修理を依頼していたスーパーモックが戻ってきた。
どこが直ったのか?
穴が開いているじゃないか、と言われそう。
ラバーが剥がれていたのを接着してもらった。(540円)
ここが剥がれていると、ルーフでリップにトゥーフックした際、ズレて、最悪フォールする。
大変重要な箇所。
私はヒールよりトゥーを、良く使用する。
故に、このようなオーソドックスな靴を愛用している・・・ターンインもダウントゥも苦手。(ついでにソールの硬い靴も駄目)
PS1
話は変わるが、113手課題と長モノ9月課題をリピートした。
10月課題は、先日#5を登ったので、本日#4を登り、①から⑩までリピートした。
(⑪と⑫は難しすぎてダメ)
PS2
再び話は変わる。
自宅の話・・・寒さに耐えきれず、今日から、こたつのセットをした。
「いちえふ 福島第一原子力発電所労働記」(3)竜田一人
原発労働記録、第3弾。
P155
2015年3月
震災発生から4年の時点で
被災3県(岩手・宮城・福島)にある
仮設住宅への入居者数は約8万人
P153で、避難者と地域住民の軋轢についても触れられている。
原発避難者の場合は補償金等の問題もあり一層複雑だ、と。
「仮設の人だけじゃなく、受け入れた地域の人も程度の差こそあれ同じ被災者なんだよね」
・・・同じ日本人、それも東北人同士でこれなら、シリアからの難民受け入れは、とてつもなくハードルの高い問題、と言うことになる。(ヒマラヤ8000mクラスか?)
【ネット上の紹介】
原子炉建屋。2014年夏、最前線にはじめて足を踏み入れる。作者が見てきた「福島の現実」に反響続々の原発作業員ルポマンガ、2012年~2014年編がついに完結。2014年夏、首都圏で覆面作家として活動しながら1Fでの職を探す竜田のもとに急な電話。ふたたび廃炉作業員として働く次の職場はなんと1号機原子炉建屋だった。あと10メートルのところにある格納容器本体。竜田は未知の「最前線」に足を踏み入れる。
「日本戦後史論」内田樹/白井聡
戦後史をこの二人が見直す。
「敗戦の否認」がキーワード。
そういう見方があるのか、と目から鱗、である。
P31
戦後の日本人はついにナショナリズムを徹底できなかった。左翼はナショナリスティックに見られることを神経症的に忌避してきたし、右翼は中韓に対しては排外主義的に振る舞うけれど、アメリカにはおもねるというダブルスタンダードを採用して平然としている。だいたい、外国の軍隊が国内に永続駐留している事態を右翼が別に「恥」だと思っていないということは日本以外の国では理解不可能でしょう。本来なら、右翼が反米・反基地闘争の先頭に立っているはずです。
シンガポールについて
P56
民主主義は経済成長にプラスにならないと判断されたので、建国以来一党独裁が続いています。国内治安法という法律があって、反政府的な人物は令状なしで逮捕拘禁することができる。労働組合は政府公認のものしかない。大学生は入学に際して「反政府的な意見を持っていない」ことを示す公的な証明書の提出を義務づけられている。反政府的なメディアは存在しない。リー・クアン・ユー一家が首相ポストを世襲し、国有企業を支配している。(日本はシンガポールを目指しているのか?安倍晋三はリー・クアン・ユーになりたいのか?)
