出版屋の仕事

知識も経験もコネもないのに出版社になった。おまけに、すべての業務をたった一人でこなす私。汗と涙と苦笑いの細腕苦労記。

今年も終わる・・・

2005年12月27日 | 出版の雑談
本日は、最後の納品に行ってきた。寒かった。

トーハンでは、駐車場への入口で後輪を滑らせて困っているトラックに遭遇。一瞬助けようかと思ったが、積まれているのは「極重の本」ということに気づいてやめた。あんた、雪の日だったらどうするつもりなんじゃい。

トーハンの受品口イケメンお兄さんに、年末の挨拶をして日販へ。駒込から飛鳥山へ抜けるあたり、めちゃくちゃ寒い。風も強くて、原チャリだと吹き飛ばされそうになって怖い。

日販の受品口のおじさん(検数)にも挨拶しようと思ってたが、この寒い時期は「ハンコ押し」の怖いお姉さんの小屋の中に入れてもらってる。箱に本を入れ終えて見ると、納品書が外の机にポンと置かれていた。面倒くさいので、そのまま帰ってきた。

確か去年の終わりは、いつも言われている「ジャンルの確立」ってなことをどうして行くべきか考えながら業務を終えた。今年1年振り返ると、全然確立されてない。それどころか、ますます広がってる気がする。

なので、来年は「ジャンルの確立」は無視して、ここんとこしばらく考えてることを課題にしようと思う。

ネットやいろんな情報があふれている中、書籍の存在価値を「紙媒体で残す」という点に見出していくこと。「印刷されている物のほうが読みやすい」レベルの話ではなくて、もう少し「モノ」としての価値を高めていくこと。

おそらく世の中の編集者には「本は中身(情報)だ」と言われそうだけど、どう考えても「頭に入れる」だけなら印刷された書籍じゃなくても構わない。ネットで(それも無料で)いろいろ解かる時代に、やっぱそれはないんじゃないか。

じゃあ、「紙媒体で残したい」情報とは?

来年はそれを考えながら仕事します。

稚拙なブログに1年お付き合いいただいて、ありがとうございました。来年もよろしく。

企画の売り込み

2005年12月20日 | 出版の雑談
この商売をしていて初めて、「企画の持ち込み」を受けた。

持込とは微妙に違うコンタクトは今までもあって、実現したりしなかったりである。出版社として名が売れてるわけではないので、みんなこのブログを読んで来てくれる。ありがたい。

で、今回は、純粋に「こういう企画、御社でいかがでしょうか」って感じで、すごく興奮した。

「企画を持ち込まれても、企画書を送られても、編集者というものは忙しい」とか、「アドバイスを書き送っても音沙汰なしなので、もう読まないで捨てる」とか、いろいろ聞き(読み)かじっていた。が、うちにはそんなの来ないので(来ないと以前書いたようだ)、おどおどしてしまった。

持ち込むほうは、できれば大手でと考えてると思う。素人じゃなければ、「私の本を出してくれるならどこでも…」なんて思わないだろう。あるいは、大手でなくても、できればあの出版社でというようなこだわりがあるだろう。

なので、ちゃんと自分に「他で断られた企画なんだぞ」と言い聞かせてお会いした。が、舞い上がってしまった。

やっぱり、自分ひとりで考えるってことには限界がある。搾り出してもいいんだが、それじゃ出涸らしみたいで嫌なので、最近特に出版企画というものを考えないようにしていた。

日々の営業や生活の中から「!」と思ったものだけに手を出すという感じだ。

ところが、他人から「いかが?」と言われるだけで、すごくイメージが膨らんでくる。

自分で考え始めたものは、売れるか売れないかってことばかり悩んだりして、実際出版にこぎつけるものは非常に少ない。なのに、他人が提示してきたものに対しては、「こうしたらどうだろう、ああしたら…」とやたら浮かんでくる。

ひとりですることの限界ってことだろうか。

ただ、持ち込んでくれるんだからその人もある程度イメージを固めているだろうし、私のイメージと合うかどうかは別問題だ。うちみたいな版元で「いいんじゃない、でもここをこうしてああして・・・(だったら出すよ)」みたいな態度は失礼なような気がする。

ああ、自分ひとりでするのは気が楽だ。けど、「書店員さんに、途中まで作ったものに対する意見を聞く」以前の、「議論しながら作る」ってことは、すごく楽しそうに思われる。楽しいだけじゃなくて、よさそうにも思われる。

