ケンのブログ

日々の雑感や日記

七月二十六日

2019年07月26日 | 日記
ラジオを聞いていたら
お笑いのタレント方が
おれおれ詐欺の集団のイベントにギャラをもらって参加した。
当初はギャラをもらってないと言っていたけれど
やっぱりもらっていたと言った。
もらったけれどおれおれ詐欺の被害者の
団体に寄付したと言った。
しかし被害者の団体は
それは受け取っていないと言った。
そんな感じで、話がいたるところで噛み合わなくなっている
とラジオではいっていた。
被害者の団体は罪を償うような
寄付は受けないとのことらしい。
しかし、とラジオのパーソナリティは言った。
罪を償うと言っても
ギャラを受けとること自体は犯罪ではありません。と。
このラジオのパーソナリティは騒がれている人のことを
ただあしざまに言うだけでなく
こういう犯罪とそうでないものの区別を
しっかり言うところが好きだなと思う。
ただ、ラジオの話を聞いていて
たぶん騒がれているタレントの方は
虚偽説明をすることに対する
感覚が麻痺してしまったのかなと思った。
個人でも企業でも
こういうたぐいの不祥事が出てくるときって
だいたい虚偽説明することに対する
感覚が麻痺してしまっていることが
多いように思う。
嘘をついて申し訳ないという気持ちが
あるうちはそれが抑止力になるから
まだいいのだと思う。
まあ、こんな感じて適当に
説明しとけばなんとか乗りきれるやろう
という考え方が日常茶飯事になってしまうと
危ないのかなと思った。
なんかそのタレントの会見を
ちらっとテレビで見たのだけれど
僕がちらっと見た限りにおいては
ちょっと仰々しい会見であるように思った。
仰々しいと思ったから
一、二分見ただけで
テレビを消してしまったけれど、、、。

天神祭

2019年07月25日 | 日記
二十五日は天神さんの縁日。
そして今日は大阪天神祭の本宮の日。
人出が多いので僕は天神祭をまともに見に行ったことが
ないけれどおめでたいことだなと思う。
郡上節のさわぎという歌の一節に

あー竹になりたや大阪天満の天神様のお庭の竹に
元は尺八中は笛 裏は大阪天満の天神様の文を書く
法名を書く筆の軸

という文句がある。
本当に竹になるなら大阪天満の天神さまの
竹になりたい。
どうせ竹になるならいい場所の竹になって
切られてからも笛や尺八や筆など
いい場所に使われたいという願望が
現れているように思う。
こういう普段生活していて
誰もが何気なく心に抱くような
さりげない願望を素直に
歌にするところが郡上節の
おおきな魅力のひとつだなとしみじみと思う。
こういう歌がある岐阜というところは
いいところのように思う。
僕はこういう歌詞が成立した
沿革というのもをまったく知らないのだけれど
岐阜の盆踊りの歌に
大阪の天神さんのことが切々と
歌われているのもなんだか不思議だな
と思う。

昨日梅雨が開けて
昨日もかなり暑く
今日はさらに暑くなっている。
町を歩いていると僕だけでなく
すれ違う人も口を開け眉間にシワを寄せ
もうあかんという感じの顔で歩いている人が多い。
暑いのはみんな一緒だなと思う。

東京オリンピックが来年の7月24日からで
あと約一年ということで新聞では話題になっている。

日本のような湿気の多い
めちゃくちゃ蒸し暑い国で
よりによって一年で一番暑いときに
オリンピックをしなくてもとつい思ってしまう。
暑さで思わぬ番狂わせが起きる可能性も
あるのではないかと今から思ってしまう。

最近、駅などで高校生の女の子など
若い女性が手のひらサイズの小さい扇風機を
顔に当てている姿をかなり頻繁に
見かけるようになった。
きっとちょっとしたブームなのだと思う。
ああいう形で利用されると
超小型扇風機も実質的には
小型電動うちわだなと思う。


