出版屋の仕事

知識も経験もコネもないのに出版社になった。おまけに、すべての業務をたった一人でこなす私。汗と涙と苦笑いの細腕苦労記。

「中」と「今」

2007年08月30日 | 制作業務
本題の前に、ちょっと愚痴。

日販のおみくじ封筒は、だいたい土曜日か月曜日の郵便で来る。月曜は直接書店から電話をもらうことが多いので、それを待って納品の旅に出る。今週は月曜日に来なくて、「な、なんだ! 注文が1件もないのか!」と慄きつつ、水曜以降は天気が悪いこともあって火曜日に旅に出た。先週電話やFAXでもらった分だけだから、非常に少ない。昔は毎回こんなんだったな~と思いながら、軽い荷物を抱えて行った。

と、火曜の郵便でおみくじがドサッと来た。中を見ると、注文日が17日のものもある。ゲッと思ったんだが、昨日今日とずらせない用があり、明日行くつもりでいたら本日また来た。

2回分をまとめたって、うちレベルじゃ大したことないんだが、なぜイレギュラーに送ってくれたのか。システムの不具合とかお盆とかが重なったから、さっさと通常に戻すためなのか。

一瞬、「既刊の注文も増えてきて安定期に入ったと思っていたのは間違いで、やっぱり『さっぱり売れない時期』ってのはあるものなのか!」とビビッたが、ちょっとホッとした。

さて本題だが、たいした問題じゃないんだが、最近気になっていることがある。漢字かひらがなかという問題。

誰でもそうだと思うが、ほどよく漢字が含まれている文章が好きだ。個人的には、「出来る」じゃなくて「できる」が好きで、「致します」じゃなくて「いたします」が好き。けれども「警ら」じゃなくて「警邏」のほうがいいなあと思うくらいの漢字ミックス度なんだが、わかっていただけるでしょうか。

こないだライターさんに頼んだときは、「普通に学校で習うような漢字は漢字にしてほしい」とお願いした。当時(今もか)、ひらがな多用の文章のほうがどうのこうの…と言われていたが、それでは「ひらがな多すぎ」と思ったからである。

で、そのとき漢字に直してもらったのが、「中」、「他」、「今」。他にもあったかもしれない。

ところがそれ以降、気にしながら本などを読んでいると、「なか」、「ほか」、「いま」が圧倒的に多い。特に、出版業界でよく仕事をしているだろうと思われる人の文章で、ひらがなが使われている。何かのパンフレットみたいのは普通に漢字だが、本ではひらがなが多い。

「他」は、なんとなくわかる気がする。「等」みたいなもので、漢字だとちょっと硬くて「ほか」のほうが柔らかい。

けれども、「中」と「今」なんて小学校で習う漢字だし、別に硬くも柔らかくもない。前後がひらがなのときに多く出てくるから、視覚的にもたまに漢字が入って読みやすい気がする。

ただの読者として本を読んでいたときには気づかなかったんだが、前からひらがななんだろうか。私が気づかなかっただけとして、一般的には「習ってからは漢字で書く」言葉だと思うし、学校でも「本当はひらがなで書く」なんて習ってないが、何か出版業界の慣習みたいなものがあるんだろうか。

最近、商売の慣習より、こっちのほうが気になってしまうのである。

ありがたいコネ

2007年08月21日 | 出版取次口座の取得
最近、このブログへのアクセス数が多くて、ちょっと怖い。もちろんあの本の影響でありがたいことなんだが、妙に緊張もしてしまう。

が、最近会った大きな書店のえらい方から、「今度は日付と実名を挙げて書け」と励まされた(?)。本でさえそうなんだから、もうこのブログも開き直っていいってことかもしれない。

そのえらい方を訪問した理由は、直取引のお願いである。アマゾンのあれやこれやから始まって、3ヶ月ほど前に大阪屋に取引開始の申込をしたんだが、埒があかない。それなら…ということで、行ってみた。もちろん、えらい方に会えたのには理由があって、あの本でお世話になっている晶文社さんに紹介してもらったからである。

ちなみにアマゾンサイドとの経過を報告すると、「定型文じゃなくてちゃんと返事をくれる」部署であるなかみ検索の担当の人と、ちょっとやりとりできた。が、やはり行き詰った。「今度からトーハンからの書誌データが漏れないように、注意します」と言ってくれたが、4月に出した本をその人に登録してもらうのは無理のようだった。ついでに言うと、e託へのお誘いが相変わらず来る。ベンダーセントラルは、意味のないことしかできないIDをもらって、そのままになっている。