P179
フランス人の建築家が日本の学会に来たとき、成田空港から東京まで来る途中の車窓から林立するラブホテルを見て、「おお、ポストモダン」って叫んだそうです。(中略)信者が1人もいない教会で、キリスト教式に結婚式をやる。あれは紛れもないポストモダンですね。もし意図的なのだとすれば、あれは西洋近代を冷笑しているわけですよね。
P188
「なんで俺たちだけが悪く言われるんだ。英米なんてもっと悪いじゃないか!」という叫びには一片の真実はあります。しかし、それを言えないということが敗戦したことの意味であって、そのことを理解しているのが大人だということですよね。(それにしても、西洋列国が数々の植民地支配に対して、反省の言や謝罪を口にしただろうか?少なくとも大英帝国は香港返還に際して、「豊かにしてやったから恩に着ろよ」ってな論調だった。そこまで厚顔になる必要はないが、複雑で、したたかな戦略を持った外交官僚が1人や2人いても良い、と思う)
いろいろ面白いことが書いてあるから、一読することを、お勧めする。
【ネット上の紹介】
人気思想家と気鋭の論客がタブー無しで語り合った戦後史考察!現政権の幼稚な戦争趣味と国民不在の安保法制・憲法改正議論、天皇制等、すべてに通じる「敗戦の否認」という根源的問題を鋭い視座で解きほぐす。岐路に立つこの国で生きる全国民に読んでほしい一冊。
[目次]
第1章 なぜ今、戦後史を見直すべきなのか(戦後史を見直す動きは時代の要請
日本の歪んだ右傾化 ほか)
第2章 純化していく永続敗戦レジーム(ほんとうの民主主義がない日本
なじみやすかった対米従属と対米自立 ほか)
第3章 否認の呪縛(「敗戦の否認」の呪縛
「何かの否認」により成り立つ国家 ほか)
第4章 日本人の中にある自滅衝動(事実認識が正確にできないようになってしまったのはなぜか
極論を楽しんでしまう日本人の気質 ほか)
天気が良いので、比叡山に登ってきた。
阪急・四条河原町から、京阪・祇園四条に移動。
そこから、出町柳に出て、叡山電車に乗り換え、修学院へ。
雲母坂のコースは、京都と比叡山を結ぶ主要ルート。
法然や親鸞も歩いたコース。
ここが山頂▲848m(気分は親鸞上人)
一部紅葉していたが、本格的な紅葉は11月になってから
展望&休憩スポット
この辺りになると道も広々としている
秋らしくススキも生えている
修学院駅にて・・・1車両の叡山電車、窓の反射で分かりにくいが、運転士は若い女性だった。
出町柳の辺りは、すぐ横が住宅だけど、だんだん自然の中を走ることになる。
私も運転してみたい、と言う気分になる電車だ。
ただ、無人駅ばかりなので、自分で切符をチェックしたり、何かあっても独りで対処する必要あり。
【資料】
11:15 修学院出発
13:15 比叡山山頂三角点到着
14:45 修学院戻る・・・3時間半掛かったことになる。
(前回4時間のタイムだったが、道に迷わなかったので、今回は短縮できた)
登り2時間、下り1時間半。
但し、休憩なし、食事も歩きながら摂った。(時間がないから)
帰宅したのは16:10くらい。
「牛と土 福島、3.11その後。」眞並恭介
2015年、第37回 講談社ノンフィクション賞受賞作品。
3.11、原発近くの牛たちはどうなったのか?
放射能まみれの土地で牛を生かし続ける意味は?
