ケンのブログ

日々の雑感や日記

何気にすごい人 ANNIVERSARY

2022年11月18日 | 日記歌入り
歌手の前川清さんの動画を見た。

長年 一線で活動してる人はやっぱり とっさの一言が違うな と思う場面がいくつかあった。

例えば 亡くなった 歌手の藤圭子さんを追悼して 圭子さんの持ち歌だった「新宿の女」を歌うときに前川清さんは司会の女性にこんな風に言う。

「僕は下手ですよ 藤圭子さんのようにうまくは歌えません。でも 僕は 僕なりに歌います」と。

なんだか ちょっとした一言だけれど 前川清さんの藤圭子さんに対する気持ちが 端的に表れていて ほろっとくる一言だなと思う。

藤圭子さんとの関係について 司会の女性から 「秘密主義だったんですか」と突っ込まれると 前川清さんは「いや 別に隠していたわけではないです」と言って それから クールファイブのメンバーの方に視線をやって「話したところでためになるわけではないですしね」と続ける。

すると クールファイブのメンバーは苦笑いする。

本当に ご名答だなと思う。

「秘密にしていたわけではない。 ただ 話さなかっただけだ。 話してためになるわけでもないから」とひとつながりの文にまとめると これは まさに 名言だと思う。

確かに 異性との関係を人に話したところで 多くの場合 人が助けてくれるわけではなく 話してためになるわけでもない。

そういうことに 前川清さんのさりげない言葉は 気づかせてくれる。

前川清って何気にすごいひとなのだな と思ってしまう。


■ANNIVERSARY
松任谷由実さんのANNIVERSARYをカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

歌詞の中で 「今はわかるの 苦い日々の意味が ひたむきならば 優しい昨日になる」という一節が一番好きです。

↓松任谷由実さんのANNIVERSARYをカラオケDAMの音源で歌いました。

自動化の波

2022年11月17日 | 日記
最近 ろおうそん というコンビニで お弁当を温めてください とお願いすると
「お弁当は あちらでセルフでやってください」と言われることが多い。

セルフの電子レンジは コンビニの くず入れの上とか そんな 場所に設置してあることが多い。

「温めは セルフでやってください」という言葉は どの店舗にかぎらず なんとなく 不愛想に言われることが多い。

ちょっと そのことについて 考えてみたのだけれど どうも 店員の方は 単に機嫌が悪くて不愛想なわけではないと 何となく気づいた。

では なぜ 不愛想なのかというと それは 今まで お弁当の温めは コンビニの店員がやってくれるのが 当たり前で お客も やってくれるのが 当たり前 という感じで 温めを依頼することが多い。

やってくれて当然という感覚で温めを 依頼してくる客に 「温めはセルフで」というのは 人間の普通の感情としては やはり つらいというか 抵抗がある。

だれしも 断りづらい という 感情は おおかれ 少なかれ 持っていると思うから、、。

なので 「温めはセルフでやってください」というときの店員さんは不愛想になるのだと思う。

カードは お持ちですか? と店員さんに聞かれて 「大丈夫です」とぶっきらぼうに答える客が多いのと同じことと思う。

それで セルフで お弁当を温めて イートインのコーナーを見ると 午後9時まで利用可能と書いてあるのに 午後7時で もう イートインコーナーのテーブルの上に 椅子が あげてあったりする。

こういうことがあると 客としては お弁当を セルフで 温めさせておいて イートインコーナーは 書いてある時刻よりも はやく 閉めるのか あまりにも 勝手すぎる と思ってしまう。

たぶん お弁当の 温めを セルフにすることで コンビニと お客の間に こういう 気持ち的な 気まずさや 抵抗が 生まれることは 温めをセルフにすると決めた人の頭の中では あるいは 想定外なのかもしれないと思ったりする。

お弁当の温めをセルフにする という 判断は たぶん 人員削減の 観点 また 自動化推進の 観点などからなされていると思う。

それは それで 今の時代の流れなのだろうとは思う。

しかし そういう お弁当温めのセルフ化による 店員と お客の間に生まれる 気まずさのほかにも 懸念されることがある。

それは どうせ お弁当の 温めが セルフなら ついでに 総菜パンもあたためてしまえ とか やがては コンビニで 買ったわけではない 品物まで 温める人もでてくるかもしれない。