じっくり考えなければならない。

なんか、巷の編集者が「忙しくて企画書なんか読む暇ない」と言われていることの意味がわかった気がする。仕事で忙しくて企画書を読む暇(時間そのもの)がないんじゃない。「抱え込む」こと自体を避けてるんじゃないか。あれもこれもと手を広げ過ぎないようにしてるってことじゃないか。

でも、私にはいい刺激なのである。頭で考えることを広げると同時に、こうして出版活動自体も広がっていく。

図書館流通協会見本

2005年12月15日 | 発売前
製造業である出版社でどこまで「一貫生産」できるかってことを考えたりしてたんだが、もう少し考えをまとめてから書く。

出版社らしいブログを書きたいのは山々だが、私なんかの日常業務では小さいことしか起こらない。

ただし、小さいことにも気づく。

先日来の「返本の中に献本が混ざっていた」に絡んで、しばらく伝票とかも小まめにチェックしていた。そうしたら、「図書館流通協会見本」という名目で、新刊が「注文返品」扱いで返ってきた。

図書館流通センターというのは知っている。取次の図書館担当者に見本として献本するときもある。しかし「協会」というのは初めて聞いた。

初めてといったって、出版ナントカ協会とか書籍ナントカとか、やたら団体が多くて全部きちんと把握なんかしてないんだが、「返品伝票に出てくる」時点で少々怪しい。

ちなみにトーハンである。

普段なら無視する(しょうがないと思う)んだが、日販のことがあった後なので電話してみた。

やっぱり図書館流通センター宛の見本だという。じゃあ、いかにも「一企業への見本じゃなくて必要なもの」みたいにわざわざ「協会」なんて嘘つくな。必要なら見本ぐらい出しますがな。

本当の問題は、見本云々じゃない。以前、図書館への見計い品について書いたが、似たような問題である。

書店へ配本してくれるだろうと(少なくとも私は)思っている本を、図書館流通センターへ「これ、どう?」と1冊送って、返ってきたら普通に「書店からの返本」と一緒に返す。

日販と違って、実害はない。細かいことを言えば「返品手数料」ってのがあるんだが、他の本と一緒に返ってきたし、「取調べのための電話料金」のほうが高いくらいだ。

けど、またまた「なんとなく気分悪く」なったのは事実。

ああ、こんなことばっかり気にしてるわけじゃないんだが、もうついでに書きましたよ。

出版記念パーティー

2005年12月06日 | 発売前
本日は著者との打ち合わせに出かけた。

内容の確認はほぼ終わっている。「いついつ頃に著者校を頼むよ」とか「イラストの確認はどこまでしたいか」など、ほとんどがスケジュール管理的話だった。

前回書いたように有名な人なので、出版記念パーティーについて確認するということも、大きな議題の一つだった。たまたま、10年ほど前に本を出したときにはパーティーをしたという話を別の人間から聞いていて、なら今回も…と提案した。

大きな宴会や何かのお披露目パーティーの手配をしたことはある。とにかく面倒だ。自分自身が招く側なら事は簡単だが、「招く人間」の代わりに手配するとなると、打ち合わせ項目は倍になる。

出版記念パーティーというものは初めてだ。開催するのも初めてだし、招かれたこともない。

なんとなく、出版社が開催して著者を祭り上げるもんだと思っていた。

以前どこかで、「誰それの出版記念パーティーで○○出版の誰それと会って…」ってなことを読んだことがある。業界の人がワーッと集まってて、著者そっちのけで旧交を温めたという感じだった。

うーん、よくわからないが、とにかく相談した。

そしたら、自分でやると言う。逆に、出版社側の客のリストをくれと言われた。

確かに、「出版記念」なるものは10年ぶりだし、ファンの方々へのお披露目だけで数百人のパーティーになってしまう。

私はどうしたらいいんだろうか。

なにしろ出版業界の知り合いは、少ない。ネットを通じて知り合えた若い編集の人とか、第一線を退いた人くらいしか知らない。

でも、立食パーティーに「知らない者同士」というのは、日本では辛い。それに、やはり「やっと知り合いになれた人を呼ぶ」ってのは、出版記念パーティーにはどうかと思う(当たり前)。

ここは、(日頃は文句ばかり言ってるが)取次に相談するべきか。大手書店などを呼ぶのが一般的なのか。あるいはとにかくマスコミに声をかけるのか。

そもそも、版元が「ご招待」するものなのか。

せっかくだから実り多いパーティーにしたい。これから数ヶ月のうちに猛勉強をしなければならない。

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勉強はしますが、出版記念パーティーなるものについて少しでもご存知の方、コメント欄に「こうだったよ」情報をぜひお願いします(ペコリ)。