P24-25
限界まで給餌を続けた人も、自分の家畜が近所に迷惑をかけないように畜舎に閉じこめて避難所に向かった人も、すぐに帰れると思って着の身着のままで避難した人も、どこかで家畜を助ける手が差し伸べられるのを期待し、国を信じていた。だが、次に国が指示したのは、安楽死という名の殺処分だった。
P73
そもそも避難すべき場所が間違っていた。飯舘村も津島も、放射性物質が飛散した危険な方向に当たっていた。113億もの巨費を投じて開発されたSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)は、全く機能しなかった。
P83
この土地の土が育てた稲は、人と牛で分け合う。牛にとって稲ワラは、食料であり、寝床にもなる。土が育てた草を牛が食べ、牛が排出した糞は堆肥となって土に還る。その土が汚染されてしまった。
牛飼いの村に、人と牛はいなくなり、放射性物質だけが残った。
P132牛飼い・吉沢氏の言葉
「牛飼いなら見捨てないぞ、と餌を運んで世話を続けてきたおれたちは正しいことをしたと思う。けれども、緊急避難時に牛を置いて逃げた農家も、そうするしかなかったし、正しい判断、正しい行動だったんだ。本意じゃなくても、安楽死に同意せざるをえなかったことは間違いない。殺す、殺さないで、うちじゅうが言い争い、だんだん力尽きて、もはやこれまで、とハンコをつくほかなかった。原発事故というのは、そういうことだったんだ。そうやって、牛を埋めた場所があっちこっちにある。いずれは、おれ、慰霊の記念碑をつくりてぇと思うんだけど」
P172東北大学・佐藤教授
「日本人にとって牛は感情的には家族の一員であり、西洋人の考える肉や乳を生産する単なる産業動物ではない」
P187牛飼い・吉沢氏の言葉
「オフサイトセンターの責任は大きい。大熊町のオフサイトセンターは、本来なら原発の事故対応の最前線で対策を講じるべきなのに、果たすべき役割を果たさず、さっさと自分たちが逃げてしまった。最後まで頑張ってみんなを避難誘導しようとしなかったし、浪江町の避難している人のところには、連絡もよこさなかった。僕は一生問うよ。あんたたちは逃げた、腰抜け役所ですよ。それが今さら何を制限するというのか!」
P187同上
「牛たちは生きた証人ですよ。再稼働に抗議する生きたシンボルですよ」
【テクニカルターム】P93
ベクレルは土壌のほか、水道水や食品などの検査に用いられる単位であり、シーベルトは空間線量など、被爆の影響を見るときに用いられる単位である。
【参考リンク】
希望の牧場・ふくしま 公式ブログ - Gooブログ
福島の牛に希望の在りかを訊く(眞並恭介)|ポリタス 3.11から ...
【ネット上の紹介】
東日本大震災から2ヵ月を経過した5月12日、警戒区域内の家畜に対して殺処分の指示が言い渡された。処分を受け入れられない一部の牛飼いは、牛たちを生かすべく力をそそぐ。困難を極める餌の調達、警戒区域への立ち入りをめぐる行政との攻防。やがて、荒れ果てた農地での放牧が、農地の保全、ひいては土地の除染の可能性をもつことが判明し、牛飼いたちは生かされざるべき牛たちが生きる意味を見出していく。
[目次]
安楽死という名の殺処分
警戒区域の牛たち―餓死でも安楽死でもなく
飯舘村の牛たち―人も牛も姿を消した
飛散した放射性物質―土と動物の被曝
放れ牛と牛飼いの挑戦―牧柵の内と外…牛の生と死
ふるさとを遠く離れて―牛の時間と人間の時間
牛が生きつづける意味―牛飼いを支援する研究者
被曝の大地に生きる―家畜と野生の狭間で
帰還困難区域の牛たち―牛が守るふるさと
検問を越えて牛の国へ―牛が教えてくれたこと
牛と大地の時間
「颶風の王」河崎秋子
三浦綾子文学賞作品。
よかった。
とても新人とは思えない深い内容。
明治から現代まで、馬と人間を6世代に渡って描く。
最初は東北・福島から始まる。
(以下、ストーリーを書くため、ネタバレ有り、ご注意)
ミネと馬のアオを中心に語られる。
ミネの息子・捨造は北海道へ移住することを決意する。
第2章で舞台は北海道・根室に移動し捨造の孫・和子が主人公。
終わりに根室から帯広への引っ越しが決まる。
第3章で、現代になって、和子の孫・大学生のひかりが主人公となる。
舞台は帯広から再び根室。
それぞれに馬が登場し、人との関わりが描かれる。
P143
「生き汚くでも、生きねばなんねえって。そう思って必死にやってきたけども、なあ」
それきり黙った祖父の意を汲むように、山田老人が頷き言葉を継いだ。
「しんどいなあ。何の仕事もしんどくねえこと無えと思うけど、馬屋は馬屋で、本当しんどいもんなあ」
「ああ、本当そうだ。本当にさ・・・・・・」
【参考リンク】
【三浦綾子文学賞 受賞作】『颶風の王』(ぐふうのおう)河崎秋子 ...
