MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

お薦めの自己啓発本

2011-06-26 01:07:18 | Weblog

パターンは4つ? 自己啓発本との良い出会い方は?(R25) - goo ニュース

 自己啓発本と呼ばれているものは読むだけ時間の無駄だと思う。例えば、パターン1の

「願いは叶う!十分強く願いさえすれば」という文言は、もしも願いが叶わない場合は、

「それは願いの強さが十分ではなかった」と言われればそれまでであるし、パターン2の

「無意識を有効に使おう」という提案は、思い通りにならないものが無意識なのだから

意味がない。自分の時間を上手く使える人は自己啓発本を読まなくても有効に使っている

はずだし、自分に“強み”があるならば最初から使っているのである。私がお薦めする

唯一の“自己啓発本”は勢古浩爾の『ビジネス書大バカ事典』ぐらいである。もちろん

自己啓発本のバカバカしさを確認するためである。


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何も調べない人

2011-06-25 00:05:03 | Weblog

皆で肩組んでやろう…五輪立候補要請に石原知事(読売新聞) - goo ニュース
石原都知事五輪招致表明も日本の外交ベタ依然解消せず(夕刊フジ) - goo ニュース

 2011年6月14日の読売新聞のインタビューに石原慎太郎が答えている。「東日本

大震災を経て、「戦後」とは違った時代に入ったとの見方もある」との問いかけに、

「戦後というより、自立していない、自堕落な平和が終わったんですよ。物欲、金銭欲、

性欲。『我欲』が氾濫した。喪失したストイシズムを取り戻さなきゃならない」と答えている。

まだ大きな余震の心配をしている現在、2020年の夏季五輪を東京都に招致する余裕が

あるとは思えないのであるが、東京都に招致するくらいならば、まだオリンピックが開催

されていない国に譲るという事が“我欲”を捨てるという事であろう。国際オリンピック委員会

に日本人委員が不在になることを石原は分かっていないと思う。石原は何も調べないから。


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『東京公園』 60点

2011-06-24 23:00:57 | goo映画レビュー

東京公園

2011年/日本

ネタバレ

‘高尚な作品’の難解さについて

総合★★★☆☆ 60

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 2011年7月号の『群像』において『東京公園』に関して青山真治監督と映画評論家の蓮實重彦氏が対談をしている。とても興味深いものだったので、気になったところを箇条書にしてみたい。
 『都会の女』(F.W.ムルナウ監督 1930年)、『渇き』(グル・ダッド監督 1957年)、『大地の子守歌』(増村保造監督 1978年)、『ファンタスティック Mr.FOX』(ウェス・アンダーソン監督 2009年)、『阿波の踊子』(マキノ雅弘監督 1941年)、『宗方姉妹』(小津安二郎監督 1950年)、『サバイバル・オブ・ザ・デッド』(ジョージ・A・ロメロ監督 2009年)、『奇跡』(カール・テオドア・ドライヤー監督 1954年)などの作品を取り上げながら、蓮實氏は『東京公園』を青山監督の「グリフィス回帰」と捉え、こたつの上に置いてあったワインの瓶を「小津の修正」と見倣し、「バストショットがあれだけあり、ことによったら構図、逆構図の切り返しショットが出てきそうに思える人物が斜めを向いていても、その人物を画面の真ん真ん中に置かれる。このようなことをやっている人は世界にいない」と賞賛し、「六十年代後期からの、もう揺れ始めてはいても技術的には一流の大映映画の画面に似ている」とし、増村保造の『大地の子守歌』の水平線の問題に言及しながら、「筆島が見える場所に着いて、一同が車からおりて海側を見ているのに、次のショットでいきなり山肌をなめ始める‘つなぎ間違い’」の正当性を論い、三浦春馬がロングで振り返るシーンをジョン・フォード監督作品のモーリン・オハラに例え、黒い服装のままの小西真奈美の‘横たわり方’を見逃さず、中上健次(大島渚的?)のような混沌からの自由から、現在の‘不自然’な透明さへの復帰を祝福する。確かにそう言われればそうなのだろうが、圧倒的に映画の知識に乏しい私には指摘されている部分の良さがよく分からなかった。的確なショットで撮られているとしても私には『東京公園』には‘グルーヴ感’が欠けていると感じる。
 青山監督の「どこからがフィクションでどこまでが生々しさなのかという境界をできる限り排除する」という映画制作の姿勢は、ベクトルは違えども、松本人志の映画の制作意図と共通していると思うのは私だけなのか?
 「『東京公園』というタイトルや物語まで含めて、複製だというところ」「だれも彼も複製=幽霊に見えるようなつくり方」という意図は理解できるとしても、どうしても作中の「ゾンビ映画」は‘逃げ口上’のように見えるし(明らかにJ・J・エイブラムス監督の『SUPER8/スーパーエイト』のエンドロールで流れる『The Case』というタイトルのゾンビ映画に見劣りしている)、‘全員幽霊化’は‘グダグダ化’と紙一重だと思う。
 井川遥に最後まで喋らせなかったところは面白かったが、やはり息子であるならば初島百合香と志田杏子が似ていることは気がつくと思う。


