出版屋の仕事

知識も経験もコネもないのに出版社になった。おまけに、すべての業務をたった一人でこなす私。汗と涙と苦笑いの細腕苦労記。

ランキング

2007年03月30日 | 出版の雑談
いつも楽しみに読んでいる出版業界の人たちのブログのあちこちで、超多忙という記事を目にする。同じ理由か知らないが、私も超多忙。(超多忙ならブログ訪問はやめろってことだが・・・)

本日は棚卸し。今期は2冊の新刊を出して、在庫は総数で100冊くらい増えていた。これって頑張ったと言えるだろうか。

最近会った出版社の人が「類似本のアマゾンのランキングをチェックしている」と言っていた。そこもうちと同じく、パブラインが見られないくらいの小規模である。

で、その彼が「あの本はよく売れている」とかどうとか非常に詳しいので、私も類似本ならぬ自社本のチェックを始めた。うちの場合、日販からのNET注文が楽天でなくて全部アマゾンだったと仮定しても、今の時期は多くて数冊だ。

それでどのくらい上がるかというと、ドカンと上がる。何十万位から一万台とか。

以前、このことについて考えたとき、「おそらく100位以内は激戦であろう。1万超えたら大した差はなかろう」という結論をとりあえず出した。100位以内に入るような本がないので、最近のチェックでも印象は変わらない。

で、その彼にそう言っんだが、なんか話がかみ合わない。彼にとっての1万台とは、「もっと売れている」ことらしい。ジャンルによって違うんだろうか。

許される誤差

2007年03月23日 | 制作業務
新刊の制作がほぼ完了。「ほぼ」というのは、明日印刷会社に行って念のためにもう一度確認するから。「もう一度」というのは、またポカをしたからである。

この印刷会社のときばかり、ポカをする。・・・と思ったら、前回2回は本当のポカだったが、今回は久しぶりに、マニュアル系のページレイアウトが複雑な本だったからであった。

ページぎりぎりのところに文字とか入れてたら、オペレーターからダメが出たのがひとつ。ある画像に背景が入ってしまっていて、そこだけ白になってしまっていたのがひとつ。

ま、やり直しするなら1個も2個も同じである。

画像に関しては、イラストレーターさんからもらったファイルを、大きさを変えて使っていた。うちのドットプリンタでは背景がなくて地色が出ていたので安心していたら、ダメだった。慌ててクリッピングパスを作成。

ページぎりぎりに関しては、ちょっと微妙な気がする。

担当者から「何か問題があるそうなので、とにかく校正刷りを見てくれ」と言われて印刷会社に行ったら、ちょうど彼は席をはずしていた。こっちも搬入帰りに寄るので、厳密なアポとかはとってないからしょうがない。作業が進めばOKなので、工場フロアまで行ってオペレーターを捕まえた。

曰く、こういう端っこに文字とかノンブルがあるのは、誤差が出る関係でよろしくない。ページの端からは、少なくとも3ミリ離すように。

私は土建屋出身なので、「品質をごまかしやすいデザインにする(品質をごまかすんではなくて、ちょっとした品質のバラつきが目に付きやすいデザインは選ばない)」という心構えはある。オペレーター氏が言うのも同じことで、「変にページの端ぎりぎりのところにあると文字が切れたりするから、それは避けよ」ということだ。

が、土建屋のときのスタンダードは、例えば1メートルにつき2ミリとかのバラつき。それも、内装とか害のないトレードの話。橋とかになると土木なので詳しくないけど、もっと少ないと思う。悪いけど、たかだが128ミリの本で3ミリもズレられるなんてことは想定していない。

会社に戻ってから、オペレーターじゃなくて担当者に電話してきくと、まあ、3ミリってことはないと言う。1.5ミリ。それだって、「128ミリ中の1.5ミリ」で、私にとっては納得のいくものではない。

と思ったら、印刷ではなくて製本所の問題だという。考えてみれば、4色の版下をビシッと揃えて印刷するんだから、印刷工程で1.5ミリの誤差なんか出るはずはない。

知り合いに、企業が入ってるビルの清掃業務を請け負ってる人間がいる。彼曰く、「昼間(社員がいるとき)に入ると結構ラクだけど、夜中に入るビルは汚い」。つまり、掃除をしているオバサンを知っている社員は、ゴミをめちゃくちゃ捨てたりトイレを汚したりしないが、清掃人を目にしない会社だと、平気で汚すらしい。街で「他人には失礼なことをする」人たちと同じ感覚になるんだと思う。