梅雨明け

2019年07月24日 | 日記
今日はかなり暑い日になった。
道を歩いていても本当に暑そうにしている人が多い。
昨日の新聞に載った天気図では
梅雨前線はずいぶん北上している感じだった。
それで今日ネットのニュースで
近畿は梅雨明けと出ていた。
まだまだこれから暑くなるなと思う。

大暑

2019年07月23日 | 日記
今日は暦の上では大暑。
一年で一番暑い時期ということになる。
曇り空でこの時期にしては涼しいかもしれないけれど
やはりセミはよく鳴いているなあと思う。
私鉄の線路の土手を見ると
夏草が刈られていてさっぱりしている。
ほっとくとまたすぐに生え出すと思うけれど。
昨日たまたまつけたテレビで
鳥の生態のことを放送していた。
鳥のひながある。
ひなに親鳥が餌を与えにくる。
何びきかいるひなは力の限り口を開けて
親鳥に餌をねだる。
餌はすべてのひなにいきわたるとは限らず
親が餌を持ってきたときに食べないと
餓死してしまうこともあるという。
兄弟どうし生存競争があるのは
鳥も人間も一緒だなと思う。
できれば競争だけに終止せず
分かち合う気持ちを大切にしたいなと思う。
新聞を読んでいたら
愛媛県の女子大生が
タクシーで現金入りのセカンドバッグを盗んだとして
誤認逮捕されたという。
ドライブレコーダーに写っていた人物とにていたことが
誤認逮捕の理由という。
本当にお気の毒だなあと思う。
こういう苦い経験があとを引かないように祈りたい。
同じ気の毒でも
京都の放火事件の犠牲者になるともう
気の毒というところを通り越して
想像を絶するという感じになってしまう。
あまり想像を絶するほどひどい状況というのが
怖いのだと思う。
みんなが平和に暮らせる世の中でありますようにと思う。

平和でありますように

2019年07月22日 | 日記
暦の上では明日から大暑。
今日は曇りと雨のお天気で太陽は出ていないけれど
さすがに蒸し暑いなと思う
梅雨が明けたらもっと暑くなるだろう。
しかし、ここまで梅雨がなかなか明けないのも
地球の温暖化のせいなのだろうかとふと思ったりする。
たまたま本当に久しぶりに
携帯テレビでチェックした番組で
京都のアニメの会社を放火した方のことについて
あの人は過去にもこんな言動があった
というようなことを
犯人の知人にインタビューするような形で
やっていたので
あっというまにいやになって携帯テレビを
消してしまった。
放火した人はこれから
本当に想像しがたいほどおおきな罪を
背負っていかなければならないのだろうと思う。
その人の過去に言及してあのときもこうだったとか
言ってみたところでなんだか不毛なことのようにも思う。
時々、いったん怒り出すと
その時の話だけでなく、過去の事まで
ほじくりかえして
あのときもこうやったなないか
という感じでえんえんと止まらなくなる人が
いるけれどそれにちょっと似ているかもと思った。
限りある命であるならば
できることなら恨みというものはすくなくありたいと思う。
あの人はあのとき私にこんなことを言った
と繰り返し思う人はついに恨みがやむことはない。
あの人はあのとき私にこういうことを言った
という思いのやむ人は恨みも止む。
恨みによって恨みがやむことはない。
恨まないことによって恨みがやむ。
という主旨のことをお釈迦様が
言っている。
これを若い自分、読んだとき
あまりにも当たり前すぎてお釈迦様って
すごいと思った。
その当たり前がなかなかできないけれど、、、。

最近読んだ小説の中に
人間に個性がなくなり画一化されてくると
戦争に近づいていくという指摘がなされていた。
そういえば、工場の機械のベルトコンベアーで
働いているうちにノイローゼになってしまう人を
面白おかしく描いたチャップリンの
映画ライムライトが発表されたのは
1936年、第二次世界対戦前夜だったなと思う。
本当にいろんなことがシステム化され
マニュアル化されている今は
その意味でなんだか怖いようにも思う。
どうかみんなが平和に生きられる世の中でありますようにと思う。