出版屋の仕事

知識も経験もコネもないのに出版社になった。おまけに、すべての業務をたった一人でこなす私。汗と涙と苦笑いの細腕苦労記。

ひとり出版社

2005年06月30日 | 出版の雑談
・・・という言葉があるらしい。

前から「へえ、ひとりでされてるんですか。すごいですね~」と(何に対してすごいと言ってくれてるか知らんが)よく言われていた。ひとり出版社というのも、たまに言われた。

それでかどうか知らないけど、「電話1本と机があれば一人でもできる」なんて、もう伝説になっちゃってるのかと思ってた。出版業を勉強してても、大手とか中堅の動向や経営方針なんかが多かったし。

けど、ひとりでやってるところも結構あるんだと最近気付いた。

それで、できれば搬入とか共同でしたいなんて考えて、ホームページやブログを訪問して隅々まで読んだりしてみた。

うーん、ひとり出版社の人たちは、志が高い。それでわかった。ひとり出版社って言葉は、ひとりでやってる以上のイメージを喚起させてるってこと。

自慢じゃないが、私には志なんてものはなくて、「ひそかに夢見る」とか「想像するだけならタダ」程度のビジョンしかない。あ、ストレスを一切生み出さないような楽しい仕事をしているという自負はありますが。

で、あちこち訪問したひとり出版社だが、やはり業界出身者が多いようだ。ひとりと言っても、私のように「作業的なこと」なんかの話は一切せずに、「本作り」に関する見解を述べていたりする。

その本がまた、難しそうな(普段の私だと「小難しそうな」と言うところだが、同業者への敬意を込めて「難しい」とする)本ばかり。文学にしろ哲学にしろ、何千冊も売れることはなさそうな本だが、買った人は確実に満足しそうな本。

コア層狙いなのかと思ったがそうじゃなくて、ご本人がその「コア層」のおひとり…ということらしい。出身大学からも透けて見える。

で、私が歯牙にもかけてもらえなかった「地方小」にもこつこつ納品している。

う~ん、なんとなく近寄りがたい。

業界の方々から「あなたのところもジャンルを決めて、出版社としての色を出せるようになるといいね」とよく言われる。が、今までは営業面のメリットのことだと思ってた。つまり書店でいつも同じ棚の担当者のところにいけるとか、読者が「○○といえば××出版社」と認識してくれるとか。

しかし、もしかすると私にアドバイスをくれる業界の方々、ひとり出版社というだけで、「コアなことをするならやっていける」と思ってくれちゃってるんじゃないか。それ以外では長続きせんよってな親心を抱いてくれちゃってるんじゃないか。

今のところ、うちは充分やっていけてる。取次にも不思議がられるが、やっていってる。だから、他業種の零細企業と同じように、地道にやってれば大丈夫と思ってた。

ただ、まだ4年弱なので、本当にずっとやっていけるかの結論は出てないし、あまりにも「同じようなひとり出版社」が多いのが少々気になる。

できれば最終的には「無借金、取次大手2社の口座」を売りにして、年金代わりに売っ払いたい。そのためにも、これからはひとり出版社についてもう少し勉強してみよう。

書体

2005年06月27日 | 制作業務
生活日報さんからのトラックバック。今頃気付いてすみません。

[書体]Typeface Baton、ある編集者さんによると「いま流行のMusical Batonの亜流らしい」。が、「いま流行の」バトンというものを知らない。知らなきゃいけないのか。ミュージカルに疎い人なら許される無知なのか。

とにかくリクエストに応えてみます。

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Total volume of font files on my computer

DTP系は今は電源落としてるマックでやってるので、立ち上げて何メガとか調べるのめんどくさい。ボリュームというのか分かりませんが、30種類くらい持ってて使うのは3種類くらい。

Typeface using right now

基本的にウィンドウズは全部ディフォルトのままです。

The last typeface(or books about typeface) I bought

忘れた。すごく前に買ったのを今も使ってます。

Five typefaces I use to a lot, or that mean a lot to me

この前の新刊作ってたときは、新ゴとリュウミン使ってました。っていうか、いつもそのふたつ。古いですか? あと昔、会社の名刺に「じゅん」を使ってた。かわいいと思ってました。最近使わないな。

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とにかく! 金をかけない本つくりをしている身としては、フォントはあるもので充分だ。ソフトでさえ、バージョンアップするたびに買うわけじゃないもん。おまけにDTPに詳しくない身としては、失敗しなかったときのやり方を続けるのが一番。冒険はしないに限る。

