MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『生きている画像』

2016-04-02 21:57:55 | goo映画レビュー

原題:『生きている画像』
監督:千葉泰樹
脚本:八田尚之
撮影:河崎喜久三
出演:大河内傳次郎/藤田進/花井蘭子/笠智衆/江川宇礼雄/古川緑波/清川虹子
1948年/日本

「画像」を生きさせる難しさについて

 時代設定を考えてみる。主人公の洋画壇の大家である瓢人先生の弟子である田西麦太は帝展(帝国美術院展覧会)に既に15回落選している。帝展は1919年(大正8年)から始まっているから、麦太が最初から出展しているならば、1923年は開催されていないようだから1934年(昭和9年)であろう。しかし不思議なことに帝展そのものは1934年(昭和9年)が最後の開催年なのだが、麦太は翌年に入選しているから事実に忠実というわけではなさそうである。
 瓢人先生が独身である理由は明らかにされていない。麦太は青貝美砂子をモデルにして作品を描き帝展に臨むが、15回目の落選の憂き目に遭う。結果を出せないまま麦太は美砂子と結婚しようとするが、瓢人先生は「結婚するなら破門する」と宣告するものの、2人を見捨てることはせず、黙認するような形で2人は部屋を間借りすることになる。やがて美砂子は子供を身ごもるのであるが、産後の肥立ちが悪く、産まれた赤ん坊に名前を付けてくれと頼まれた瓢人先生が名付けた「瓢太」という名前を聞きながら美砂子は亡くなる。
 瓢太を背負いながら麦太は今は亡き美砂子の面影を思い出しながらかつて美砂子が座っていた椅子を見ながら制作に勤しむ。存在しない美砂子がオーバーラップで現れるところが「生きている画像」というタイトルの由来になっていると思われる。その作品が認められて16回目の帝展に入選したのではあるが、正直に言うならば、そのアンリ・マティス風の作品が入選するほどの佳作かどうかは微妙なところではある。
 しかしそれ以上に微妙な点は瓢人先生が良い人過ぎるということで、女性問題でトラブルを起こした弟子の南原豊に対しても「ペンキ道楽」で借金を重ねた「すし徳」の親父に対しても親切過ぎるのであるが、どうやら千葉監督自身もそのように感じていたのではないかと思う理由は、本作と同時上映されていた『裸の重役』(1964年)を観たからであるが、それは稿を改めて説明してみたい。


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