【おまけ】
『颶風』とは、強く激しい風、のこと。
【ネット上の紹介】
力が及ばぬ厳しい自然の中で馬が、人が、懸命に生きている―。明治の世。捨造は東北から新天地・北海道へ向かっていた。道中、捨造は童女のように生きる母からもらった紙切れを開く。それはいつもの、幼子が書いたようなものではなかった。雪崩で馬と遭難しながらも、その馬を食べて生き延び、腹の中の捨造の命を守りきった、母の壮絶な人生の記録だった。北海道の大地で羊を飼い、乳牛を育てながら小説を書き続ける、新人・河崎秋子が圧倒的なスケールでおくる三浦綾子文学賞受賞作。
「男性漂流 男たちは何におびえているか」奥田祥子
生きにくい世の中である。
それも、男にとって・・・。
男はつらい、のである。
次の5章に分けられている。
(これは他人事ではない)
第1章 結婚がこわい
第2章 育児がこわい
第3章 介護がこわい
第4章 老いがこわい
第5章 仕事がこわい
介護について
P137
同居する親を1人で介護する中年の独身男性たちは、苦悩を共有できる家族がいないばかりか、仕事に大半の時間を費やしてきたため近所付き合いもなく、孤独な無縁介護を強いられている。孤独なだけであれば、まだ自らの力で周囲の人間を頼るなど、明日への道を切り開く方法は残されている。だが、孤立化したケースでは、本人の力だけではどうすることもできない限界点を示しているように思う。
仕事でそりの合わない女性部下をもった中間管理職男性の話
人事考査で低い点をつけて、さらに怨まれてしまう
P187
「それから・・・職場で事あるごとにその部下の女性が私に歯向かうようになり・・・お、思わず、『だから、つべこべ言わずに、指示通りにやれって言ってるだろ!』。そう大声で怒鳴ってしまったんです。昔の営業部時代の癖が出てしまったんですね。総務部に移ってからは控えていたんですが、私が若手の頃は先輩や上司から常に取られていた言動でしたから・・・。そんなやりとりがその後も続いて・・・と、とうとう、彼女からパワハラを受けていると、人事部に訴えられてしまいまして・・・。(後略)」
(結局、この男性は上司から「指導力に問題あり」と査定で最低ランクをつけられ、部署替えもされ、鬱病をになり、退職に追い込まれる・・・成果主義の人事考査も考えものだ。鬱病が増えたのはこのせいか?終身雇用で年功序列・・・その頃が懐かしい)
【ネット上の紹介】
哀しくも愛しい男性ミドルエイジクライシスの真実。結婚できない男、仮面イクメン、介護シングル男子、男だって更年期、リストラ・非正規のバカヤロー…黙して語らず、孤独に葛藤する男性たちに10年密着、その「ホンネ」と「実態」に迫る!!