すごく凝る人のコメントをみたりするけど、書籍で懲りすぎるのってどうだろう。私は読者としても、ビジュアル系の本なら別だけど、一般書籍ではあまり気にならない。大きな違いは分かるけど、「明朝体の中でもこれはどうのこうの」という話にはついていけない。フォント屋さんのパンフレットもきれいだけど、本に使うという目的ではあまり買う気にならない。

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最後に
Five people to whom I'm passing the baton

しばらくぶりの書き込みだったので、バトンなのにブチッとリレーをきってしまったような気がする、すみません。一応、tyokutakaさんがデザイナーなので、ふってみよう。(もう遅いかな)

オンライン書店の不思議 その2

2005年06月20日 | 出版の雑談
本の買い方

前回、オンライン書店について書いたとき流通についてコメントをいただいたので、多少は分かるようになった。それ以後、なるべく取次に尋ねるようにしてるのだが、やはり分からないことは多い。

まず、今さらながらって気もするが、オンライン書店って本当に使われてるんだろうか。いや、本当に「何ほざいてんの?」と言われそうだが、だって実感が湧かない。

確かに出版年鑑だかデータブックだかをもとにした記事なんかに「年間売り上げの何%」とか出てる。紀伊國屋との比較とか。

うちは統計的なことを気にする必要があるような出版社じゃないので、数字に弱くない私でも数字は記憶に残ってない。けれど、「ますます増える」って論調だった。それは確か。

そんなに売れてるのか。みんな、そんなにオンライン書店で買うのか。

ネットで知り合う人の多くが「行ってもほしい本があるとは限らないから、もう書店には行かない」とか、「地方に住んでるので大きな書店がないから、ネットのほうが探しやすい」と言う。それをきいたときは「なるほどな」と思った。

が、中には「散歩がてら書店に行くより、真昼間からブログサーフィンしてる」ような人もいるから、言葉どおり受け取っちゃダメなんじゃないかと思う。昔、「インターネット利用状況を調査したところ100%という結果になった。なお調査はインターネット上でアンケートを・・・」っていうジョークがあったが、あんな感じじゃなかろうか。

なぜかというと、うちの本が「そこそこしか売れてないのにランキング上位」になったり、「ほんの数冊の注文で順位がボンボン変わる」からだ。

コンサルタントみたいな人が自分の本を出すとき「今日の0時にアマゾンで注文を!」とメルマガで頼んだらどうのこうの、という話を前に読んだことがある。確かメルマガの読者は千人規模で、何人それに協力したか忘れたが、10位に登場した(瞬間風速)と言って喜んでいた。

それを読んだとき、は~、そりゃ大変だと思ったものだ。それを知ってたから、どうにもうちの本の動きは謎だ。

それで推測するに…

1.上位何冊かの評判の本は、実際めちゃくちゃ売れている。

2.5位くらいまでの本は、ひとつランクを上げるのに結構な売上を必要とする。

3.実は、書店にないような既刊本をネットで買う人は、意外と少ない。そういう本が100番くらいランキングを上げるには、1冊売れればいい。

4.書店で取り寄せようとして挫折した人が、オンライン書店ではすぐ入手できたとやたら大げさに喜ぶので、いかにも「書店の客がほとんどアマゾンに流れた」ような錯覚を覚える。

こんな感じですが、いかがでしょうか。だって、そう考えないと、この注文数であのランキングはヘン!

ちなみに私はオンライン書店は嫌いだ。

まず、本を手にとって見たい。そりゃ書店で買うときも、取寄せだったら実物を見ないで注文するわけだが、そういうときは別の楽しみがある。オンライン書店では、表紙画像やら書評やら余計なものを見せられて「楽しみ感」が減る。

余計なものといえば、おススメとか「この本を買った人はこっちの本も買いました」系の売り文句も大きなお世話だ。「知らん振りして棚の整理をしてる書店員を、少しは見習え」と言いたい。

ロングセラー

2005年06月14日 | 出版の雑談
本日も納品に行ってきた。

頭を空っぽにしてブイーンと原チャリで走るのは、意外と気持ちのいいもんだ。特に最近は、日販からのおみくじ(注文短冊)の数もトーハンの棚にある短冊も増えてきたので、「行った甲斐」があってシアワセ。

