【ぼちぼちクライミング&読書】

-クライミング&読書覚書rapunzel別館-

「名画と読むイエス・キリストの物語」中野京子

2024年09月02日 08時17分40秒 | 読書(宗教)
 

「名画と読むイエス・キリストの物語」中野京子

読み返し。

P20
古代ユダヤでは、男子は13歳、女子は12歳になると、一人前の成人とみなされた。したがって多くは十代半ばまでに結婚した。大工のヨセフと婚約者のマリアも、おそらく13歳から15歳の間だったと思われる。

『受胎告知』フラ・アンジェリコ

P58
イエスは洞窟の中で、40日間、断食と祈りを続けた。
40は聖なる数であり、何かを為すための準備期間として必要な数とされていた。モーセもエリヤも40日間荒野にこもったし、ノアの洪水も40日続き、人が母の胎内にいるのは40週と考えられた。イエスで言えば、復活後40日間この世にとどまっていた。エルサレムの滅亡は、イエスの死の40日後である。

P69
後にイエスはシモンに、ペテロ(岩の意)という名を与える。岩の上に教会を建て、「天国の鍵」を預けよう、と約束もした。

P70
ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂は、聖ペテロの聖堂という意味だ。絵画においては、十字架に釘で打ち付けられる白髪の老人姿でよく描かれる。

P177
イエスの処刑に、ローマ人たる自分は無関係だ、責任はおまえたちユダヤ人で取れ、と突き放したのだが、雪崩をうって突き進む群衆は、なんら恐れもためらいもなく、「その血は、我らと我らの子孫に帰すべし」と、歴史におけるユダヤ人観を決定づける答えを返すのだった。

P200
キリスト教における最重要の祝日といえば、復活祭(=イースター)。なぜならこの祭は、イエスが予言どおり復活したのを寿ぐ日、即ち、イエスが人間から神になった記念日だからだ。

【ネット上の紹介】
ドラマティックなイエス・キリストの物語画は、独創的な表現に満ちた傑作・名作のオンパレード。イエスのおおまかな生涯を知った上で西洋名画を楽しみたい―そう願う人のための、これは手引書である。
[目次]
幼子イエス;洗礼;荒野の修行;伝道;奇蹟;女たち;使徒たち;エルサレム;最後の晩餐;ゲッセマネ;裁判;磔刑;復活

「中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇」中野京子

2024年08月29日 07時08分12秒 | 読書(宗教)


「中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇」中野京子

読み返し。

P110
2008年、何とヴァチカンが新時代のため「七つの大罪」を発表した。
「遺伝子組み換え」
「人体実験」
「環境汚染」
「社会的不公正」
「貧困を起こすこと」
「淫らなまでに金持ちになること」
「麻薬」

P127
ガリラヤのナザレと町に住むマリアのもとに、ある日突然、大天使ガブリエルがあらわれ、「おめでとう(=アヴェ)と呼びかけた(これが歌に聞く「アヴェ・マリア」)。

P174
何しろ12人のうち11人までが北部ガリラヤ地方出身者なのに、ユダのみ南部ユダヤ地方カリオテ村の人間なのだ(したがって彼は「イスカリオテ(=カリオテの人)のユダ)と呼ばれる)。

【ネット上の紹介】
せっかく絵を味わいたいと思っているのに、宗教画だからと敬して遠ざけるのでは、あまりにもったいない。本書は、もっと宗教画を楽しみたい人、名画を通して聖書や歴史や画家について知りたいと思う人のための一冊です。[目次]
旧約聖書の章(鼻はやめて指に―ミケランジェロ『アダムの創造』;知恵と引き換えの死―クラナハ『楽園』/マザッチョ『楽園追放』;人類初の殺人者―ブレイク『アダムとイヴによって見つけられたアベルの肉体』/コルモン『カイン』;天までとどけ―ブリューゲル『バベルの塔』;神様は謎かけばかり―レンブラント『イサクの犠牲』/カラヴァッジョ『イサクの犠牲』 ほか);新約聖書の章(おめでとう、と言われても…―ダ・ヴィンチ『受胎告知』/ロセッティ『見よ、われは主のはしためなり』;誰も気づかない―ブリューゲル『ベツレヘムの人口調査』;有名人と記念撮影―アルトドルファー『東方三博士の礼拝』/ボッティチェリ『東方三博士の礼拝』;洗礼と生首―フランチェスカ『キリストの洗礼』/クリムト『ユーディット2/サロメ』;弟子たち―カラヴァッジョ『聖マタイの召命』 ほか)


