ケンのブログ

日々の雑感や日記

高名の木登り

2019年07月13日 | 日記
朝、ラジオを聞いていたら
リスナーからのお便りとしたおよそこんな話が
紹介された。
旦那と娘と車でドライブに行った。
旦那は土地勘のない町で
抜け道に入った。
ところがうまく抜けられず
道に迷うような形になってしまった。
私が「さっきの道を通ればよかったのに」というと
旦那は車を停止させ私と娘は車を降りることに。
旦那は私と娘を残して走り去ってしまった。
しばらくして旦那は戻ってきたけれど
それ以来、私は旦那の運転に
一切口だししない約束になった。
とだいたいこんな内容のお便りだった。
それを聞いたときこれは申し訳ないけれど
奥さんがいけなかったなと思った。
旦那は道に迷ってしまったと思いつつ
なんとか運転を立て直そうとしている。
危機感と多少の自責の念を感じて
運転を立て直そうと集中しているときに
さっきの道を通ればよかったね
となんの解決も導かないばかりか
著しく感情をさかなでする言葉を発すれば
激怒を招くのは目に見えている。
これはこの旦那ほど怒るかどうかの
差はあっても多くの男は
かなりムッっとくるシチュエーションと思う。
奥さんの失言であったように思う。
このお便りを聞いて
徒然草の高名の木登りの話を思い出した。
だいたいこんな話だ
木登りの名人がある人に
高い木の枝を切りにいかせた。
あるひとが木から降りてくるとき
木登り名人はまた危ない場所に
人がいるときは声をかけなかった。
もうここからなら飛び降りても大丈夫という
高さになって初めて木登り名人は
気をつけて降りるようにとその人に声をかけた。
とだいたいこんな話だ。
危ないときにはいやでも気をつけるし
緊張もしている。
そんなふうに人が緊張しているときに
声をかけたらよけいと危ない。
安全と思われるタイミング
逆に言えば油断して怪我をしがちな
タイミングになって初めて気をつけてと声をかける。
本当に人間の脳のしくみという観点から
言っても極めて本質的に的を射た
徒然草の指摘であると思う。
年月を経ても色褪せない指摘だからこそ
その文章が長い間、人に読まれているのだとは思うけれど。
ラジオにお便りを出した奥さんも
旦那が道に迷っている状況を
脱して緊張が解けてから
「大変だったね。今から思えば
最初の道をそのまま行ってもよかったかも」と
声をかければきっと円満だったとは思うのだけれど。
本当に徒然草の指摘は今日的な
話題にも十分に通用するなとしみじみと思う。