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それでも日本が平和な理由

2011-06-24 21:10:19 | Weblog

責任の所在あいまい、IAEAで日本批判相次ぐ(読売新聞) - goo ニュース

 2011年6月18日の毎日新聞で石原慎太郎がインタビューに答えている。「原発とは

どう付き合うべきでしょうか」という質問に石原は「みんな戦々恐々してるけど管理が悪い。

それに今度は完全に想定外、天災ですよ。人災じゃないんだよ。米スリーマイル島の事故

もチェルノブイリの事故も人災なんです。今度の地震は「古文書に大津波の記録があった」

といったって、あったのか無かったのかも分らない。きちんとした記録というものをみんな

参照するんでね。「ここまで水が来た」と記録があっても、それで原発の対策を考えろと

いうのは酷な話だ。ただ今回の事故では、後のハンドリングが悪かったと思いますよ。」

と答えている。普通、管理が悪かったことを人災と呼ぶと思うが、岩手県綾里村にある

「明治三陸大津波伝承碑」の碑文には明治29年6月15日に38.2メートルの津波が

来たと書かれているのだから、「あったのか無かったのかも分らない」ことはないし、

“「ここまで水が来た」と記録があっても、それで原発の対策を考えろというのは酷な話”

でもない。このようにインターネットを使えばすぐに分かるような事をたいして調べもしないで

適当な事を言っている人物が都知事に選ばれてしまうのだから、日本は平和なんだろうね。


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他の乗客にも迷惑

2011-06-23 00:04:11 | Weblog

ドアに手を挟まれた女性に気づかず発車…都営線(読売新聞) - goo ニュース

 不思議な話である。もちろん乗客の手を挟んだまま車掌が電車を発車させたことでは

ない。幼い子供の不注意ならば理解できるが、40歳代の女性が右手を電車のドアに

挟まれるということ自体にである。どのようにしたら右手をドアに挟まれてしまうのか

考えてみるならば、一つのことしかありえない。つまり発車しようとして車掌が電車のドアを

閉めたのであるが、発車しようとする電車に無理に乗ろうとしてわざと右手を伸ばしてドアを

閉めさせないようにしたのである。これは威力業務妨害であろう。女性は右腕に軽い怪我を

したそうであるが、同情の余地はない。それほど急いでいるならば電車になど乗らずに

タクシーを使えばいいのである。


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“ナンバーワン/オンリーワン”の定義

2011-06-22 00:05:28 | Weblog

蓮舫氏「オンリーワン目指す努力を」と注文(読売新聞) - goo ニュース

 理化学研究所と富士通が共同で開発中のスーパーコンピューター「京(けい)」の計算能力

が世界1位と発表されたことを受けて、蓮舫行政刷新相が報道陣に対して「ナンバーワンに

なることだけを自己目的化するのではなく、国民の皆様の税金を活用させていただいている

ので、オンリーワンを目指す努力を期待したい」と注文をつけたのであるが、これは日本語

としておかしな言い回しだと思う。“ナンバーワン/オンリーワン”の定義は槇原敬之の

「世界に一つだけの花」がベースになっているはずなのだが、その歌詞を見れば分かる

ように「ナンバーワンにならなくてもいい/もともと特別なオンリーワン」なのである。つまり

“ナンバーワン”は努力しなければならないが、努力しなくてもそのままで良いという概念が

“オンリーワン”なのであるから、蓮舫の「オンリーワンを目指す努力を期待したい」という

物言いは間違いなのである。これは「メディアが勝手に短い部分を流した」発言ではない。


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『赤ずきん』 70点

2011-06-21 19:25:50 | goo映画レビュー

赤ずきん

2011年/アメリカ=カナダ

ネタバレ

閉所の中の愛憎

総合★★★☆☆ 70

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 ウィリアム・シェイクスピアの戯曲の映画化の難しさは、既に『テンペスト』(ジュリー・テイモア監督 2010年)で述べた通りであるが、別の意味で同様のことは童話にも言えるだろう。誰もが知っている、‘骨組み’だけある物語の‘膨らませ方’は意外に難しいと思う。
 敢えて赤ずきんを成熟した女性にした本作は、とりあえず『テンペスト』の、原作のシェイクスピア作品において男性だった主人公プロスペローを女性のプロスペラに変更したように成功していると思う。