「梅原猛、日本仏教をゆく」梅原猛

2024年08月24日 12時14分57秒 | 読書(宗教)

朝日文庫<br> 梅原猛、日本仏教をゆく 
「梅原猛、日本仏教をゆく」梅原猛

読み返し。

P90
空也が京都の都に現れたのは36歳のころであったが、人々は彼を市聖(いちのひじり)とよんだ。

P150
明治初年の廃仏毀釈において僧侶の妻帯が勧められ、さらに戦後、日本の僧はすべて肉食妻帯をするようになった。このような僧が、釈迦の定めた戒律を厳しく守る東南アジアなどの小乗仏教の僧からは、それでも僧かといわれるのはもっともであろう。

P175
イエスなくしてパウロはないが、パウロなくして今日のキリスト教はなかった。新約聖書にしても、そのもっとも重要な部分は四つのイエス伝と多くのパウロの手紙である。
 親鸞は東国で布教したが、その弟子はせいぜい数百にすぎなかった。しかし蓮如が死んだとき、浄土真宗の信者は数万、数十万に及んだ。(中略)
親鸞をイエス=キリストにたとえれば、蓮如はパウロにあたる。


【ネット上の紹介】
日本人はなぜ仏教に惹かれるのか?聖徳太子、空海、親鸞、日蓮から西行、千利休、一休、良寛、宮沢賢治まで。42人の仏教者に日本人の心の歴史を探った、著者ならではの力作。週刊朝日百科「仏教を歩く」好評連載の単行本化。
1 仏教の伝来
2 神と仏の融合
3 仏教の革命
4 仏教と芸術
5 禅の展開
6 近代の仏教者


「キリスト教でたどるアメリカ史」森本あんり

2024年08月16日 07時14分09秒 | 読書(宗教)

「キリスト教でたどるアメリカ史」森本あんり
 
P20
16世紀の覇者スペインは、キリスト教世界の威信をかけてオスマン帝国と戦い、カトリックの大義を掲げてオランダの反乱勢力と戦い、ヨーロッパの覇権を求めてフランスと戦ううちに、国力を使い果たしていった。

P97
19世紀に入ると、ヨーロッパでの産業革命の進行とジャガイモの不作で貧窮した移民が大量にアメリカに流入し、彼らの持ち込むカトリック信仰が次第に批判の標的とされるようになる。「ネイティヴィズム」(Nativism)と呼ばれる排斥運動は、この頃始まったものである。
 
 
P182
「ファンダメンタリズム」は、その後隆盛した「イスラム原理主義」との連想から、忌避される言葉となった。代わりに人々が自称として用いるようになったのが、広義に「プロテスタント」を意味する「福音派」(Evangelical)という呼称である。現代アメリカで使われる際の語感としては、聖書的な権威の尊重、贖罪と回心の重視、伝道への熱心などが共通して含意される。堕胎や同性婚などをめぐる見解は保守的で、特にこれらを議題とする人々を「宗教右派」と呼ぶこともある。
 