特に 幹線道路沿いの コンビニでは そういうことが おこりがちなような気がする。

先日も ある コンビニに 確認のための電話を入れたら 電話が安心応答モードになっていた。

安心応答モードって何? と思って調べてみると それは まず 自動音声で 相手に名乗るように依頼する。

そして 相手が 名乗る声を聴いてから 人間は 電話に出るかどうかを決める。

相手の 声を聴いてから 電話に出るかどうかを 決められるので きっと 安心応答モード と名前がついていると思う。

でも 客の側からすれば 名乗るときの 声で 電話に出てもらえるのかどうか 選別されるのかと思うと やはり これは とても 不愉快な 対応であると思う。

そのような クレームを コンビニの 店員の方につけたら 「いやあ 僕も 安心応答モードって 知らないんですよ 何かの 拍子で 電話が そういう 設定モードになったと思います。 また 電話の 設定の仕方を 本部に 確認します」という答えが返ってきた。

たぶん 店員の方が言っていることは 本当なのだと思う。

とても うそを言っているような 口調ではなかったから。

本当に 自動化の流れの中で 私たちの 気持ちのあり方も 変わってきてしまっているし 人間の関係も 変わってきてしまう。

また 自動化のために 起きる 気持ち的な 誤解 というものも 数知れないくらいあるように思う。

本当に 最近の若い人の歌を聴いていると 歌詞の 言葉が 抽象的で こまごまとしているな と思うことが多い。

昔のように 「君恋し」みたいな 歌が なくなってしまった。

でも こんな 複雑な 時代に 生きていれば 歌の 歌詞も ちまちま してくるのも また 一つの 流れのようにも思えてくる。

困ったこととは 思うけれど そんな中でも 自分を見失わないように 生きていきたいものだなと思う。




 

2位じゃダメなんですか

2022年11月14日 | 日記
11月13日付の読売新聞に 蓮舫参議院議員が 民主党政権の事業仕分けで スーパーコンピューターの開発に関して 「2位じゃダメなんですか」と発言して ちょうど13年たったと出ている。

懐かしいな。

あの時の蓮舫さんの映像はテレビで何度も放映していて 当時は 今よりもよくテレビを見ていたから 覚えている。

何となく 言っていることが 的を射ているかどうかはともかくとして あの言葉を発した時の蓮舫さんの顔つきは 精悍だなと思った。

女性の顔を精悍というのは ちょっと違和感があるかもしれないけれど 僕が調べた国語辞典では 精悍は男性にのみ使うとは出ていなかった。

ネットの 質問箱のようなサイトを見ると 女性には 精悍よりも 凛々しいなどの言い方をした方がいいとも出ていた。

けれど 女性にも 精悍 と言った方が こちらの気持ちはよく伝わる気がするのだけれど、、、。

思い浮かぶ例としては 若いころの 吉永小百合さんも 凛々しい表情のショットは 本当に 精悍だなと感じることがある。

話しが 横道にそれてしまったけれど、「2位じゃダメなんですか」という蓮舫さんの発言を聞いた時には 最初から2位でいいと考えていたら 2位にさえなれないだろうと僕は思った。

そのような 論点で 蓮舫さんの発言をとらえた人は 僕以外にも 何人かいらしたと思う。

記憶がおぼろげだけれど 作家の村上春樹さんも エッセイにそのようなことを書いておられたような気がする。

甲子園で 準優勝 という目標を掲げる 野球の強豪校がないのと同じことだと思う。

ただ、 あまりにも 基本的なことを聞かれると 専門家ほどこたえられなくなってしまうものだと思う。

結局 その時 官僚や 専門家は 「世界一になることで 国民に夢を、、」など 抽象的な答弁しかできなかったという。

なるほどと 思うしかない。

読売新聞には ある専門家は 目まぐるしい進歩が当たり前のコンピューターの世界では一位の目標に疑問を持つことはなかったと書いてある。

まあ その通りだと思うのだけれど、、、。

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ネットのニュースを見ると 今年の流行語大賞に 知らんけど や 宗教二世がノミネートされたと出ている。

知らんけど は 僕も大阪に長年住んでいたので 使うこともあるし まあ そんなものかなと思う。

宗教二世というのは 親が信仰をしていた人の子供という意味だと思う。

それだと 僕も 宗教二世にあたる。

僕の場合は 親が 観音様を家でお祭りしているという事例だから 今 話題になっている宗教二世とは ちょっと 系統が異なるかもしれないけれど、、、。

しかし 宗教二世がいい意味で話題になるなら ともかく 今回の場合は 安倍首相の狙撃事件との関連で 話題になっている側面が強いから 僕としては 気持ちが複雑というか ある意味 つらいな と思う。

