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「瀬島龍三 参謀の昭和史」保阪正康

2015年10月07日 21時06分48秒 | 読書(昭和史/平成史)


「瀬島龍三 参謀の昭和史」保阪正康

戦中は、大本営作戦参謀を勤め、戦後はシベリア抑留、帰国して伊藤忠に勤める。
そして、わずか5年で4等社員から取締役まで上り詰める。
(4等社員は高卒の女子社員と同じ・・・それにしても、この等級制度はえげつない)
その後、中曽根総理のもとで行革を推進。

「不毛地帯」のモデルとも言われる。(山崎豊子さんは否定している)
・・・「伝説の男」瀬島龍三ノンフィクション。

シベリアに抑留され、現在、全国戦後強制抑留補償要求推進議会・事務局長をつとめる高木健太郎氏の語り。
P65
「(前略)一説では、われわれ兵隊がシベリアへ連行されたのは、終戦のときに『国家賠償』として連れていかれたというんです。うちの会のある理事は、瀬島さんたちがソ連との話し合いでそれを認めた疑いがある、といっています。瀬島さん、あなたはソ連との停戦交渉でどのような話し合いをしたのか、一言でいいからわれわれに話してください。それがわれわれ抑留者全員の願いなんです。でも瀬島さんはこの件に関してはいまだに一言も話していないんです」(もしこれが本当ならとんでもない新事実、である。実際のところ、どうなんだろう?)

P74
 ソ連の理不尽さと無法によって、抑留60万人余の将兵と民間人は辛酸をなめた。その原点が、この停戦協定にあったと主張する人々がいる以上、瀬島は公的な立場で歴史的な交渉に立ち会った当事者として、公の場で交渉内容、協定の全容など事実関係を明確に語る責務があるのではないだろうか。

歴史の分岐点での大いなる誤り
P99
 このとき、日本は二重に過ちを犯した。ひとつは、独ソ戦でドイツがソ連を短期間に抑圧するだろうという見とおしをもったこと。もうひとつは、たとえ南部仏印に進駐したとしても、米英は“戦争状態”にはいる処置をとらないだろうと甘く考えたことである。

P129
 このレイテ島決戦には、現地の第14方面軍の山下司令官も武藤参謀長も反対した。武藤は、台湾沖航空戦の戦果の真偽は不明である、これをもっと確かめてほしい、とまで言って大本営の方針転換を怒った。第14方面軍参謀たちは、本来のルソン決戦、レイテ持久戦という作戦計画を一夜にして変更するのはおかしい、統帥の原則に反する、と大本営から説得に訪れた参謀次長の秦彦三郎と作戦課長の服部卓四郎につめよっている。(結局、レイテ決戦は決行され、その結果が、先日紹介した「虜人日記」である)

【ネット上の紹介】
陸大を優等な成績で卒業し、太平洋戦下の大本営作戦参謀を勤め、戦後は高度成長期に商社の企業参謀、さらに中曽根行革で総理の政治参謀として活躍―。激動の昭和を常に背後からリードしてきた瀬島龍三。彼の60年の軌跡を彩る数数の伝説を検証し、日本型エリートの功罪と歴史に対する指導者の責任を問うノンフィクション力作。
[目次]
第1章 シベリア体験の虚と実
第2章 大本営参謀としての肖像
第3章 敗戦に至る軍人の軌跡
第4章 商社経営者への道
第5章 臨調委員の隠れた足跡