出版屋の仕事

知識も経験もコネもないのに出版社になった。おまけに、すべての業務をたった一人でこなす私。汗と涙と苦笑いの細腕苦労記。

返本の実態

2005年07月22日 | ただの雑談
・・・とはいえ、返本率がどうのとか流通がどうのという難しい話ではない。消しゴム作戦をしたので、ついでに写真を撮っただけ。

できれば、4つ下の記事から見てください。

ところでこのブログは、本当にコメントをいただけないブログだが、アクセスは結構ある。なので、ちょっとサービス精神を出してカテゴリーの整理をしました。初期の頃の苦労とか、自分で今読むと面白いのでおススメ。

返本4

2005年07月22日 | 返本
こいつは、今回初めてのパターン。

以前、献本が返品されてくると知って、これからはマークをつけてやろうと決心したが、何のためなのか、マークがついた本が返ってきた。

見づらいかもしれませんが、鉛筆で5桁の数字。

いや、そりゃ消えるけどさ~。気分悪いです。当然、短冊に何か書かれるより気分悪い。

ちなみに今回は、赤い線がついた本がないな~。あれ、どうしてだろう。もしかすると例の新しい返本センターと関係あるのか?

返本3

2005年07月22日 | 返本
これは、上製だと避けて通れない。

今回の本は少々表紙の紙が柔らかい。なのでこうなりやすいが、指でぐいっと曲げると元に戻るので、致命傷を受ける硬い紙よりいいのかも。

こんなのは、ひと束に4冊くらいあるので、めげちゃいられない。

もう1度書店に流すという消しゴム作戦の目的からすれば、爪で引っかいたような傷のほうがこういうダメージよりやっかい。

返本2

2005年07月22日 | 返本
続きまして、別の本。

これも結構多いパターン。

短冊に何か書いてある。

以前、オビは商品の一部とは思わないという書店さんのブログを読んだが、短冊なんて、もっと思わないんだろう。版元として言わせてもらうと「全部商品」に決まってるじゃん! 金払って作ってるんだから。

とはいえ、忙しい(らしい)書店業務、この程度は許す。というか、「あ、スリップ差し替えなきゃ」と分かりやすいので、どうせならここに書いてほしい。

返本1

2005年07月22日 | 返本
初めてトライする画像アップ。ひとつの記事に1枚の写真しか選べないのか?

ともあれ、本日も消しゴム作戦をしたので、どうせなら見ていただこうと考えた。

返ってくる本は、だいたいこんな感じ。カバーの端がビロビロ、上製本だと表紙の端に何らかの傷あり、短冊がちょろっとはみ出て少々汚れ。

小社

2005年07月12日 | 出版の雑談
本日は小ネタ。(いつもですか、そうですか)

出版をする前にもうちの会社は他の事業をやってて、私自身はそれ以前は個人事業主だったりサラリーマンだったりした。なので特に自分のことを「社会を知らない」人間だと思ったことはない。

で、最近なぜか「小社」という言葉によく遭遇する。出版を始めてからだと気づいた。つまり同業者の情報が自然に入ってきて、その中で遭遇してるのだ。

なぜそんなことに気づいたかというと、違和感があったから。

普通、「弊社」って言わないか?

私は何の疑問もなく、ずっと「弊社」を使ってきた。友人がいるので、神社関係で「小社」を使うことがあるのは知っていた。使い方が違うけど。

本の最後に、「製本がどうたらこうたらのとき、送料小社負担でお取替えいたします」とあるのも知っていた。活字中毒なので結構隅々まで読むから、覚えてた。ついでに言うと、出版を始めたとき「東京振替」ってのがカッコよく思えて、郵便局で口座まで作ってしまった。

それはいいとして「小社」。ちなみに、取次は「弊社」を使っている。

辞書を引くと、「小社」は自分の会社の謙称、「弊社」は自分の属する社の謙称、とあった。んん、ミソはここか?

出版社の人は「自分の会社」という意識が強いんだろうか? 一瞬そう考えたけど、今どきのサラリーマンなんてどこも同じなような気がする。

昔はひとり出版社が多かったのか。それとも出版社を「興した人」だけが、外部に向けて発言していたのか。

実際問題、株主や社長以外の人が、勤め先のことを「小社」と呼ぶのはOKなんだろうか? いや、別に大株主や社長から、「てめえの会社じゃねえだろ」なんて怒られないだろうし、社員が「自分の会社」と思ってくれるのは嬉しいだろうけど。

単なる慣習なんだろうか、「小社」。

ついでに言うと、なぜ「本書」と言わなきゃいけないのか? 一度、結構柔らかい本だったので「この本」を使おうとして却下されたことがある。「この本」はダメなのか?

関係ないけど、船舶業界では「本船」という。最初、「サブ船」でもあるのかと思ったら違って、どこの船を呼ぶときも使う。それも、「この船」という意味じゃなくて「あなたんとこの船」ってときも使う。このときは、変な慣習だなと思ったけど、理由は追求しなかった。

まあ、「この本」にこだわりがあるわけじゃないから、「本書」は別に構わない。でも、「小社」は、ちと気になる。

誰が本を傷めるのか

2005年07月08日 | 出版の雑談
未公認なんですぅでの「オビ云々」記事からあちこち行ってみた。もともとは、傷んだオビがついている本を買いたいか、売りたいかって話。

ちなみに私が過去に帯について書いた記事。装丁のこだわり その2

あちこちのブログに行ったのでどこで読んだか忘れてしまったが、「版元の倉庫で本を投げたりしているのを見た」とか「取次のバイトの人」とかの記事が印象に残った。

つまり「本を傷めているのは、あの人たちじゃなかろうか」という話。

私が思うに、あちこちでいろんな人(版元・取次・書店・買わない客)が「あっ、しまった!」とやってしまうんじゃないか。で、その本が、流通の場(読者の手元じゃなくて)に存在しているだけだと思う。