で、大阪屋だが、最初の頃窓口の人に数回電話したが、「こっちから連絡するまで待て」みたいな返事だった。

私は、そう言われるとしつこく電話できないタイプである。大阪屋の別の人から「どれだけ熱意があるのか知りたい。ない人は相手にしない」と聞いていたが、どうもその気になれない。が、今回は今までと違って「ぜひとも取引を…」という気だったので、いつもの私よりはしつこかったと思う。

しつこく電話してお願いすることは、その別の人からすると熱意の表れなのかもしれないが、私はなんとなくそういう泥臭いのは嫌いなのである。人間的には泥臭いが、商売となると「過程より結果」と思ってしまう。「何度もしつこく頭を下げる」んじゃなくて、「ダメな理由を教えてもらって、ただちに対応策を練って再度申し込みする」というように動きたい。

ついでに言うと、「忙しいから週に1回電話してみてくれ」というのであればする。もっとついでに言うと、「こちらから連絡する」と言っておいて連絡しない人はあまり好きじゃない。熱意だけじゃなくて力関係もあるんだろうが、それなら「週に1回…」と言えばいいと思う。

で、話は戻ってその直取引を申し込んだ大きな書店だが、自店でのうちの本の動きを調べたりいろいろ話をした結果、「やはり大阪屋で口座を…」ということになった。「規模から考えて直取引は面倒、だから自分はいいけど現場が嫌がる、なんでかっていうと取次口座がまったくないならまだしもトーハンがある」からだという。

なんか、いろんなところで「取次は大手二社だけ」という状態が妙な影響を及ぼしている気がする。最初の頃は「珍しいケースでいいじゃん」なんて気楽に考えていたが、変に妬まれることも無きにしも非ずだし、こういうことにもなる。もちろん、全体的に考えれば非常にありがたいことで常に自覚もしているんだが、なんか上手くいかないこともある。

で、大阪屋も望みを断たれたっぽいし直取引もダメかと思ってガッカリしていたら、驚きの展開になった。なんと、大阪屋に話をしてくれるという。ま、「プレッシャーかけたろか」というのは冗談で、「どうして何度も断るのか、理由を探ってみる」くらいのことだと思う。

でも、もし冗談じゃなかったら?? 昔、大阪屋の人から「ジュンクやブックファーストから御社と取引してくれと言われたら考えますけどね」と言われたことがあるし、出版の本などに「書店に口添えしてもらって、うんと言わせる」ケースがあるとも書いてある。

もし、そのえらい方のおかげで話がまとまったら、きっと複雑な気分になると思う。もちろん嬉しいけど、「結局、この業界はコネですか」みたいな。いや、ありがたいんですが。。。

暑さ対策

2007年08月09日 | 出版の雑談
うちの場合、日販のおみくじ封筒が土曜日か月曜日に来るので、だいたい火曜日に納品の旅に出る。書店さんからの電話注文が月曜に多いので、その分も併せて持って行けると気分もいい。

困るのは取次の休みのときで、今回のお盆もそうだし年末年始もそうだ。「最後に行っておく」とか、「休み中はおみくじが来ることはないけど、とりあえず行く」とか、ようするにイレギュラーな感じになる。

なので助走期間ということで、8月に入ってからちょっとずつずれてきて、いつもよりしょっちゅう旅に出る状態になっている。新刊が出てすぐは、注文が多くて1度に運びきれないので週2回以上行くが、この時期(新刊が出て4ヶ月)にそういうことはあまりない。

で、走っていると、毎回、このクソ暑いときに取次を訪問する出版社の人たちが目に入る。

飯田橋からトーハンまでは結構な距離があって、私は原付でブイーンと飛ばしていくんだが、出版社らしき人を何人も見かける。見本出しの営業マンらしき人たち。左手に脱いだ上着、右手に大きなカバンを持つか、キャスター付きカバンを引いている。半袖のワイシャツにネクタイ。半袖ワイシャツってのは上着を着るとドン臭いので、おそらく1日中「上着は手に持つ」状態だろうと思われる。

こちらが納品を終えて今度はトーハンから江戸川橋に向かって走ってるときも、同じような人たちが歩いている。

出版社ってのはマスコミ(土建屋出身の私なんかからするとフレキシブルな業界のイメージ)の一部で、なおかつ雑誌で「お洒落なクールビズ」とかやってるくせに、自社の営業マンにはスーツ着用を強いてるんだろうか。この時期、取次の仕入部の人たちは上着は脱いでるから(この時期じゃなくても脱いでるが)、失礼ってこともないと思うんだが。雑誌のクールビズ云々はともかく、お洒落じゃなくったって暑苦しく見えないほうがいいと思うんだが。

なんとなく不思議に思いつつ走っていて、もうひとつの疑問が浮かんできた。

日販は駅からすぐだが、かといって日販だけに見本出しする人はあまりいないだろう。トーハンも大阪屋もその他にも行くだろう。となると、このクソ暑い時期に電車に乗って乗り換えて…ってのをするわけで、おまけに本は重いし、これは地獄ではなかろうか。

会社で原付1台買ってあげたら、ずいぶん楽になるのではなかろうか。

見本出しは午前中だから、午後は書店営業の人が使えばいいし。電車であちこち回るより、交通費もかからないし。

なんで、あんなに「クソ暑いのにネクタイ締めて上着持って重い荷物を抱えて駅から歩いている」人が多いんだろう???