P219
アメリカ俗語では、クリスマスとイースターにだけ教会の礼拝に出席する人を「クリースター(Creasters)と呼ぶが、その数は年々増加している。

【ネット上の紹介】
アメリカがアメリカと「なってゆく」過程を知らずして、今日の実像を理解することはできない―。苦難の連続の建国前夜から陰謀論・反知性主義が渦巻く現代の混沌まで、彼の国を一貫して突き動かし、その寄る辺となってきた理念とは、まさしくキリスト教そのものであった。自由・寛容・狂信・傲慢…相反する両面を携えて、驀進する宗教国家の軌跡を一冊で通覧する。神学・宗教学の泰斗が記す、全く新しいアメリカ史。
「アメリカ」の始まり
ニューイングランドの建設
ピューリタンの信仰と生活
大覚醒
独立革命期
諸教会の伸展と変容
アンテベラム時代
新しい信仰の諸形態
南北戦争期
アメリカの膨張
二つの世界大戦
戦後から現代へ

「新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか」加藤隆

2024年08月12日 09時09分43秒 | 読書(宗教)


「新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか」加藤隆

P138
キリスト教の用語としての「エウアンゲリオン」は、ラテン語では単に発音を転記してラテン語の語尾を付したevangeliumとなる。(中略)英語のgospelは、「良い知らせ」という意味を翻訳したgood spellにあたる古英語・中期英語のgo(d)spellから由来したという。

P194
マルコ福音書には、他の福音書にはない大きな特徴がある。それは、マルコ福音書が最初に書かれた福音書だということである。

P207
マルコ福音書の著者マルコは、ペトロの秘書ないし通訳者であったと伝統的に言われている。

P213
ヘブライ語の「メシア」という語のギリシア語訳が「キリスト」である。

P273
マルコ福音書の著者はヘレニストのグループに属していた。したがってギリシア語で書いていたのである。(ヘレニストは反エルサレム教会)

P280
ギリシア語は当時の国際共通語であって、ギリシア語が選択されたことは、パレスチナの枠を越えて広範に拡大していたキリスト教世界全体を管理するためにはこの上なく好都合なことであった。一方ローマ帝国においては、1世紀の頃も、また4世紀になっても、文化的にはギリシア語の文化つまりヘレニスム文化が支配的だった。ギリシア語による支配は、ローマ帝国においては文化面における既存の基本的な支配構造だったのである。したがってギリシア語による支配構造が確立していたキリスト教は、ローマ帝国の国教として採用される上でも、大変整合的であったということができる。

【ネット上の紹介】
イエスが十字架にかけられてから30年もたって、最初の福音書は書かれた。なぜ?そして福音書が4つも書かれた理由は?イエスもその弟子達もアラム語を話していた。では、どうして新約聖書はギリシア語で書かれたのか?新約聖書の様々な謎を解き明かす、日本人のための聖書学入門。
1 聖書入門(契約としての「旧約」と「新約」
聖書の文書数
ユダヤ教の正典の成立 ほか)
2 新約聖書研究入門(十字架事件から新約聖書成立まで三百年
新約聖書の写本の問題―正文批判
新約聖書解釈の観点の問題 ほか)
3 新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか(マルコ福音書はなぜ書かれたのか
マルコ福音書におけるユダヤ人社会
マルコ福音書の社会思想 ほか)


「梅原猛の授業道徳」梅原猛

2024年07月25日 08時06分53秒 | 読書(宗教)


「梅原猛の授業道徳」梅原猛

読み返し。

P32
水戸光圀は仏教が嫌いだった。仏教が嫌いで、仏教の寺院をこわしたりした。廃仏毀釈という仏教否定運動を最初にやったのは水戸光圀さんです。

P40
憲法によって、日本が一応民主主義に移行する。しかし、あんまり民主主義の国になっては困るので、それに制約をかけたのが教育勅語だと私は思っています。
教育勅語をつくったのは、元田永孚という水戸学者です。この勅語には仏教の思想はほとんどない。(中略)
それでは神道はあるかというと、神道もないんです。

P119
ところで旧約聖書の「殺すなかれ」というところをよく読んでいくと、殺してはいけないのは、同じ神を信じている人たちのことなのです。つまり、エホバの神を信じている同じ仲間を殺してはいけない。