思えば初期の頃、刊行点数が1、2冊で注文がそんなにあるわけはなく、1冊持って王子へ…なんて悲しい旅を何度もしたものだった。

今もたいして多くないけど、コンスタントに補充がある本が1冊と、まあまあ客注がある本が2冊、それに新刊を加えて、どうやら「行き甲斐」のある納品ができる。そりゃ、運送屋(出版納品代行というのか)を外注できるくらいになったら嬉しいけど、私の道楽半分みたいな商売がなりたつんだから、これでよしとする。

積んでった本がさばけていい気分で帰ってくるあいだ、このことをよ~く考えてみた。

要は、コンスタントに売れる本がたくさんあれば、新刊がコケるリスクもある程度吸収できるだろう。うちの場合、ホントに少ない冊数で原価回収はできるから、よほどの失敗をしちゃわない限り、補充で楽に食ってけるんじゃないか。

もちろん補充だけで食うってのはつまらないから新刊を出すけど、食えてたら冒険もできる気がする。コンスタントに売れる本を作るのがいいってことは、前から言われてることだ。

が、コンスタントに売れる本についてよーく考えると、これが意外と難解だ。

私がよく受けるアドバイスに、「1万部売れる本をいくつか出すと一息つく」というのがある。「1万部売れる本」と言われると、そこそこ売れた本というイメージは湧く。バカ売れしなかったけどコケなかった、って感じだろうか。

けれどもこっちは一息も何も、全然「ハァハァ」状態じゃない。「だから」というか「なのに」というか、1ヶ月で1万部売れたらそういう「少々まとまった金」はパアーッと使っちまう。

もっと、世の中の人が「全然売れてると思わない」ようなペースで売れてほしい。例えば10年で1万部。週1回トーハンと日販に10冊ずつ。う~ん、これは嬉しい。そんな本が10冊もあれば、すごく美味しい。

で、10年間細々と売れ続ける本って、一体どういう本だ?

まず文芸作品が考えられるけど、うちの場合は可能性ゼロに等しい。いや、もしかすると著作権が切れた作品をしつこく探せばあるのかもしれないけど、ちょっとやる気は出ない。

次に人文だが、まったく疎い。

ビジネスものだと「経営の真髄」みたいなんだったら読み続けられるかもしれないが、数多いビジネス書の中で光るのは至難の技に思える。

ノンフィクションだと時事ものはダメそう。っていうか、日本のマスコミの「追っかけては忘れる」を考えると、難しそうだ。

そう考えてくると、「バカ売れしてその後も細々」じゃなくて「最初からじっくり細々、けどそれなりに」っていうのは、意外と思い当たらない。一旦売れないと、「週に20冊ずつ」は無理なのか?

ジャンルにもよるだろうけど、1万部売れる本をしょちゅう作る編集者は、結構いるんじゃないか。1万部売れる本を作るためのセミナーなんかも(怪しさは置いとくとして)いっぱいある。けど、「じっくり1万部」は誰も教えてないようだ。

う~ん、うちみたいな異端児は、自分で考えなきゃダメってことか・・・。

常に返本を意識して注文をとる?

2005年06月13日 | 注文納品
知らない間に、このブログをずいぶんサボっていた。

先日、書店に直納した話を書いて、その後の、伝票処理についても書いた。

実はこの注文は著者の勤め先の大学からの注文だった。春先に、採択じゃなくてなんだっけ、教科書用にドサッと納品している。で、今回の3回の直納は教科書じゃないのか、もう少し少ない数だった。5冊、20冊、15冊。生徒数が変わったのか。そういう中途半端な数で、何をそんなに急がなきゃいけないのか想像がつかなかったが、まあよしとして書店に直納した。

大手書店から日販経由で注文が来たってことは、大学の取り分はないはずだ。必要な数しか注文しないだろう。本当は著者の勤める大学なんて、取次も書店も抜きで納品したいところだ。が、大学っちゅうところはいろいろシステムにうるさそうだし、つかまえるのにエライ苦労をした先生に「直接入から大学にそう言ってくれ」と頼んだって、忘れられるに決まってるからよしとした。

普段だったら原付で納品に行くからコストなんかかからないのに、宅配便を3回も使った。

なのに! 最近日販から電話がかかってきて、あのときの都合40冊のうち30冊を返品したいと言う。勘弁してほしい。

こういう場合、大学は『一応恐縮して』返品できますか?と書店に尋ねるんだろうか。書店も『一応恐縮して』取次に尋ねるんだろうか。日販も『一応恐縮して』うちに電話してくるんだろうか。

もしOKしなかったら、日販はただくるっと向きを変えて、書店に「返品不可」と言うだろう。書店は同じようにくるっと向きを変えて、大学に「返品不可」と言うんだろうか。なんとなくだけど、そこで詰まりそうな気がしたので、日販にはOKしちまったですよ。

