【ぼちぼちクライミング&読書】

-クライミング&読書覚書rapunzel別館-

「牛と土 福島、3.11その後。」眞並恭介

2015年10月23日 20時50分17秒 | 読書(現代事情)


「牛と土 福島、3.11その後。」眞並恭介

2015年、第37回 講談社ノンフィクション賞受賞作品。
3.11、原発近くの牛たちはどうなったのか?
放射能まみれの土地で牛を生かし続ける意味は?

P24-25
 限界まで給餌を続けた人も、自分の家畜が近所に迷惑をかけないように畜舎に閉じこめて避難所に向かった人も、すぐに帰れると思って着の身着のままで避難した人も、どこかで家畜を助ける手が差し伸べられるのを期待し、国を信じていた。だが、次に国が指示したのは、安楽死という名の殺処分だった。

P73
 そもそも避難すべき場所が間違っていた。飯舘村も津島も、放射性物質が飛散した危険な方向に当たっていた。113億もの巨費を投じて開発されたSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)は、全く機能しなかった。

P83
 この土地の土が育てた稲は、人と牛で分け合う。牛にとって稲ワラは、食料であり、寝床にもなる。土が育てた草を牛が食べ、牛が排出した糞は堆肥となって土に還る。その土が汚染されてしまった。
 牛飼いの村に、人と牛はいなくなり、放射性物質だけが残った。

P132牛飼い・吉沢氏の言葉
「牛飼いなら見捨てないぞ、と餌を運んで世話を続けてきたおれたちは正しいことをしたと思う。けれども、緊急避難時に牛を置いて逃げた農家も、そうするしかなかったし、正しい判断、正しい行動だったんだ。本意じゃなくても、安楽死に同意せざるをえなかったことは間違いない。殺す、殺さないで、うちじゅうが言い争い、だんだん力尽きて、もはやこれまで、とハンコをつくほかなかった。原発事故というのは、そういうことだったんだ。そうやって、牛を埋めた場所があっちこっちにある。いずれは、おれ、慰霊の記念碑をつくりてぇと思うんだけど」

P172東北大学・佐藤教授
「日本人にとって牛は感情的には家族の一員であり、西洋人の考える肉や乳を生産する単なる産業動物ではない」

P187牛飼い・吉沢氏の言葉
「オフサイトセンターの責任は大きい。大熊町のオフサイトセンターは、本来なら原発の事故対応の最前線で対策を講じるべきなのに、果たすべき役割を果たさず、さっさと自分たちが逃げてしまった。最後まで頑張ってみんなを避難誘導しようとしなかったし、浪江町の避難している人のところには、連絡もよこさなかった。僕は一生問うよ。あんたたちは逃げた、腰抜け役所ですよ。それが今さら何を制限するというのか!」

P187同上
「牛たちは生きた証人ですよ。再稼働に抗議する生きたシンボルですよ」


【テクニカルターム】P93
ベクレルは土壌のほか、水道水や食品などの検査に用いられる単位であり、シーベルトは空間線量など、被爆の影響を見るときに用いられる単位である。

【参考リンク】
希望の牧場・ふくしま 公式ブログ - Gooブログ

福島の牛に希望の在りかを訊く(眞並恭介)|ポリタス 3.11から ...

【ネット上の紹介】
東日本大震災から2ヵ月を経過した5月12日、警戒区域内の家畜に対して殺処分の指示が言い渡された。処分を受け入れられない一部の牛飼いは、牛たちを生かすべく力をそそぐ。困難を極める餌の調達、警戒区域への立ち入りをめぐる行政との攻防。やがて、荒れ果てた農地での放牧が、農地の保全、ひいては土地の除染の可能性をもつことが判明し、牛飼いたちは生かされざるべき牛たちが生きる意味を見出していく。

[目次]
安楽死という名の殺処分
警戒区域の牛たち―餓死でも安楽死でもなく
飯舘村の牛たち―人も牛も姿を消した
飛散した放射性物質―土と動物の被曝
放れ牛と牛飼いの挑戦―牧柵の内と外…牛の生と死
ふるさとを遠く離れて―牛の時間と人間の時間
牛が生きつづける意味―牛飼いを支援する研究者
被曝の大地に生きる―家畜と野生の狭間で
帰還困難区域の牛たち―牛が守るふるさと
検問を越えて牛の国へ―牛が教えてくれたこと
牛と大地の時間