[目次]
第1章 結婚がこわい(婚活圧力と生涯未婚ラベリング
二〇〇四年の「白雪姫求め男」 ほか)
第2章 育児がこわい(「イクメン」登場
パパサークルの現場 ほか)
第3章 介護がこわい(「ケアメン」―男性介護の時代
悠々自適な「中年パラサイト」 ほか)
第4章 老いがこわい(男性もアンチエイジングの時代
自信が湧く男性更年期治療 ほか)
第5章 仕事がこわい(会社が守ってくれる時代の終焉
考課する中間管理職の悩み ほか)
ルーフから始まる正田マンの9月課題、やっと登れたので、記録しておく。
(10月も終わりに近づいて、やっとRP・・・苦労しました)
忙しくて、なかなか平日練習が出来ないから、と言い訳しておく。
(練習時間と持久力は比例する・・・身体は正直)
その後1時間かけて、大きな黄緑テープ、10課題出来ていたので、トライした。
8課題OK。
2課題ペケ。(#4、#5が難しい)
「みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記」星野博美
「島へ免許を取りに行く」という作品がある。
なぜ、免許を取る必要が生じたのか、本作品で説明される。
なぜ、長崎の教習所まで、行ったのか、も分かる。
「コンニャク屋漂流記」でスペイン船漂着に触れられたが、本作品で、関係してくる。
著者がかつて訪れた、香港、マカオも関連してくる。
全てが、繋がっている。
過去の集大成とも言うべき作品。
また、久しぶりに「旅の人」となった星野博美さんを見ることができる。
まさに、著者の真骨頂、嬉しい限り、である。
(だから、第七章「スペイン巡礼」篇は、たまらない面白さだ)
P94
イエズス会はポルトガル王室と結びつき、ポルトガルの航海領域で独占的に布教する権利と経済援助を補償されていた(実際にはその金がとだえることが多かったが)。1534年にパリで創設され、40年に教皇から認可されたばかりの新進修道会、イエズス会が短期間で急成長を遂げたのは、ポルトガル王から与えられた排他的な特権のおかげだった。ポルトガルの行くところにイエズス会あり、なのである。(ところが、スペイン王フェリペ二世がポルトガル王位を継承してしまう・・・ショックだったに違いない)
P94
彼らが独占していた布教範囲が「市場開放」され、スペインを後ろ盾にする他の修道会が参入してしまうからだ。
P95
日本の民が与り知らないところで日本の争奪戦が行われていた。それこそ、魂の救済を求めて改宗した日本のキリシタンにはまったく関係のない話だ。
このあたりの経緯を読んでいると、不謹慎だが私は、コカ・コーラとペプシ、あるいはグーグルとアップルといった、グローバル企業の世界シェア争奪を連想してしまう。(おそろしく縁遠い話をしながら、納得してしまう話術だ)
島原へ取材に行った時の話
P209
島原半島のバス停で遭難などしたら世間の笑いものになるだろう。そう遠くないうちに車の免許を取ろう、と固く心に誓った。あてずっぽうに動く人間に、日本の地方は甘くない。(これが「島へ免許を取りに行く」の原点だ!・・・だから次のように書かれている→P225、長崎県内でそう決心したのだから、落とし前も長崎でつけようという思いがどこかにあり、免許を取るため、五島の福江島へ合宿に行った、と)
タイトルの意味が語られる
P362
後世に残された絵や演奏の逸話は、南蛮文化の頂点というより、血なまぐさい迫害がすぐ背後に迫った、最後の一瞬のきらめきだったのである。それは、突然に現れて夜空を照らし、それを見たある者は珍しくて美しいと言い、ある者は不吉だと言う、彗星のようでもある。
【おまけ】1
「私的キリシタン探訪記」とあるように、キリシタンの足跡を訪ねている。
日本のキリシタンの歴史は、殉教の歴史でもある。
血なまぐさい。
その中で、ところどころ著者の個人的なリュートの話が出てくる。
これが、涼風となって心をなごませてくれる。
【おまけ】2
知らないことがけっこう多い、と思い知らされた。