私の場合、直販の読者は別として、書店の客と書店と取次の中で、一番「仲間意識」が湧くのは書店だ。書店の客は「本の内容を共有する」わけで、仲間じゃない。ましてや大学なんて、ありがたいという気さえあまり湧かない。大学と直だったら「そんなもん、あの先生の研究室にでも入れとけ! いつか売れる!」と怒鳴り返してやる。冗談ですよ。だけど、注文ってそのくらいの責任が発生してると思うなあ。

ちなみに取次の中で仲間意識が湧くのは、トーハンの納品口のお兄さんたちだけである。

とにかく、書店が損になる(今回は想像だけど)ようなことはしたくない。

と思ってたら、直納伝票について詳しく書いてあると教えてもらったポット出版のサイトに、「返品」という読み物があった。返本にかかるコストも「弊社でこれらを厳密に計算してみると、思いがけないほどの金額になりました」と書いてある。ひえ~。さすがに、うちはそれほど大げさじゃない。

「常に返本を意識して注文をとる」ともあった。いや、ポット出版の記事は、書店営業のときの考え方みたいな視点だったので、ちょっと違うかもしれない。けど、今回の3回の注文のときも、そう意識すべきだったのか? 返本って「本を作る側にも原因がある」というが、今回もそうなのか?

電話切ってから思いついたけど、「返品の数に加えてもいいから、大学からきちんと箱詰めで返させろ」と言ったらどうなってたんだろう。ひもの跡とか汚れさえなければ、構わんよ。他に買う人いっぱいいるんだから!

編集者、記者、ライターの一日はどうなっているのか

2005年06月07日 | 出版の雑談
自分のことは出版屋と思ってるけど、ご連絡(トラックバック)いただいたので報告することにする。私じゃまったく役に立たないだろうけど、こういう企画は数が多いほうが楽しいので、よしとする。

本日のわたくし

 9:00~ メールをチェックする。
 9:30~ 取次搬入の準備をする。
10:00  原チャリ「ポルシェ号」にて出発。
10:30  トーハン到着。納品。
11:00  日販到着。納品。
12:00  途中のハナマサで焼きそば(業務用)を買って帰社。
12:30~ 昼食
13:30~ メールと、終わったら次の本の勉強。
18:00  終業

ゲッ! 書いてみると、大した仕事をしていない。普通、著者との打ち合わせとか編集会議とかあるんだろうけど、ひとりでやってると会議はない。半年1冊だと、打ち合わせもそうしょっちゅうない。私の1日としては自慢できる種類の「出版経理」でさえ、この時期はない。

これじゃあ、「一日はどうなっているのか?」に答える意味がない。

だって、次の本の著者とは先月末に会ったときに話が済んでいて、今は原稿待つのみだし。

しかしながら、原稿が来たときに良し悪しがわからないと困るので、これからちょいと勉強をする。著者の業界では大変な人気の人なので、その世界について本やCDを集めてある。めちゃくちゃ奥が深くて、昨日はあっという間に挫折した。本日はもう少し頑張る予定。

言い訳じゃないが(ホントは言い訳だが)昨日はもっといろいろした。直販の荷造り発送もしたし、消しゴム作戦もした。せっかく教わって紙やすりも買ったのに、直近の新刊は上製で、やっぱり消しゴムを使った。カバーを折りまくって、第一次返本部隊(新刊直後の、棚に並ばずに帰ってくるヤツ)を全部さばいた。

ところで本日のトーハンには、補充注文がいっぱいあった。すごく嬉しい。今回の本も相変わらず宣伝してないけど、そのわりに動きがいい。

新刊直後の補充というのは、書店が「とりあえず並べたら売れたのですぐ補充した」状態らしい。昨日改修の終わった2回転目組の本たちを見ながら、「ケッ、置いときゃ売れるのに。バカな本屋だ」と憎まれ口を叩く。客注も嬉しいが、出てすぐ補充がこんなに多いのは初めてなので、やたら強気になる。

そうだ、思いだした! 先週は、新刊を献本した全国紙の記者が来た! 著者への取材を取り次いで、結局うちでインタビューをしたので、横で聞いていた。ある月刊誌から連絡が来て、その新刊案内用原稿も書いたし。

もう、いいや。どうせ、編集者やライターの一日のイメージには程遠い一日だとは自覚している。おまけに今日も、18時にはスッパリ仕事を切り上げて、遊びに行く。どうだ、まいったか。