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「みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記」星野博美

2015年10月16日 21時00分14秒 | 読書(ノンフィクション)


「みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記」星野博美

「島へ免許を取りに行く」という作品がある。
なぜ、免許を取る必要が生じたのか、本作品で説明される。
なぜ、長崎の教習所まで、行ったのか、も分かる。
「コンニャク屋漂流記」でスペイン船漂着に触れられたが、本作品で、関係してくる。
著者がかつて訪れた、香港、マカオも関連してくる。

全てが、繋がっている。
過去の集大成とも言うべき作品。
また、久しぶりに「旅の人」となった星野博美さんを見ることができる。
まさに、著者の真骨頂、嬉しい限り、である。
(だから、第七章「スペイン巡礼」篇は、たまらない面白さだ)

P94
 イエズス会はポルトガル王室と結びつき、ポルトガルの航海領域で独占的に布教する権利と経済援助を補償されていた(実際にはその金がとだえることが多かったが)。1534年にパリで創設され、40年に教皇から認可されたばかりの新進修道会、イエズス会が短期間で急成長を遂げたのは、ポルトガル王から与えられた排他的な特権のおかげだった。ポルトガルの行くところにイエズス会あり、なのである。(ところが、スペイン王フェリペ二世がポルトガル王位を継承してしまう・・・ショックだったに違いない)
P94
彼らが独占していた布教範囲が「市場開放」され、スペインを後ろ盾にする他の修道会が参入してしまうからだ。

P95
 日本の民が与り知らないところで日本の争奪戦が行われていた。それこそ、魂の救済を求めて改宗した日本のキリシタンにはまったく関係のない話だ。
 このあたりの経緯を読んでいると、不謹慎だが私は、コカ・コーラとペプシ、あるいはグーグルとアップルといった、グローバル企業の世界シェア争奪を連想してしまう。(おそろしく縁遠い話をしながら、納得してしまう話術だ)

島原へ取材に行った時の話
P209
 島原半島のバス停で遭難などしたら世間の笑いものになるだろう。そう遠くないうちに車の免許を取ろう、と固く心に誓った。あてずっぽうに動く人間に、日本の地方は甘くない。(これが「島へ免許を取りに行く」の原点だ!・・・だから次のように書かれている→P225、長崎県内でそう決心したのだから、落とし前も長崎でつけようという思いがどこかにあり、免許を取るため、五島の福江島へ合宿に行った、と)

タイトルの意味が語られる
P362
 後世に残された絵や演奏の逸話は、南蛮文化の頂点というより、血なまぐさい迫害がすぐ背後に迫った、最後の一瞬のきらめきだったのである。それは、突然に現れて夜空を照らし、それを見たある者は珍しくて美しいと言い、ある者は不吉だと言う、彗星のようでもある。

【おまけ】1
「私的キリシタン探訪記」とあるように、キリシタンの足跡を訪ねている。
日本のキリシタンの歴史は、殉教の歴史でもある。
血なまぐさい。
その中で、ところどころ著者の個人的なリュートの話が出てくる。
これが、涼風となって心をなごませてくれる。

【おまけ】2
知らないことがけっこう多い、と思い知らされた。
プロテスタント系は、様々な会派に別れているのを知っていたが、カトリックは一枚岩と思っていた。
ところが、イエズス会、フランシスコ会、ドミニコ会、アウグスチノ会・・・と、しのぎを削っていたとは。

【著者の言葉】
私は「抱き合わせ商法」って呼んでいるんですけど、はじめて『みんな彗星を見ていた』を読む人は、必ず『島へ免許を取りに行く』や『コンニャク屋漂流記』や『転がる香港に苔は生えない』など、他の本も読まなきゃいけないようになっています(笑)全作、何度も読み返してほしいです。すべてがどこかでつながっていますので。




【参考図書】


【ネット上の紹介】
東と西が出会ったとき、一体何が起きたのか 多くの謎が潜む、キリシタンの世紀。長崎からスペインまで、時代を生き抜いた宣教師や信徒の足跡を辿り、新たな視点で伝える。