うちは印刷会社に製本込みで頼むので、製本会社とは直接会ったりしない。掃除のオバサンと同じ理屈か。

でもな~、この前製本所の見学に行ったとき見たけど、機械を設定して後は流れ作業なのに・・・。彼らにとっては、128分の1.5ってのは、「許される誤差」なんだろうか。

ま、文句を言ってもしょうがないので、データを作り直した。で、その校正刷りの確認に、明日(土曜日だ!)、また印刷会社へ行く。

本当はバイク便を使って往復すれば行かなくてもすむんだが、私はそういうのは気が進まない。行ったら他の話もできて何でも勉強になるし、「この3月はなぜか印刷会社はどこもめちゃくちゃ忙しい」ことを知らなかった私のせいだと思うから。

今回みたいなケースに限らず、担当者にうちまで来てもらおうとすると、納期が延びる。他の仕事もしながら校正刷りを届けたりするんだから、当然といえば当然。だから、私が行ったほうが早い。

実際、印刷プローカーに頼んで、値段だけは安くなるけど納期はもっと延びるってこともよくある。急いでないときはそのほうがいいんだが、今回はしょうがない。

画像処理の件がなかったら「そんな誤差は許さない!」と言ったところだが、そう、1個も2個も変わらないので、こういうことになった。

来月に入ったらゆっくり休みたいところだが、今度は営業が待っている(涙)

採用品と献本

2007年03月13日 | 注文納品
印刷会社に今度の新刊の見積りをお願いしていたら、出版を始めた頃によく頼んでいた会社の人から、「スリップにバーコード載せるの、知ってます?」ときかれてしまった。当時いろんな失敗をやらかして、そのたびに「急いでデータを作り直して持ってって、刷り直してもらって…」をしたので、危なっかしい版元だというイメージがあるに違いない。大丈夫、こんな私も少しは成長した。そのへんは抜かりない(つもり)。

さて、採用品の季節である。うちは、採用品になるような本は1冊だけしかない。

ドカンと注文が来るのは嬉しいが、別にいろんなところから来るわけじゃない。著者の学校だけである。教科書というより、一般の書店で買ってもらいたいと思って作ったので、それはしょうがない。

当時、著者は「教科書にすればバカスカ売れる」と言って私を煽ったが、期待したほどではなかった。他の学校に採用されなかったからではなく、学生数が少ないからである。私はデカイ大学(レベルは別にして)に行ったので、1クラス300人くらいいた。そのつもりでいたら、なんと「いろんな学科の生徒に売りつけても100人ちょっと」だった。でも、嬉しい。

ところが今年初めて、他の学校からも注文が来た。こちらはもっと少なくて20冊程度で、どうやら専門学校らしい。もう出してから数年たってるんだが、探し出して採用してくれたということだろうか。

話は飛ぶが、トーハンに注文納品に行くと、Sとか東というふうに番線ごとに本を置く場所が決まっている。2個口のときは違う場所…ということをようやく学んだのは、ある本がある書店さんでめちゃくちゃ売れたときだった。

で、本日また2個口のところに置いて伝票を渡したときに、「採用品はどうのこうの・・・」と書かれたポスターに気づいた。もしかして置く場所も別かも…と思ってお兄さんにきいたら、やっぱり別だった。慌ててチェックしたら、別のお兄さんが正しい場所に移しておいてくれたようだった。ありがとう、イケてるお兄さんたち。

話が飛んだついでに言うと、伝票も別なんだそうな。日販だと書き直しを命じられるんだが、トーハンの受品口のお兄さんは結構裁量権があるらしく、今回はOKとなった。

で、本日の納品とは別の(著者の学校の)採用品だが、「献本のお伺い」がついていた。

これまでの実績は、「1年目:採用品扱いじゃないのか、慌てて日販から電話が来ていっぱい書店に直納する」、「2年目:日販から注文FAXが来て、まとめて納品する」、「毎年、それプラス30冊くらいの注文が来て、それは購買かどこかで売るらしいが、こちらは返本もいっぱい来る」という状態。

さあ、献本をどうするか。

いっぱい買っていただくんだから、その中の1冊はおまけしてあげるのはやぶさかではない。けど、この著者の「大ほら吹き」に製作中も売ってるときも翻弄されてるので、どうしても「なんだよ~、ただでよこせってか!」と思ってしまう。