プロテスタント系は、様々な会派に別れているのを知っていたが、カトリックは一枚岩と思っていた。
ところが、イエズス会、フランシスコ会、ドミニコ会、アウグスチノ会・・・と、しのぎを削っていたとは。
【著者の言葉】
私は「抱き合わせ商法」って呼んでいるんですけど、はじめて『みんな彗星を見ていた』を読む人は、必ず『島へ免許を取りに行く』や『コンニャク屋漂流記』や『転がる香港に苔は生えない』など、他の本も読まなきゃいけないようになっています(笑)全作、何度も読み返してほしいです。すべてがどこかでつながっていますので。
- 第169回 今を知るために歴史を知りたい(星野博美さん編)(2016.03.07)
- 第170回 400年前と今を重ね合わせる(2016.03.08)
- 第171回 みんな見間違えているので言いたい、という気持ち(2016.03.09)
【参考図書】
【ネット上の紹介】
東と西が出会ったとき、一体何が起きたのか 多くの謎が潜む、キリシタンの世紀。長崎からスペインまで、時代を生き抜いた宣教師や信徒の足跡を辿り、新たな視点で伝える。
万博公園に行ってきた
万博公園と言えば太陽の塔
広々としている
汽車も走っているが、歩いた
天気もよかったし
ひまわりも咲いている
でも、秋と言えばコスモス
この色はしぶい
この色もいい
秋らしくてよろしい
秋の蓮は・・・しぶすぎる
近江富士・三上山に登ってきた。(ずっと気になっていた山だ)
俵藤太によるムカデ退治でも有名。
JR野洲駅から歩くこと45分。
登山口に到着。(道路を歩くので、アプローチの方が精神的に疲れる)
秋は松茸山となるので、入山料500円必要。(9/23-11/3)
本来なら御上神社に支払うのだが、私は登山口の近くの「今堀衣料店」で支払った。(道の駅と産地直売を兼ねている)
これで、もし松茸を見つけたら遠慮なく収穫できる。
(でも結局、見つけることは出来なかった・・・うたかたの夢を見せてもらった)
500円は神社発行の宝くじのようなものだ。(但し、「名人」は確実に10倍以上の元を取る、そうだ)
遠景はたおやかな雰囲気だが、登山道は露岩していてごつごつしている
山頂からの眺望はすばらしい
山頂には磐座が祀られている(山頂で写真を撮っていると、カップルに写真を撮ってくれ、と頼まれた・・・なぜか良く頼まれる・・・雰囲気が軽いからか?)
【豆知識】
現地でもらった資料によると、御上神社には普通車70台分の駐車場があるようだ。
野洲駅からのアプローチを省略するには、車しかない。
バスも、野洲駅から出ているが、1時間に1本くらい。
【資料】
朝10:45分に野洲駅出発し、13:45分くらいに野洲駅に戻った。
すなわち3時間かかった。
登山そのものは1時間半くらいか?残り1時間半は道路を歩いたアプローチ。
(登山口+入山料を払う場所を捜す時間もかかって手間取った)
「瀬島龍三 参謀の昭和史」保阪正康
戦中は、大本営作戦参謀を勤め、戦後はシベリア抑留、帰国して伊藤忠に勤める。
そして、わずか5年で4等社員から取締役まで上り詰める。
(4等社員は高卒の女子社員と同じ・・・それにしても、この等級制度はえげつない)
その後、中曽根総理のもとで行革を推進。
「不毛地帯」のモデルとも言われる。(山崎豊子さんは否定している)
・・・「伝説の男」瀬島龍三ノンフィクション。
シベリアに抑留され、現在、全国戦後強制抑留補償要求推進議会・事務局長をつとめる高木健太郎氏の語り。
P65
「(前略)一説では、われわれ兵隊がシベリアへ連行されたのは、終戦のときに『国家賠償』として連れていかれたというんです。うちの会のある理事は、瀬島さんたちがソ連との話し合いでそれを認めた疑いがある、といっています。瀬島さん、あなたはソ連との停戦交渉でどのような話し合いをしたのか、一言でいいからわれわれに話してください。それがわれわれ抑留者全員の願いなんです。でも瀬島さんはこの件に関してはいまだに一言も話していないんです」(もしこれが本当ならとんでもない新事実、である。実際のところ、どうなんだろう?)
