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「密航のち洗濯」宋恵媛/望月優大

2024年10月02日 11時14分00秒 | 読書(ノンフィクション)
「密航のち洗濯」宋恵媛/望月優大

2024年 講談社本田靖春ノンフィクション賞受賞

P112・・・8月15日正午に玉音放送、夜7時には安在鴻による特別放送
「わが朝鮮は連合軍によって独立が保証されています。それから、日本人に危害を加えるようなことは絶対につつしんで下さい。朝鮮にいる百数十万の日本人の生命財産をみなさんの手で保護して下さい。同胞のみなさん!日本には引き揚げなければならない五百万のわが同胞がいることを深く静かにお考え下さい。――」

P142
入管の収容所は針尾から同じ長崎の大村に移転した。劣悪な待遇、日韓外交の失敗による長期収容、収容所内のイデオロギー対立で知られた大村収容所だ。大村収容所は、大村海軍廠の跡地に設置された。

P190
敗戦時、朝鮮北部には約27万の在朝日本人がいた。(南部には約50万人)ソ連軍による進駐ののち、「38度線」は早々に封鎖される。軍関係などで8月中に南部京城(現・ソウル)や釜山に到達した者もいたし、満鉄や満州国の関係者で朝鮮から満洲に再び戻った者もいたが、満洲避難民の多くは38度線以北の各地に収容され、極寒の越冬を経験した。

【ネット上の紹介】
1946年夏。朝鮮から日本へ、男は「密航」で海を渡った。日本人から朝鮮人へ、女は裕福な家を捨てて男と結婚した。貧しい二人はやがて洗濯屋をはじめる。蔚山、釜山、山口、東京―洗濯屋の「その後」を知る子どもたちへのインタビューと、わずかに残された文書群を手がかりに、100年を超える家族の歴史をたどる。
密航1946
第1章 植民地の子ども(朝鮮 1911‐24
日本 1924‐44
朝鮮 1944‐46)
送還 1946
第2章 洗濯屋の家族(尹紫遠 ユンジャウォン
大津登志子 おおつとしこ
泰玄 テヒョン たいげん
逸己 いつこ イルギ)