ケンのブログ

日々の雑感や日記

九月十三日

2018年09月13日 | 日記
曇りのお天気が続いてちょっと涼しくなった。
昨日は人に涼しくなりましたねと言うと
寒いくらいですという言葉を返してくださる人もいた。
そう言われればその通りと僕も思っていた。
しかし今日も曇っているけれどちょっと昨日よりは蒸し暑いように思える。
もちろんもう夏の暑さではないけれど。
新聞の天気図を見ると昨日よりも秋雨前線が南に下がり
北海道の辺りに高気圧が張り出している。
そのせいでちょっと暑いのだろうか。
天気図の見方はようわからんけど、、、。
ぶっだの言葉に目を通していたら

自分を苦しめず他人を損なわない言葉を語れ

と書いてあった。
よく利他、つまり他を利するという道徳律を目にすることがある。

しかし、イエスは自分を愛するようにあなたの隣人を
愛せよと言ったし
ぶっだはこの世のどこを探しても自分にとって
自分よりいとおしいものには出会わなかった
そのように他者にとっても自己がいとおしいのである
だから他者を殺してはならぬ害してはならぬと言った。

ぶっだの言葉もイエスの言葉も
自分を愛するということが先に来ている。
それはそうだろうと思う。
滅私奉公というようなことをいっていてはファシズムになってしまうし
自分にとって自分が一番大切と言ったほうが
自然の理にかなっていて無理がないと思う。

自分を苦しめず他人を損なわない言葉を語れ
というのもまず自分が先に来ている。

自分を苦しめる言葉というのは確かにあるとおもう。
僕はちょっとその場の勢いではったりを言ってしまったようなとき
ああ、あんなでかい口をきいても中身が伴わなければ
結局、余計とバカにされるだけだし言わなければよかったな
と後悔したりする。

来年の事言うと鬼が笑うというけれど
まだよくわかりもしない先の事を
きっと僕はこうなるだろうなどど言ってしまうと
いやあんなこと言ってしまったけれど
まだ実現するやらどうかもわからないし
言っただけ余計にプレッシャーになってしまったな
と思うこともある。

やはり自分を苦しめるようなことは
できることならば言わないほうがいいなとしみじみと思う。

それでもついいってしまうこともあるけれど。

もうそういうときは
罪、けがれあらんをば払いたまえ清めたまえ
と祈るしかないなと思う。
人間、自分のちからを越えた部分は結局
祈るしかないのだと思う。

自分のちからのおよぶ部分も
祈ってからしたほうがより確実性が高まると思うけれど、、、。
祈っていればもし失敗しても
この失敗も何かのご縁と前向きにとらえられる
可能性が高まると思う。

最近はネットのSNSで死にたい
こんな僕はメンタル弱すぎ
もう死にたい
などどつぶやいているうちに
本当にネット上で死にたい人の仲間に入ってしまって
最初はそれほど死ぬつもりはなかったけれど
本当に死んでしまうという話があとをたたない
というようなことが新聞に書いてあった。

やはり、実際の言葉でもネット上の言葉でも
自分を苦しめたり害するような言葉は
慎むように気をつけたいと思う。

イエスはおよそ心にあることを口が語るものである
と言っているけれど
逆も真なりで
悪いことを言っていると心まで悪くなってしまう
よいことを言っていると心もよくなるのだと思う。

できるだけよいことを語るように努力したいとは思うのだけれど、、。

朝のラジオで今日9月13日は玉置浩二さんの還暦の誕生日と
言っていた。
玉置浩二さんが還暦なのだからそれは僕も歳をとるはずだと思う。
玉置さん、ネットの歌のうまい歌手ランキング等で
よく上位に登場するし、僕も玉置さんの歌はうまいと思う。

しかし、その割に玉置浩二さんの歌ってあまりきいていない。
僕が知っているなかでは
悲しみにさよなら がいい歌だなと思う。