MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ダンケルク』

2017-09-19 00:48:56 | goo映画レビュー

原題:『Dunkirk』
監督:クリストファー・ノーラン
脚本:クリストファー・ノーラン
撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ
出演:フィオン・ホワイトヘッド/トム・グリン=カーニー/ケネス・ブラナー/トム・ハーディ
2017年/イギリス・アメリカ・フランス・オランダ

船の乗り降りだけで物語を紡ぐ作品について

 冒頭でダンケルクの街中を歩いていた英国陸軍の兵士たちがドイツ軍にいきなり狙撃され、トミー二等兵だけが辛うじてフランス軍の応戦で助かった際に、トミーは一人のフランス兵から「ボン・ヴォヤージュ(Bon Voyage)」と声をかけられる。その後のトミーの「逃走劇」が果たして「良い旅」だったかどうかは怪しいが十分に皮肉は効いている。
 その後のストーリー展開に具体性は無く、要するに生き残るためにどのようにして船を乗り降りするかに全てが費やされることになるのだが、興味深い点はトミーにしてもピーターにしてもファリア にしても3人一組で行動しているところにある。だから途中で仲間を失うことは仕方がないとしても、ピーターの場合、父親のミスター・ドーソンとジョージの3人に、海上で救出した空軍の将校が加わってしまったために代わりにジョージが亡くなってしまうことは説話論的な必然なのである。
 上記のような感じの評論を映画批評家の蓮實重彦がしそうなのだが、残念なことに蓮實はクリストファー・ノーランのことを全く評価していない。どれほど良い作品を撮ろうが、蓮實は気に食わない映画監督に対しては徹底的に粗だけを探す悪い癖があり、それとは逆に、一度気にいった映画監督に対してはどれほど駄作であっても徹底して良い点しか探さない良い癖も、これが映画批評家として正しい振る舞いかどうかは別にして持ち合わせているのである。

 というようなことを書いていたのだが、2018年1月号の『群像』に蓮實重彦の「パンダと憲法」という随筆が掲載されており、その中で『ダンケルク』に関して「大いに気に入ってしまった」(p.145)と書かれていた。全く好きでもない監督作品を観ているだけでもさすが映画批評家だと思うが、相変わらず村上春樹は好きになれないようだ。もっともこの随筆の要は護憲派の内田樹批判であろう。


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