YELLOW MAGIC ORCHESTRA 『CUE』(「WINTER LIVE 1981」HD Short ver.)
デイリー新潮の記事「【高橋幸宏さんを偲ぶ】ピーター・バラカンがジャパン・タイムズの追悼記事に驚いた理由」という記事の中で、「トミー・リプーマの秘話」という部分の記事内容がいまいち上手く理解できないので、改めてここで検証してみたい。先ずは記事を引用してみる。
高橋さんの死後、ジャパン・タイムズが「Yukihiro Takahashi: Style, substance and the knack for a beat」(電子版:1月21日)という追悼記事を配信した。そこで報じられた内容に、バラカンさんは驚いたという。
「YMOがデビューした時、トミー・リプーマ(Tommy LiPuma)というプロデューサーがファースト・アルバムをリミックスしてアメリカで出しました。ジャパン・タイムズは、彼の助言がなければアルファレコードはYMOに関してあまりやる気にならなかったという書き方をしていたんです。トミー・リプーマが具体的に何を言ったのかはよく分からないけど、どうもアルファはYMOをあまり理解できていなかったようなんです。もしかしたらYMOは、アルバム1枚で終わっていたのかもしれません」
バラカンさんは記事を書いた記者をTwitterで発見し、「この部分は誰から聞いた話なのか?」と質問メッセージを送った。
「そうしたら返信が来て、『高橋幸宏自身から、何年か前にインタヴューした時に聞いた』と言うんですね。幸宏が言っていたのなら間違いないと思いました。結局、特にポピュラーミュージックは、売り方次第ということです。YMOは日本で“逆輸入”的なイメージで売り出され、それがウケた。人に聴いてもらうためには、レコード会社は手段を選ばないというわけです」
以上が記事の引用である。次にその記事の原文(James Hadfieldによる)を引用してみる。
《Sadistic Mika Band was the first Japanese rock group to do well overseas, although its label back home failed to capitalize on the success. That wouldn’t be the case when YMO exploded onto the scene a few years later, even if it took the intervention of U.S. record producer and music executive Tommy LiPuma to convince Japanese label, Alfa Records, to sign off on the project.》
この記事を拙訳してみる。
「サディスティック・ミカ・バンドは海外で上手く行った最初の日本のロック・グループだったが、母国に戻った彼らのレコード会社はこの成功を利用し損なった。数年後にYMOが音楽シーンに突然現れた際、そのような事例には当たらなかっただろう。たとえアメリカのレコードプロデューサーでレコード会社の経営者であるトミー・リプーマの仲介で日本のレコード会社であるアルファレコードにこのプロジェクトを止めるように説得されたとしても。」
拙訳によるならば、YMOのファーストアルバムをリミックスしたトミー・リプーマに、YMOには可能性を感じないから止めておけと言われたとしても、アルファレコードは諦めずにプロジェクトを続行したからYMOは売れたと読める。ここでは例え話として書かれているものの、実際はリプーマにダメ出しされたというニュアンスが込められていると思うのであるが、ピーター・バラカンの説明とは正反対なのである。もちろんイギリス人に英文の読解が間違っていると言える立場にはいないのだが、記事の内容がどうしても上手く呑み込めない。知らないうちに英文法が変わったのかな?
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/dailyshincho/entertainment/dailyshincho-956883