サラリーマン

2007年08月02日 | 出版の雑談
よく勉強させていただいているブログ経由で、雑誌の売れ行きが悪くなっていてどうのこうのの記事を読んだ。

大手の出版社の人の「若手編集者にチャレンジ精神がなくなってきて気骨のある編集者が少なくなった」というコメントに、「そう言って編集者のサラリーマン化を嘆く」という説明がついていた。

私自身は、一部上場の大きい会社のサラリーマンと、吹けば飛ぶような会社のサラリーマンの経験がある。今は出版業をしているわけだが、「小さいながらも一企業の社長」なんてのとはちょっと違って、「自営業のおっさん」だと自分では思っている。

たまに、サラリーマンの甘ったれた話(給料上げる理由もないのにベアがどうのこうの…とか)を耳にすると、「雇われ者は楽だよな」なんて思ったりもする。特に、企業の負担が増える法改正など国政レベルの話では、「何でも企業に押し付けるな!」とか、「どうせ被雇用者に返ってくる話なのに…」と思ったりする。

けど幸いなことに、「すごく優秀なサラリーマン」というものも知っている。その「一部上場の大きい会社」で働いていたときの上司は、「サラリーマンは失敗したって弁償できないから、より緊張する」と言っていた。もちろん、何百億儲けたって社長賞くらいしか出ないが、かといって何百億の損を出したって、弁償しろとは言われない。「言われないからよかった」と思うのではなくて、一生かけて償いますと言っても、会社は「じゃあ、そうしろ」とは言ってくれないのがサラリーマンの辛いところだと、その上司はよく話していた。当時、私でさえ200億くらいの予算を扱っていて、ホントにそうだよな…と思った。

その点、自分の会社だったら、債権者に頭下げて倒産させてもらって、巻き返したときに返せば事は済む。もちろん、巻き返したときに返さない人もいっぱいいる。

「どんな大きな損害を生んでも自分で賠償するわけにいかない」サラリーマンは、その分仕事に対する緊張感も違うと、その上司から学んだ。多数のサラリーマンを抱えた大きな会社だからこそできる事業があり、そういうことに携れることには、やはりそれなりの責任が付きまとう。

雑誌の世界はあまりよく知らないが、「サラリーマン化」という言葉に置き換えられる、「マンネリ化とか事なかれ主義とかが生む、つまんない状態」は理解できる。読む雑誌をいちいち評価したりなんかしないし、つまらなそうでも読むが、嘆いている人の言いたいことはわかる。

けど、それを「サラリーマン」のせいだと言われると、どうかな?と思ってしまう。

確かに出版というのは、一般の読者に考えたり感動したりするきっかけを提供する仕事で、「他人に考えさせたり感動させたり」するのは「先を行く人々じゃなきゃできない仕事」だとは思う。

よく焼き物とか美術の世界の話で、「常識はないけど天才」みたいな人の話を聞く。

けれど、私は昔から「天才なら一般常識がなくてもしょうがない」という話には抵抗があった。ある傷害があって別の能力が高いってな人は別として、「天才ってのは人並みはずれることなんだから、一般人でも持っている部分はきちんと持っていて、その上で並外れた能力を発揮してほしい」という気がする。でないきゃ、ただの「こっちはいいけどこっちはダメ」だけのことじゃないか。

で、こういうことを書くと怒られそうだが、作家ならまだしも、作家が書いたものを出す出版社の人間が「天才なので常識ないのは我慢してね」ってのは、どうにも納得いかない。勉強のために、昔の有名な編集者の話なんかをたくさん読んだが、どちらかというと「薀蓄はいいからちゃんと仕事しろよ」と思ってしまう。

流通の話なんかを聞いていると、「みなさん、ちゃんと決めたとおりに仕事しましょうよ」とか、「業界慣習じゃなくて、企業倫理的にどうなの?」と思うことが多くて、なんとなく出版業界は「サラリーマンの世界」より「天才に許されてる世界」寄りな考え方と判断をしているように感じる。

常識を外れたところに何かがある…ってなことはもちろん理解できる。

けど、現在問題視されてるいろんな「業界の問題」は、「天才が能力を発揮する」ことじゃなくて「きちんとサラリーマン的な責任を負う」ことで、もっと解決されるような気がする。