P74
ソ連の理不尽さと無法によって、抑留60万人余の将兵と民間人は辛酸をなめた。その原点が、この停戦協定にあったと主張する人々がいる以上、瀬島は公的な立場で歴史的な交渉に立ち会った当事者として、公の場で交渉内容、協定の全容など事実関係を明確に語る責務があるのではないだろうか。
歴史の分岐点での大いなる誤り
P99
このとき、日本は二重に過ちを犯した。ひとつは、独ソ戦でドイツがソ連を短期間に抑圧するだろうという見とおしをもったこと。もうひとつは、たとえ南部仏印に進駐したとしても、米英は“戦争状態”にはいる処置をとらないだろうと甘く考えたことである。
P129
このレイテ島決戦には、現地の第14方面軍の山下司令官も武藤参謀長も反対した。武藤は、台湾沖航空戦の戦果の真偽は不明である、これをもっと確かめてほしい、とまで言って大本営の方針転換を怒った。第14方面軍参謀たちは、本来のルソン決戦、レイテ持久戦という作戦計画を一夜にして変更するのはおかしい、統帥の原則に反する、と大本営から説得に訪れた参謀次長の秦彦三郎と作戦課長の服部卓四郎につめよっている。(結局、レイテ決戦は決行され、その結果が、先日紹介した「虜人日記」である)
【ネット上の紹介】
陸大を優等な成績で卒業し、太平洋戦下の大本営作戦参謀を勤め、戦後は高度成長期に商社の企業参謀、さらに中曽根行革で総理の政治参謀として活躍―。激動の昭和を常に背後からリードしてきた瀬島龍三。彼の60年の軌跡を彩る数数の伝説を検証し、日本型エリートの功罪と歴史に対する指導者の責任を問うノンフィクション力作。
[目次]
第1章 シベリア体験の虚と実
第2章 大本営参謀としての肖像
第3章 敗戦に至る軍人の軌跡
第4章 商社経営者への道
第5章 臨調委員の隠れた足跡
「ごちそうは黄昏の帰り道」(1)志村志保子
「林檎の木を植える 」以来の長編。
久しぶりなので読んでみた。
結婚直前で婚約破棄をした片倉ましろが主人公。
親から勘当され、慰謝料などの借金を返済しながら1人で暮らす。
貧乏なので、日々暮らしていくだけで精一杯。
ものの値段がやたら出てくる
「人生の買物カゴに私は何を絶対入れたいのか」
【参考リンク】
作品紹介 ごちそうは黄昏の帰り道 | 集英社 Cookie
【参考リンク】
志村志保子作品といえば、何と言ってもこの作品。
(試し読みしてできるから、ちょっと読んでみて)
→作品紹介 女の子の食卓 | 集英社 Cookie
【ネット上の紹介】
結婚直前で婚約破棄をした片倉ましろは、親から勘当され、式場のキャンセル代などを返済しながら1人、貧乏暮らしを始めることに。自分の時間と向き合い、少しずつ自立し始める中、大家の男・鷺谷さんとの関係が深まってゆき…!?
週末は、雑務を処理した。
覚書として記録しておく。
①年に一度、植木の散髪。
8:00-9:45 約2時間弱で終了。
作業人数は、一昨年2人、昨年は3人、今年は4人、だんだん増えてきた。
シルバー人材センターに頼んでいるので、来られる方、年々高齢化している。
そのため、少人数での労働がツラいのかもしれない。
¥12320円也
植木作業の間に、買い物をしたり、本を読んだり・・・いろいろ。
②18:00から、ケアマネさんの訪問をうける。
介護保険の切り替えの為、申請手続き・・・相談しながら、書類記入。
申請→訪問を受ける→保険証交付・・・2年に一度の行事である。
③翌日、hondaで車を修理・・・運転席側に細かい傷が複数あり。
コンパウンドでこすったが回復せず。
気になるのでプロにまかせることに。
保険等級を下げず、1000円で補修完了。
(実際の費用は28000円だそうだ)
その後、新刊図書を何冊か購入。
あまり本を増やしたくないので、必要最小限で押さえている。
(自宅の荷物を増やすと、私が成仏したときに、遺品整理の方に申し訳ないから)
老後の人生のキーワードは「整理」である。
少しずつ、身の回りのものを処理していきたい、と思う。
(人間関係は、もともと少ないので、現状維持でOKか?)