[目次]
いま、日本の道徳はどうなっているか
明治以後の道徳教育はどうなったか
道徳の根源をどこに求めるか
自利利他の行と仏教・キリスト教
自利利他の道徳と社会 家族・会社・国家
第一の戒律 人を殺してはいけない
第二の戒律 嘘をついてはいけない
討論 『よだかの星』と『坊っちゃん』
第三の戒律 盗みをしてはいけない
人生をよりよく生きるために(努力と創造
愛と信
感謝と哀れみ)

[目録情報]
やさしい言葉で日本人の生き方を説く,『仏教』に続く授業シリーズ第2弾!(哲学・思想図書総目録より)


「梅原猛の授業仏教」梅原猛

2024年07月08日 06時50分45秒 | 読書(宗教)


「梅原猛の授業仏教」梅原猛

9年ぶりの読み返し。

P61
 西洋の聖者は二人とも殺された。これは重要なことです。ソクラテスは70歳で毒を飲んだ。イエス=キリストはまだ20代か30代前半ではりつけにされて殺された。ところが、東洋の聖者はそうじゃないんです。釈迦は涅槃で静かに死につく。孔子さまも畳の上で死んだ。これは西洋と東洋の思想を比較する上で大事な視点だと思います。

P79
新約聖書は「マタイ伝」「マルコ伝」「ルカ伝」「ヨハネ伝」という、4人の弟子によるイエスの伝記がありまして、次に「使徒行伝」という弟子たちの伝記があり、そのあとパウロがあちこちの信者にあてた「パウロの手紙」がある。パウロという人が実際にはキリスト教をつくったようなものですが、そのパウロの手紙があって、最後に「ヨハネの黙示録」がある。

P110
精進、禅定、正語、忍辱。やさしい言葉でいえば「こつこつ努力する」「集中力を養え」「正直であれ」「辱めに耐えろ」。この四つがあれば、人生は生きていけます。これが仏教で教える四つの大切な道徳です。

P138
大乗仏教がこんなに残っているのは、日本をのぞいては、チベットくらいのものです。

P144
上からの仏教布教者が聖徳太子、下からの仏教布教者が行基。この二人によって、仏教が日本の国教になったわけです。

P149
最澄は日本天台宗の根拠地、比叡山延暦寺を、まだ京都に都ができる前に建てたんですね。

P188
親鸞は自分でひとつの宗派をつくろうとは思わなかった。

P189
親鸞は90歳まで生きました。一世を風靡した僧ですが、親鸞は一生をほとんど無名ですごし、京都の片隅の自分の弟の寺でひっそり死んだ。

P194
仏教には二つの原理があります。ひとつは平等ということですね。(中略)
もうひとつ大事なことは、悟りを得る、煩悩の世界を超えた生き方ができるということです。

P210
京都の東にあるのは鎌倉時代につくられた寺で、北にあるのは室町時代につくられた寺です。

【ネット上の紹介】
宗教教育に基づいた道徳を教えたい―著者のその願いは中学校で一学期間授業をする形で叶った。その授業は、やさしい言葉で教える仏教の「いちばん大切なこと」。仏教を通して質の高い生き方を、中学生だけでなく、すべての学生から熟年世代まで語りかける名著。

[目次]

なぜ宗教が必要なのだろうか
すべての文明には宗教がある
釈迦の人生と思想を考える
大乗仏教は山から町へ下りた
生活に生きる仏教の道徳
討論・人生に宗教は必要か
日本は仏教国家になった―聖徳太子、行基、最澄
空海が密教をもたらした
鎌倉は新しい仏教の時代1 法然と親鸞
鎌倉は新しい仏教の時代2 日蓮と禅
現代の仏教はどうなっているか
いまこそ仏教が求められている


「キリスト教と戦争」 石川明人

2024年06月14日 07時19分48秒 | 読書(宗教)


「キリスト教と戦争」 石川明人

7年ぶりの読み返し。

P22
全世界で見るならば、全キリスト教徒約23億人のうち、最も多いのはカトリックであり、その信者数は12億人にのぼると推定されている。各プロテスタント諸派の合計は5~6億人、東方正教会は2~3億人、残りはその他もしくは不明、というのが大まかな内訳である。