版元で「あっ!」と思った本は、結局そのまま取次に納品される。取次で「あっ!」と思った本も、結局そのまま書店に納品される。書店で「あっ!」と思った本は、売れなければそのまま取次に返品される。で、その過程でいろんな人が目にして、「なんでこんな帯が切れた本があるんだよ!」と思うことになる。これが私の想像。

たまに常識はずれの書店員の話なんかも聞くけど、そもそもそんなに本が嫌いなら書店なんかで働いてるはずがない。ちょっとその日の機嫌がよくなかった店員を、誰かがたまたま見てどこかに書いて…ってなことじゃないかと思う。

もちろん例外もあるだろうけど、返本が無傷なことはほとんどないってことを考えたら、ほんの一部の例外的書店員が原因じゃないはずだ。だってうちの本がみんなその人の店から返ってくるわけじゃないもん。

最初のうちは、取次の流通過程に問題があるのだと思ってた。

けど、トーハンのお兄さんたちはいつも丁寧だし、日販の王子の3階でスーパーのレジみたいなことしてる人たちも黙々と仕事してるし、ベルトコンベアーの脇にいる人たちも、普通にやってる。どちらのフォークリフトも「フォークリフトオリンピック」でメダルを争いそうだが、速いからといって扱いが雑なわけじゃない。

じゃあ版元かというと、違う。本なんて投げたって傷つかない。空中を飛んでる間は、絶対傷つかない。床なんかに投げつけない限り、傷つかない。一見許しがたい扱いのように思えるけど、よく考えてほしい。

私が接する人たちの中で一番怪しいのは、取次の搬入口で、「自分が持ってきた本を入れるために、先に入ってる別の版元の本をどかす」人。たいがいが運送屋だ。

それ以外の人には、実際のところ、捕まえて罰するほどの悪人はいないように思われる。なのに、傷む。不思議。

ところで私はオビ嫌いだが、つけて販売した本もある。そのときはオビもカバーと同じ紙にして、PPもつけた。オビだけが傷むってことは全然なかった。

誰かが言ってたけど、オビだけ発注することができないんなら、そのくらいの工夫はするべきだと思う。営業マンが全国に散らばってて付け替えまくってるなら、構わないけど。

配本先に図書館が・・・

2005年07月04日 | 出版の雑談
たまに、パターン配本という言葉を耳にする。なにやら取次で「この出版社だと、どこの書店へ何冊」という決まりに合わせて配本することらしい。

また「らしい…なんて言って、知らなきゃきけよ」と怒られそうだが、知らなくても構わないこともあるのでいいやと思っていた。

このパターン配本については、どうせ日本全国の書店を知り尽くしてるわけじゃないし、書籍の動きなんてもんは、私より取次のほうが詳しいし…と思ってた。なにしろこちらは、自分とこから出した6冊の本の動きしかわからない。返品や納品をしてるから、売上表なんかを見せられるだけの社員編集者より、「実感」として本の動きが身についてるとは思うけど、各書店さんレベルの話になるとさっぱり分からない。

だから、取次様の思ったように配本してくれて、何の問題もないと思ってたのだ。

なんか、どこに何冊配本したかのデータをもらうことはできるが、タダじゃないってな話も聞いたような気がする。金払ってどこに送ったか分かっても、その後どこから何冊返本が来てるか分からなきゃ、意味ない。

余談だが、どこの書店が返本してるのか、結構知りたい。特に、短冊にボールペンでメモ書きしてる書店はどこか、知りたい。知ったって、「売っていただいてる」書店に対して何かするってわけじゃないけど、何となく知りたい。

ところで前回の新刊は、図書館流通センターのストックブックスに選ばれてない。すごく図書館向けと思ったし、その後、図書館からの注文がけっこうあったから「へっ、ざまあみろ」と思ったが、とにかく選ばれなかった。

なのに、このあいだの返本の中に図書館用の黄色い短冊がついたものがあった。よく見ると「新刊見計い送品分」と書いてある。

なんか、だまされた気分だ。

ただでさえ少ない新刊配本数なのに紀伊國屋とかには結構入ってるのを知ってるので、うちの本を手にする「書店数」はめちゃくちゃ少ない。その上、めちゃくちゃ少ない配本数のうちの何冊かを書店じゃないところに送られてるってのは、どうにも気分悪い。

しかし気分悪いといいながら、書店に行こうが図書館に行こうが、売れたら同じ。売上としては変わらない。

だから、今回も「黙っている」ことにした。

以前、本を出したいと言ってきた人の原稿がスゴイ低レベルで、「これじゃあ書店では売れない」と言ったことがある。本当は「誰も読まない」と言うべきだったけど、出版業界の人って「書店で売れない」って言い方を結構するもんだ。おそらく私も無意識のうちに真似してた。

それと同時に、出版業界の人って「多くの読者に読んでもらいたい」と言う。けど、図書館で借りて読む読者の懐は痛まない。

全然根拠がないんだけど、まず「金を出してでも」読んでもらえるかって問題があって、「タダなら読むか」はその後に来ることのような気がする。

出版業という商売が成り立つかどうかとは関係ない。だって成り立つには、コスト削減とか他のやり方があるから。

それより何ていうか、本の価値っていうか・・・。

書店員さんが「この本は売れるから(返さないで)棚に置こう」と思ってくれるのと、図書館員が「この本は借り手がいるだろうから(返さないで)買おう」と思ってくれるのと、微妙にありがたみが違う。

いや、両方とも嬉しいんですけどね。なんとなく、吹っ切れない。