、ある本を絶版にしてその情報をしかるべきところに流したら、突然返本が増えた。ここでも書いた気がする。刊行して4年くらい経っていたし、返本だってそれまでは月に1冊もなかったときもあったくらいなのに、急に返ってきた。確か「売れても補充できないから返したということ」とのコメントをいただいた記憶があるが、補充できないからって急に返すというのは今ひとつよくわからない。それと一緒かどうか知らないが、「売れない部門をやめる」ときも同じような悪影響があるような気がする(今度聞いてみよう)。

カラーをつけずにやっていけば、方針転換も黙ってできるんじゃなかろうか。あ、ここんとこ遊んじゃってる(出したい気持ちが先行しちゃった)な、ちょっと押さえて体制整えて・・・なんてことをしても、さすがに「死んだ」とは言われないだろう。

不特定多数の人に認めてもらえなくても、普通に本が売れて普通に営業していければ満足だ。「ここの本なら何でも買って読む」と言われたいのはやまやまだが、「ちょっと変わっただけでそっぽを向かれる」ほうが、経営者としては怖い。

ま、意識しなくても、カラーなんか無理なんだけど・・・。

権利

2009年09月09日 | 出版の雑談
毎年恒例の「8月はほとんど夏休み状態」を楽しんでいたら、20日過ぎに、初冬刊行予定だった本の著者から「やっぱりなるべく早く出そう! 1日○○冊売り逃すから」とプレッシャーがかかった。著者に言われるまでのんびり構えていたのが、非常にどんくさい。言われて「ハイ、そうですね!」と慌てて原稿整理&DTPに取りかかり、ここんとこ3週間ほとんど休みなしだったというのも情けない。

ま、更新が滞っていたのはそういうことです。今日は、多少苦しくとも、2ちゃんに倒産?と書かれて悪影響が出ると困るので、なんとか書く。

少し前のことだが、映像作品を作っている外国人と話す機会があった。日本である本を出版したい(著者でなく)というので相談に乗ったんだが、ジャンル的に共通点があって、私が以前からあたためている企画の話にもなった。

ジャンル以外の共通点として上がったのが、著作権以外の「権利的な問題」である。権利そのものというより、文句が出ないように法的に固めておくべきこととでもいおうか。法的(著作権法上の)権利であればわかりやすいんだが、多くはその周辺というか微妙なことだ。一般人の主張する肖像権とか、亡くなった人のプライバシーとか。

数十人を超える人たちから一筆とったと聞いて、さすが権利にうるさい国の出身と思ったら、そうじゃないと言う。あちらでは(映像作品のケースだが)、制作者の権利が強いので、逆にあまり周りのことは気にしなくていいらしい。映っている一般人から一筆とっておくなんてことは、「気分を害す」的なことに敏感な日本ならではのことではないか、と言う。自分が「映っている人も含めての画面」の権利を持っていれば、それでいいのだと言う。

アホかと思われるような訴訟や判決について読んだり聞いたりしていたので、ピックリした。何度も聞き直したんだが、絶対そうだと言う。

「気分を害す」的なことを権利とはき違えるようになったのは、「日本ならでは」だからではなくて、あんたらの国の情報が入ってきていらんこと考える人間が増えたせいだと言ったら、苦笑いしていた。ただ、日本でそういうことを押さえておかなきゃいけないのはおそらく事実で、権利のはき違いでは済まない。

それで思い出したのはグーグルだ。権利がクリアなところでの見返りに関する問題に留まってない。もちろんはき違い問題ではないが、権利と思うかどうかの違いと思われる議論もある。版面っちゅうかレイアウトなんかうちは権利と思わないけど。。。

あと、最近考えたのは、例の私が書いた本のことだ。文芸部門縮小の話。在庫を売ってもらえるということは、出版契約の消滅にはならないので、「仮に」うちで出そうと思ったら絶版=契約解除まで待つってことだな、とか。いや、著者なんだから待たなくても解除すればいいんだが、もちろんそういうつもりはない。

本当のところはうちで出す勇気はないが、余ってる在庫が不用なら、もらってきてISBNふり直してシール貼って…と考えないこともない。つまり、「晶文社の威光を笠に着たままで、うちの商売にならんか」と姑息なことを考えたのである。バッタ屋じゃないが「いらん在庫買いまっせ」と言って買い叩いたら(そして再販制度も笠に着て定価で売る/笑)どうなるか。

ところが著者には「著者割引」という一見お得に見えて、あんまり得にはならない契約条件がくっついている。もちろん、配るのはうちの宣伝になるからいいんだが、本と言うと原価で考える癖がついているので、著者割引程度じゃ「仕入としては高い金額」となる。実際、ブックフェアで売った分は赤字である。でもよほどのことがない限り、著者が著書を買おうとすると、その割引率に縛られると思われる。

うちでもボロボロの返本を捨てることはある。在庫管理は、出版社の勝手である。人が苦労して作った本をバッタ屋(じゃないが)に売るくらいなら断裁!と言われても、文句は言えない。

いや、だからそのために著者には著作権があるのか…などと、権利がらみでアホみたいにつらつら考えていたのでした。

ーーー

一旦投稿した後に読み返してみたら、私の本に関する記述のところで「本を愛する人間の発言じゃないなと感じた。「世の中から消えていく本を救う」という頭になっていないのが見え見え。自分とこから出した本じゃないからだろうと思う。著者としての自分とその著書に、「そんなもん」という感覚がある。ちゃんと編集してもらってそういう言い草はないが、他社のやり方を知りたいという強い動機で書いたので、しょうがないですよね?・・・と言い訳しておく。