 ヘンリーの父親であるエードリアンと、ヴァレリーと姉のルーシーの母親であるスゼットに裏切られた男、あるいはロクサーヌの告げ口によって裏切られた女、そして愛するヴァレリーに狼と疑われて刺された男など、深い森に囲まれた閉鎖的な村において増幅される愛憎の中で裏切られた人間が‘人狼’と化す設定も良く、その究極として‘近親相姦’を描いている点も衝撃的であるのだが、文化の違いで日本ではそれほどインパクトが無いようである。


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“少女時代”の楽曲の傾向

2011-06-21 06:16:04 | 邦楽

「少女時代」ら所属事務所の会長、欧州音楽界に韓流紹介(聯合ニュース) - goo ニュース

 先日、少女時代の日本で発売されたシングルを聴いて驚いてしまった。たぶん日本人で

あるならば誰でも気がつくことであろうが、日本でのデビューシングル「GENIE」の最初の

フレーズの「お呼びですか?」の部分が宇多田ヒカルがよく使うメロディーとそっくりだった。

声までそっくりだったので、思わず笑ってしまったのであるが、この部分だけに限らず、

少女時代の楽曲には宇多田ヒカルを意識したようなメロディーが散見される。これが

少女時代が所属する事務所、SMエンタテインメントの李秀満(イ・スマン)会長が唱えている

「文化技術(CT)理論」であるかどうかは分からないが、勿論パクリということではなくて、

よく研究していると言うべきであろう。実際に、KARAの楽曲を聴いても同様のことは

感じないからである。宇多田が音楽活動を休止している現在、絶好のタイミングであろう。


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“国会”という名の学芸会

2011-06-20 08:17:32 | Weblog

会期延長で心理戦 悪ノリ民主、公明冷や水(産経新聞) - goo ニュース
6月16日付 よみうり寸評(読売新聞) - goo ニュース

 6月15日に開かれた3党幹事長・国対委員長会談で、民主党の安住淳国対委員長は

「私たち(安住・仙石由人・岡田克也・枝野幸男)は新4人組といわれているんですよ…」と

切り出したことに対して、自民党の石原伸晃幹事長が「いい4人組だ! 思いは同じだから

自信を持ってやりなさい」という激励に、「首相が2次補正予算案のことを『1・5次補正だ』

なんて言ったら首を絞めてやりますよ」とさらに悪のりした安住は「そういうチャラチャラした

態度だから軽いって言われるんだ!」と公明党の漆原良夫国対委員長にたしなめられた。

同日の夜には国会内で行われた再生可能エネルギー促進法の早期制定を求める集会に

飛び入りで参加した菅直人は「『菅の顔だけはもう見たくない』という人が結構いるんですよ、

国会の中には。本当に見たくないのか。本当に見たくないのか。本当に見たくないのか。

それなら早いことこの法案を通した方がいいよ、この作戦でいこうと思います」と満面の

笑みではしゃいで言っていた。ガキの遊びではあるまいし、“作戦”などという言葉を使う事

自体、国会運営のレベルの低さを表しているのであるが、あの笑顔だけはもう見たくない。


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『パラダイス・キス』 60点

2011-06-19 22:44:19 | goo映画レビュー

パラダイス・キス

2011年/日本

ネタバレ

2つのファッション映画の微妙な関係について

総合★★★☆☆ 60

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 ファッションをモチーフにした映画『ランウェイ☆ビート』(大谷健太郎監督)が3月に公開されたばかりなのであるが、『Paradise Kiss』もファッション主体の青春サクセスストーリーである。
 この映画しか観ていなくても原作が良いということは分かると思うが、私にはどうしても主人公の早坂紫を演じた北川景子の演技に違和感を覚える。例えば、紫がファッションショーが行われる会場でランウェイを初めて歩く時に、オドオドしながら歩いてしまい、小泉譲二にダメ出しをされるのであるが、紫の性格を勘案するのであるならば、紫はランウェイを自信満々に歩いてダメ出しされるべきであろう。このシーンに限らないが、北川景子にはコメディアンヌとしての才能が無く、彼女の演技にユーモアが微塵も感じられないために、全てのギャグがスベっているように見えてしまうのである。
 私が不思議に思うのは『Paradise Kiss』は矢沢あいの漫画作品なのであるから、どうして『NANA』を撮った大谷健太郎を監督に起用しなかったのかということであるが、『NANA2』があまりヒットしなかったためなのか?


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