宗教二世で思い浮かべるのは 僕の場合 作家の芹沢光治良さんかなと思う。

光治良さんは 親が 天理教の信者で そのために 財産を親がなげうってしまって かつ 親とは 離れて暮らすという体験をしておられる。

その 様子は 自伝的小説 「人間の運命」にかなり 真摯に そして 克明に描かれている。

投げやりになることなく 盲信に走ることなく 合理的に考えるべきところは合理的に考える、それでも 心の中に 信仰心があることは否定できない というのが「人間の運命」に描かれた芹沢光治良さんのすがたではないかと僕は思っている。

そういう 芹沢光治良さんの姿勢は 疑っても 疑っても 疑っている自分がいること否定できない という 哲学者 デカルトの 方法的懐疑に似たものがあるのではないかと僕は思った。

そういう姿勢からは 僕も いろいろ 学んでいきたいなと思う。

それは ともかく 一日 いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。






口はわざわいの元

2022年11月13日 | 日記歌入り
法務大臣の方が 「法務大臣は 死刑執行の時のハンコを押したときくらいしか話題にならない地味な仕事」というような主旨の発言をして それがもとで実質 更迭になったようなことが新聞に書いてある。

本当に ショックなことだなあとおもう。

口はわざわいのもと。

言葉には気をつけていきたいなと思う。

最近 よく目を通している 旧約聖書の箴言に

「知恵あるものは知識をたくわえる。愚かな者のくちびるは 今にも滅びをきたらせる。
言葉が多ければとがをまぬがれない。 自分のくちびるを制する者には知恵がある」(箴言第10章より引用)と書いてあるけれど そういう言葉の意味をこういう機会に また 心にとどめておきたいと思う。

新聞の人生案内のコラムに50歳代の男性からの投書があった。

投書は およそ こんな 内容だった。

『妻は 子供を望んでいなかったけれど 自分が説得して 不妊治療で 二人の子ができた。

もう 子供はできないと思っていたら 自然妊娠した。

ところが 妻は 中絶したいと言った。 そうでなければ 子供を虐待するかもとも言った。

中絶した妻は 悪性腫瘍を取り除いたようなかのごとく せいせいしている様子だ。

私は殺人罪でさばいてほしいと思うほど苦しい。

早く 離婚したいけれど 二人の子供がいるので なんとか 生活を続けている』と。

この 投書に対して まあ あなたの気持ちもわかるけれど 妊娠中絶した妻が本当にせいせいしているかどうか わからない。 望まない妊娠を二度も妻はしたことも 想像してほしい。 というような回答が書いてあった。

その通りであるように思う。

たら れば の 話は すべきでないかもしれないけれど 不妊治療のない 時代だったら やっと 子供を授かった と大喜びになるところだと思う。

科学や 医療の進歩が 必ずしも 人間を幸福にするわけではない という 例でもあるような気がする。

妊娠しなければ不妊治療 という 意識づけが 人の心から 想像力を奪っているように思えなくもない。

いろいろと 考えさせられるなと思う。

村田兆治さんも 壮絶な 亡くなり方をされたようで 本当に いろんな 意味で 考えるのがつらいことだなと 思う。

やはり 何とか 平穏 無事に 生きられることが一番だなと思う。

そのように 願っていきたい。

■愛しつづけるボレロ
五木ひろしさんの「愛しつづけるボレロ」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

↓五木ひろしさんの「愛しつづけるボレロ」をカラオケDAMの音源で歌いました。





だんだん寒くなって

2022年11月11日 | 日記
駅を降りて 駅前の広場から空を眺めると 雲一つない 快晴の夜空。

本当に こんなに 雲の少ない夜空も珍しいなと思う。

ほぼ 満月に近い月が出ている。

月齢を見ると15.7 。

やはり ほぼ 満月に近いなと思う。

東の 低い空にオリオン座。

今年の冬 初めてオリオン座を見たなと思う。

それだけ あまり空を見ていなかったということだと思う。

カエデを見ると 紅が増えてきたけれど まだ 緑から 紅へのグラデーションになっている。

だんだん 本格的に冬になっていくな と思う。

いちにち いちにち 無事にすごせますように それを 第一に 願っていきたい。