P36
アジアに目を向けるなら、伊藤博文を暗殺した安重根も、実はカトリックの信者であった。(中略)
1909年、ハルビン駅で伊藤を暗殺した時、安は「天主よ、ついに暴殺者は死にました、感謝します」と言ったと伝えられている。

P60
ローマ・カトリック教会から独立した英国教会が誕生したのが1534年である。(ピューリタン革命は、その約100年後)

P69
聖書に「右の頬を打たれたら左の頬も向けよ」と書かれているから、キリスト教徒はみな、せめて建前上は絶対平和主義者である非暴力主義者だろうと考えるのは「宗教」に対しても「戦争」に対しても、認識が甘いのである。

P74
新約聖書はイエスの死後、かなりの時間がたってから、コイネーと呼ばれる俗語ギリシア語で書かれ、編纂された。イエスが新約聖書を書いたわけではない。そもそもイエスはギリシア語ではなくアラム語を話していたので、イエスの教えはイエス自身の話した言葉ではない言語で今に伝わっているわけである。

P75・・・「創世記」カインとアベル
人間から生まれた最初の人間に関するエピソードは「殺人」なのである。

P136
単純に考えれば、もし最初からすべてのキリスト教徒が「平和主義的」に振る舞っていたら、キリスト教徒は絶滅していたか、せいぜい小さなセクトであるにとどまっていたのではないかと思われる。

P147・・・1099年の十字軍について
十字軍がエルサレムに突入した時は、イスラム教徒に対するおぞましい虐殺が行われた。守備隊のみならず、女や子供も殺された。戦闘や虐殺がなされた場所には血が池のようにたまり、十字軍兵士と彼らをのせた馬も、そのなかをじゃぶじゃぶとわたっていったと伝えられる。

P150
2000年に、ようやくローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は、十字軍の経緯のなかでイスラム圏やビザンツ圏でなされたさまざまな罪過について謝罪したのである。

P157・・・ジャンヌ・ダルクについて
平和主義を自称するキリスト教徒たちも、剣を手にした「聖人」ジャンヌの姿を見て、「話し合いで解決すべきだ」などと批判したりしない。

P175
1637年の「島原の乱」も、単なる美しい殉教の話ではない。キリシタン側も人々に武力で改宗を強制し、寺院を破壊し、罪のない僧侶を処刑したのである。

【ネット上の紹介】
世界最大の宗教、キリスト教の信者は、なぜ「愛と平和」を祈りつつ「戦争」ができるのか?殺人や暴力は禁止されているのではなかったか?本書では、聖書の記述や、アウグスティヌス、ルターなど著名な神学者たちの言葉を紹介しながら、キリスト教徒がどのように武力行使を正当化するのかについて見ていく。平和を祈る宗教と戦争との奇妙な関係は、人間が普遍的に抱える痛切な矛盾を私たちに突きつけるであろう。
序章 キリスト教徒が抱える葛藤と矛盾
第1章 ローマ・カトリック教会の説く「正当防衛」
第2章 武装するプロテスタントたち
第3章 聖書における「戦争」と「平和」
第4章 初期キリスト教は平和主義だったのか
第5章 戦争・軍事との密接な関係
第6章 日本のキリスト教徒と戦争
終章 愛と宗教戦争


「キリスト教と日本人 宣教史から信仰の本質を問う」石川明人

2024年05月27日 06時54分25秒 | 読書(宗教)


「キリスト教と日本人 宣教史から信仰の本質を問う」石川明人

5年ぶりの読み返し。

P224
日本のキリスト教徒数は、総人口の1%程度という状態が続いている。(中略)
これまで宣教に費やしたコストとその成果に比べるならば、やはりキリスト教は日本で成功したとは言い難い。

P228
かつて、ヨーロッパのキリスト教徒たちは、外国に行っては現地の宗教文化を排斥し、壊滅させ、反抗する原住民を虐殺してきた。(中略)
しかし、日本はヨーロッパのキリスト教徒による侵略が当たり前だった時代に、それをさせなかった。あるいは、それをされずに済んだ。そのことが日本にキリスト教徒が広まらなかった理由の全てとは言わないまでも、重要な背景の一部であることは確かである。

