出版屋の仕事

知識も経験もコネもないのに出版社になった。おまけに、すべての業務をたった一人でこなす私。汗と涙と苦笑いの細腕苦労記。

スピード

2006年07月25日 | 営業
ちょっと日にちが経ってしまったが、出版営業のセミナーのこと。

「これからのマーケティング」みたいな(うろ覚え)サブタイトルがついていた。出版社の営業をしている人に教えてもらったセミナーだったので、バリバリの営業を想像して行ったんだが、ちょっと違った。違ったんだが、それはそれで非常にためになった。

マーケティングというより、経営の話だったように思う。セールスではなくてオペレーションという意味では、確かに営業ではあるが。ただ、セミナーの名前で上司に行け!と命令された営業マンなんかには辛かったんじゃなかろうか。

その中で、流通の速度みたいな話があった。(数字はうろ覚え)

10冊平積みされていた本が、パパッと5冊売れたとする。で、出版社に5冊の注文が行く。その注文が書店に届くときには、さらに3冊売れてしまっていたとする。売行きとしてはいいことなんだが、残りの2冊は棚差しになっているはずだ。そこへ5冊届いたときには、平台は他の本で埋まっている。で、その届いた5冊は多すぎるので返されてしまうだろう。

そんなような話だった。つまり、10冊のうち5冊がパパッと売れた時点で5冊補充して、平積みをキープしなければならない。どんどん売るってのはそういうことだ、と。

聞きながら、それは日本全国の書店のデータを毎日追ってかないとできないなと思った。システムでも組んであって「昨日大きな動きがあった書店リスト」が出てくれば、毎朝チェックすればいい。けど、普通は書店からもらえる(買える)情報は「各店舗の売れ数と在庫数」くらいじゃなかろうか。営業部員ってのは、毎朝いくつもある大手チェーンのそれぞれのデータを見てから動き出すんだろうか。

どのみち、パブラインも見られないうちには関係ない話なのである。そもそも、平積み自体、滅多にない。

それにしても、講師の言う「マーケティングを頭に入れた」行動を各社がとると、結局「平積みの取り合い」が激化するだけで、巷で言われているような「本が売れない」という問題の解決にはならないような気がする。「本屋さんに行って面白そうな本を買う」ってな本好きが普通にする行動が、あまり買わない人に広がるとも思えない。それに、日本全国の平台の面積は限られてるだろうから、ただのシェア争いにもなってしまう。

最初に書いたように、「あんたの会社が生き残るには」という感じの経営的セミナーだったので、そう思って聞くと何も問題はないし、業界全体の心配をする暇なんかうちにはないんだが。

で、取次から受け取るおみくじ短冊に喜んでいるレベルのうちとしては、本当に関係ないと思ってたんだが、実は本人も知らないうちに実践していた。

例の、挨拶に行って直納もしますと言ってきた書店さんから、すぐに「直納のお願い」電話がかかってきたのだ。で、翌日どさっと届けた。そしたら、また電話がかかってきて、また日をあけずにどさっと届けた。そんなことがここんとこ4回続いて、とてつもない数が売れた。とてつもない…というのは、他の書店との比較で、二桁違うのである。

そうか、あの先生が言ってたのはそういうことか、と納得がいった。

一瞬、こういう書店を増やせばいいんだなと考えたんだが、ちょっと待てよ。もちろん、「仲のいい書店」はどんどん増やしたい。が、取次経由で納品してたら、直納のスピードは無理だ。だからと言って毎日届けたり送ったりしてたら、取次と取引する意味がない。それを広げると最後には書店との直取引の話になってしまう。

それはそれで別の問題がいっぱいある(トランスビュー社についていろいろ読んだ。大変そうだ)だろうし、営業嫌いなので成功もしないだろう。

とりあえず、無理をしないためにも、「どんどん増やす」んじゃなくて、「少しずつ増やす」くらいの気持ちで頑張ろうと思う。

事故

2006年07月18日 | 出版の雑談
日販からくるおみくじ封筒(注文短冊が送られてくる封筒)は、こちらで住所を書いて切手も貼って日販に持っていく。別に送ってもいいんだが、搬入に行くついでに持っていく。

ネット受品口の横の階段を上って、ベルトコンベアの前で作業をしている人たちの間をぬって、食堂みたいなところの横を通って、目的地にたどり着く。

今までは気づかなかった(迷わないようにするために余裕がなかった)んだが、いろんな張り紙がしてある。よく見ると、「事故を減らそう」みたいな張り紙だった。

行き(封筒を届ける前)は、ベルトコンベアは危ないからなと思ってたんだが、今思えば、そういうことではないらしい。

以前読んだ本だったかに書いてあった、「書店への配送間違い」のようだ。月間何冊以下を目標とするみたいな数字が、その張り紙に書いてあった。私は数字に弱くはないんだが、見たときに何の数字か理解してなかったので、よく覚えてない。(32冊だったような気もするけど、もっと少なかったら日販さん、ごめんなさい)

ベルトコンベアの人たちは、(おそらく書店に送られる)箱に本を詰めているんだが、詰め間違えちゃうってことだろうか。

最近、書店の人が書いた本を何度も読んだりしたんだが、「注文どおり来ない」ことは、小さい書店ではよくあるらしい。前にも、角川書店のニュースで「注文どおり納品する」ってな話が出て、結構あることなんだとわかった。

けれど、そういうのは版元や取次のインテンショナルな減数で、日販の張り紙の言う「事故」は、これとは違うような気がする。

じゃないと、32冊(うろ覚えだが)という数字が合わない。あんな広いスペースで毎日全国の書店向けに箱詰めをしている人たちが、減らそうと思って減らしてる数が32冊(うろ覚えだが)ってことはないと思う。もっと多いと思う。