まして、金を出して買うのは学生(の親)だ。

だいたい、献本分も書店さんの売上になるんだろうか。1冊多めに納品してあげて、書店も取次も儲からないんであればつまらない。

そういうと、「読者」の話になってしまうが、普通の「本屋さんで買ってくれる読者」はありがたい。けど、学校の教科書は通常の読者とは一緒にならないと思う。

この本の場合、毎年のことだから「先生の分」ってのはありえない。著者は同じのを使っているはず。となると、学校を儲けさせる必要ってあるのか? 学校がこの本を選んだんではなくて、著者の指定だというだけのことだ。

1冊分なんか、儲けだろうが何だろうがたかが知れている。そもそも、在庫の中の1冊をただで納品することや、献本お願いと言われてそれを断るための「こちら側の心理的処理」なんか、どうでもいいことのように思われる。

でも、どうしてもいろいろ考えてしまう。

在庫

2007年03月09日 | 出版経理
新刊のDTP、ようやく完了。

1番楽しい工程であるカバーデザインも完了して、本日出力しにキンコーズへ。印刷物を扱っている業種なのに、ちゃんとしたプリンタがないのが情けない。が、うちの規模では「してはいけない設備投資」なので、データを持って毎回通う。

あの店はいつ行ってもいろんな客がいるが、デザイナーとかなんだろうか? デザイン事務所だとちゃんとしたプリンタは持っていそうな気がするから、普通のオフィスの人たちなんだろうか。

で、それとは全然関係ない話だが、在庫。今回は在庫情報ではなくて、本当の在庫の話である。(もうすぐ決算なので・・・)

以前から、「在庫=悪」、「在庫=即<悪者>」みたいな言い方に疑問を感じていた。うちの在庫は少ないので、保管に大したコストがかかっていないせいもある。

毎年棚卸しをして在庫の経理処理もするんだが、あまり「損してる」という気がしない。実際は、当期に限って言えば「仕入から在庫分だけ引く」わけで、当然利益が上がる(納める税金が増える)。けれども翌期に洗い替えをするから、どっち(今期か来期か)がより儲かるかって話だと思う。

その考え方をある税理士の人に説明したんだが、どうしてもうんと言ってくれない。巷で言う「在庫=悪」が正しいと言う。会計士と違って「払う税金」のこと担当だからかな、とも思う。

で、何度もやり取りするうちに、ようやくわかってきた。

在庫のすべてが「そのうちに売れるもの」ではないということ。うちの場合は幸い大部数を刷ってないので、「このくらいは在庫として持っていたい」という数になっている。

ところが今期初めて、在庫と呼ぶより「売れ残り」という本が出てきた。これが、巷&税理士の言う、悪い在庫である。

口座貸しをした本なんだが、特に力を入れてそういう商売をしているわけではないので「手数料の料金体系」なんてちゃんとしたものはない。とりあえず書店に流してほしいという相手と「適当に合意した」条件で扱った。

あるとき損益分岐点を超えたのでホッとしてたんだが、「キャッシュは取り戻したが、在庫がある」ことに最近気づいた。うーん、山のように返品されてきた本については、話し合っていない。お互い、「損を出さない」ことだけ気にしていたというか、ようするに決算期には「BSがP/Lに繋がる」ことなんか、全然考えていなかった。(出した人も、もっと売れると思っていたに違いない。)

そこまで考えてわかったのは、やっぱり「適正在庫数」についてよく考えなきゃいけないということ。

以前どこかのセミナーで、「これからの出版は、パッと出してさっさと売って在庫ゼロにして絶版にする」のが正しい道のように講師が話していた。

うちとしては、新刊時期を過ぎてスローになったペースで3年くらいもつくらいの在庫がほしい。新刊時期を過ぎるときに損益分岐点を超えることを、常に目標にしている。だから、その後の細々とした注文に「3年くらいは応じたい」というのが根拠。

以前品切れになった本が、最後の最後になって在庫が「ゼロ、1、ゼロ、2、ゼロ、1・・・」と結局しばらく注文には応じられた。だから、3年のつもりでいたら5年は流通させられるような気がする。5年で「品切れ」という名の絶版にするなら構わないと思う。

もちろん、半永久的に売れ続ける(半永久的に増刷できる)本を作れたら、もっと嬉しい。

来期の課題とする。(さあ、この悪い在庫、どうしよう・・・)