P230
また森岡(清美)は、日本人には「敬畏すべき神」を忌み、「親しみやすい神」を慕う、という傾向があることも認めている。(中略)
そうした「神」を求める傾向のある多くの日本人には、キリスト教のように、まず何よりもおのれの罪を自覚させ、悔い改めを迫り、神の栄光に奉仕することを求める宗教には入り込みにくいのではないか、というのが彼の分析の大枠である。

【ネット上の紹介】
日本人の九九%はキリスト教を信じていない。世界最大の宗教は、なぜ日本では広まらなかったのか。宣教師たちは慈善事業や教育の一方、貿易、軍事にも関与し、仏教弾圧も指導した。禁教期を経て明治時代には日本の近代化にも貢献したが、結局その「信仰」が定着することはなかった。宗教を「信じる」とはどういうことか?そもそも「宗教」とは何か?宣教師たちの言動や、日本人のキリスト教に対する複雑な眼差しを糸口に、宗教についての固定観念を問い直す。
第1章 キリスト教を知らずに死んだ日本人に「救い」はない?
第2章 戦争協力、人身売買、そしてキリシタン迫害
第3章 禁教高札を撤去した日本
第4章 「本当のキリスト教」は日本に根付かないのか
第5章 「キリスト教」ではなく「キリスト道」?
第6章 疑う者も、救われる


「プロテスタンティズム」深井智朗

2024年04月05日 07時34分18秒 | 読書(宗教)


「プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで」深井智朗

読み返し。
 
マルティン・ルター      

PⅧ
プロテスタントは、ルターの改革以後に発生したさまざまな教会とその信者たちを指す。そしてプロテスタンティズムとは、いわゆる宗教改革と呼ばれた一連の出来事、あるいは1517年のルターの行動によってはじまったとされる潮流が生み出した、その後のあらゆる歴史的影響力の総称だ。

P5
なぜキリスト教は北アフリカやパレスチナを離れ、北上し、その中心をヨーロッパへと移したのであろうか。諸説あるが、おそらくその理由の一つは、イスラムに地中海地域の覇権を奪われたからであろう。

P9
さらに教会はこう説明したのである。天国に行くためには教会の教えに従う必要がある。天国への道を知っているのは教会だけで、その道を通過せずには天国に行けないのだと。これがキリスト教的ヨーロッパの完成であった。教会は天国とそこにいたる通路を支配した。教会は「あの世」というきわめて宗教的な問題を取り扱っているのだが、実際には「この世」を支配した。

P29
贖宥状は便利なもので、信者の側からすれば罪の償いと天国行きの確約がお金で買えるし、取り引きできる。天国行きの確証を目に見える形で手に入れることができる。他方で教会の側からすれば、これを販売することで現金収入がある。そしてこれは人々が欲しいものだから、完全に売り手市場である。

P31
教会はその土地の支配者の私有物であり、貴族や諸侯の次男や三男がその職を聖職録とともに受け継いでいることが多かった。地方の聖職者の多くは聖書を読んだこともなく、ミサの順番さえ知らなかったし、キリスト教の教えを体系的に説明することなどもできなかった。

P40
1517年の贖宥状批判の狙いをここで確認しておこう。それは、西ヨーロッパのキリスト教であるカトリックのリフォームをめざしたものだ。新しい宗派としてのプロテスタントが誕生したわけではない。ルターはたしかに討論を呼びかけたが、新しい宗派を造ったとは考えていないし、そもそも生み出そうともしていなかった。

P59
もともと聖書はヘブライ語とギリシャ語で書かれているが、彼は新約聖書の部分を1522年に、旧約聖書は1534年にドイツ語に訳した。
   
P65
カール五世は自ら起草した判決文を読み上げ、破門となったルターを異端と宣言した。

P66
東方で急速な拡大を続けるオスマン帝国が1526年にハンガリー王国に勝利し、国教に迫る勢いを見せていた。そのためカール五世は国内勢力の結集のために、ルターを擁護する諸侯に対して強く出られなかったのであろう。

