MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『パターソン』

2017-09-21 00:28:38 | goo映画レビュー

原題:『Paterson』
監督:ジム・ジャームッシュ
脚本:ジム・ジャームッシュ
撮影:フレデリック・エルムズ
出演:アダム・ドライバー/ゴルシフテ・ファラハニ/バリー・シャバカ・ヘンリー/永瀬正敏
2016年/フランス・ドイツ・アメリカ

「既視感」の中にある「発見」について

 アメリカのニュージャージー州のパターソン市に住むパターソンという名前のバスの運転手の物語である。いつのもように朝の6時10分頃に目覚め、仕事場に向かう途中にパターソンは長椅子に座っている双子の高齢の男性を見かけるのだが、パターソンが双子を見かけるのはここだけではない。街中でも自身が運転する車内でも双子の女の子たちを見かけ、「ウォーター・フォールズ(Waterfalls)」という自作の詩を読んでくれた少女も双子の姉がいた。しかし双子だから似ているという訳でもなく、例えば車内にいた2人の若者の会話は自分が女性にモテたという自慢話なのだが、彼らは2人とも女性と会話しただけでそれ以上のことはなかったのである。
 ストーリーはパターソン所縁の人物で埋められていくのであるが、パターソンがローラと観に行った『凸凹フランケンシュタインの巻(Bud Abbott and Lou Costello Meet Frankenstein)』(チャールズ・バートン監督 1948年)は主演のルウ・コステロ(Lou Costello)がパターソン出身ということで理解できるが、『獣人島(Island of Lost Souls)』(アール・C・ケントン監督 1932年)を取り上げたのは、「失われた魂の島」という原題が2人が住んでいるパターソンと対照的だからというニュアンスが込められているのだろうか。
 しかしここで最もフューチャーされている人物はパターソン出身の詩人であるウィリアム・カーロス・ウィリアムズ(William Carlos Williams)なのだが、それは詩人であること以上に、2度繰り返される「ウィリアム(ズ)」という名前にあると思う。
 パターソンが自作の詩を書き込んでいたノートは飼っていたイングリッシュ・ブルドッグのマーヴィンによって紙くずと化してしまうのであるが、そこに現われるのが日本人の詩人である。彼はウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩集『パターソン(Paterson)』の日本語訳の本を持っている。彼が公園のベンチでパターソンと何気ない会話をした後、帰り際に「ア~ハ」と声をかけるのだが、これも「A~HA」と綴れば「William Carlos Williams」と同じ構図で、人は同一性(=日常)の中で生じる僅かな違いに感動するのである。詩人が主人公の作品を詩的にまとめるところがジム・ジャームッシュ監督の天才のなせる技である。


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