となると、32冊という数字は、あんな人海戦術をしているにしては少ないんではなかろうか。(いや、32冊じゃなくて320冊だったら意味のない話なんだが)

もちろん、日本人は几帳面で、品質管理体制がきっちりしていると凄い結果を出すことは知っている。でも、毎日300冊の新刊と山のような既刊が、全国の書店に配られることを考えれば、すごい優秀な数字のような気もする。

ちょっと調べてみたら、トーハンの新しい返本センターじゃなくて配送センターは、事故率10万分の3以下を実現しているらしい。やっぱり、すごい数字に思われる。

そりゃ、ないに越したことはないけど。というか、うち(版元)としてはあまり実感の伴わない被害なので、そう思うのかもしれないが。

出版業界全体で売上が2兆円だかなんだかだったような気がするが、返品率が40%として、3兆円に迫る分の本が流れていくってことだ。仮に日販のシェアが4割として1冊千円として、月に9千万冊である。9千万冊あたり32冊。あれ、この計算、合ってるんだろうか? トーハンと一桁違うな。

そんなことはいいとして言いたかったのは、事故率は非常に低いのに、ありがたがってもらえないのは、やっぱり「減数」のせいじゃないかと思うのだ。減数に限らず、「いらない百科事典はいっぱい送りつけてくる」とか、とにかく書店の注文どおりに配本されないという事実。

これが、実は「意外と低い事故率」を霞んで見せているんじゃないか。

今、あることがきっかけで取次のありがたみを再認識している。が、いろんなことを「決まりどおりに」やってくれたら、もっと評価が上がるのに…となんとなく思ってしまう。

減数に関しては、大きなお世話かもしれないが・・・。

ただの報告

2006年07月11日 | 出版の雑談
先週出版営業のセミナーに行ったのでそのことを書きたいんだが、どうもバタバタしているので別の日に。

とりあえずどうでもいいことを書くと、その出版営業のセミナーの会場が、私がずっと前に行った「出版経理の基礎」講座の会場だった。行くまで気づかなかった。岩波アネックスというビルで、出版経理を勉強しに行ったときは、「ただの古臭い書店」だと思っていた。(いや、岩波書店くらい知ってたけど、何のビルなのかよくわからなかったし・・・)

相変わらず古臭い。古い紙の匂いがする。3階までどうやって行けばいいのか、案内がない。2階のおばちゃんも親切には教えてくれない。誰でもわかってると思ってるんだろうか。

もうひとつどうでもいいこと。

トーハンの受品口のお兄さんに異動があったようだ。イケてるお兄さんのうちのひとりがいない。先週もいなかった。辞めちゃったんだろうか。

何もわからない頃からずっと、「決して邪険にしないで接してくれる」のは、この受品口のイケてるお兄さんたちだけだった(多少の被害妄想あり)。

いなくなったお兄さんは特に、伝票のことやらいろいろ優しく対応してくれた。6階(だったかな、すぐ忘れる)の仕入窓口に行く度に、あの人がこっちにも座っていてくれたら…と思うくらい。いや、「そのくらい6階(?)にも通えよ」ということなんだろうが。

ちなみに、日販の王子DC(←やっと名前を覚えた)の検数おじさんも、ちょっと前から違う人になった。武田鉄矢氏はもういない。

値段の表示

2006年07月04日 | 出版の雑談
先日ようやく、以前からの希望だった「水仁舎」さんを訪ねることができた。(「水仁舎」さんのリンクは、このブログの下のほうにあります。)

最初は、「なんとかして傷まない本を作れないだろうか(細かいところを製本所に指定したら傷みが少なくならないか)」と、本作りをしている人たちのHPを訪問して見つけた。

ところがこう見えても私はモノづくりが大好きで、「水仁舎」さんの「流通に乗せる本とは違う、残しておく本」に、いっぺんにはまってしまった。今私がやってる出版とは、直接のつながりはあまりない。今やってる出版でイライラしたりギスギス感に悩まされると、ちょっと彼のブログを見にいったりして気分を変えている。

その仕事場を見せてもらいたくて、ずっとうずうずしていた。が、私のスケジュールに余裕があるときには彼が忙しそう(ブログを読んで探っていた)だったりして、なかなかチャンスがなかった。先日ようやく車で出かけていった。

そこでいろんな話を聞いたんだが、その中のひとつ。「商品に値段が書いてあるなんて、流通している本くらい」。服とかカバンにはついてない。

実は私は、あまりそのことを考えたことがなかった。

カバーデザインをしていて、「バーコードを作る」のが面倒ではあるが、邪魔だとまで思ったことはない。デザインを壊していると感じるほど、アーティーにこだわってないからだ。表はともかく、裏のデザインなんかはほとんどこだわらない。「もうすぐ全部(データが)出来上がる」ってな感じで、手抜きモードに入っているときもある。

直近の本は、カバーは包装のためというコンセプトで装丁を考えたが、結局は「カバーなしではちょっと…」という感じになってしまった。

それはそうと、例の「出版のこころ」という本に、全然違う観念が書かれていた。カバーなんかでなく、きちんと奥付に価格を表示せよ。つまり、書物というものは、内容と装丁と発刊の時期と当時の値段を一体にして残すことで、文化資料的価値も生む、というのだ。

私は文化資料的価値のために本を出したいとはこれっぽっちも思わない。が、かといって、なんで奥付だけに定価を書かないかも、考えたことがなかった。

最初に出した本を頼んだDTPデザイナーが作った奥付のフォーマットを今でも使っていて、そこに「定価はカバーに記載してあります」と書いてあったのでそのままになっている。

別に奥付に書いたって、何の問題もなさそうだ。

ほとんどの本で「定価はカバーに・・・」となっているということは、突然カバーだけ刷り直して値上げしてもいいってことだろうか。