P72
ルターの教会制度批判が本気だと人々が確信したのはおそらく彼が結婚した時であろう。

カルヴィニズムについて
P96
東欧やオランダでは影響力を拡大し、フランスではユグノーと呼ばれるようになり、またスコットランドでは国教となっている。スコットランドでカルヴァンの影響を受けた人々は長老派と呼ばれるようになった。

ルターとカルヴァン(右)

P98
すべての信徒が聖書を読み、解釈する自由を認めたプロテスタントは解釈をめぐって争い、分裂し、互いに対立するようになった。「プロテスタントの宗派や教団についての本を書けばそれは必ず電話帳よりも厚くなる」という冗談があるほどだ。

P116
おそらく一番力を入れたのは、日曜日の礼拝の充実であった。(中略)
(礼拝は英語で「サービス」という)

P154
ニーチェはルター派の牧師の息子で、キリスト教をラディカルに批判し、否定したと理解されているがそれは正確ではない。ニーチェは、彼の父親にその姿を見たような権威主義的な教会と制度としてのキリスト教を否定したのであって、キリスト教を批判したのではない。

P168
大西洋を渡ったのはピューリタンと呼ばれる人々であったが、彼らは特定の教派ではなかった。ピューリタンには長老派、会衆派、バプテストやクェーカーまでさまざまなグループがある。(中略)
1620年9月16日であった言われる。(中略)この船は現在のニューヨークのあたり、ハドソン川の川口をめざしていた。ピューリタンと呼ばれたまさに新プロテスタンティズムの精神を具現化した人々41人を含む102名(そのうち29名が女性)がその船に乗り込んでいた。66日をかけて船は大西洋を渡った。


P185
カウンタビリティとは神学用語である。神の前での最後の審判において、人間が天国行きの最終決定を受けるための、自分の人生についてのアカウンタビリティである。神の前で人生を説明してみせるのである。

P186
アメリカの公共宗教研究所の2014年の調査によれば、所属する宗教ではキリスト教が78.2%であった。(中略)神を全く信じない人々は8%で、どの宗教団体にも属さない人が14%いる。ユダヤ教とイスラムはそれぞれ2%程度である。(わずか2%なのに、米国がイスラエルを擁護するってどういうこと?)

日本のキリスト教徒人口は193万人、国民の1.5%、プロテスタント人口はその半分(2016年12/3、文化庁の調査)

P199
隣国の韓国がほぼ同時期にアメリカの宣教師によってプロテスタンティズムを伝えられ、今日では人口の30%以上がキリスト教徒であるのとは対照的である。

【誤植】
P36
早くから理解され。

早くから理解された。

【追加】
「プロテスタンティズム」はとても良い本で、読売・吉野作造賞も受賞してたが、研究不正行為により受賞を取り消された。

【以下、Wikipediaより】
2019年5月10日、東洋英和女学院大学の調査委員会は研究活動上の不正行為(盗用および捏造)があったと認定し、同学院はこれを受けて開催した臨時理事会で深井を懲戒解雇処分とすることを決定した。調査では、深井が『ヴァイマールの聖なる政治的精神』で紹介した「神学者カール・レーフラー」は存在せず、その論文も捏造であることなどが認定された

本人は一部に関して「想像で書いた」などと説明し、意図的な研究不正を認めていない

【ネット上の紹介】
1517年に神聖ローマ帝国での修道士マルティン・ルターによる討論の呼びかけは、キリスト教の権威を大きく揺るがした。その後、聖書の解釈を最重要視する思想潮流はプロテスタンティズムと呼ばれ、ナショナリズム、保守主義、リベラリズムなど多面的な顔を持つにいたった。世界に広まる中で、政治や文化にも強い影響を及ぼしているプロテスタンティズムについて歴史的背景とともに解説し、その内実を明らかにする。
第1章 中世キリスト教世界と改革前夜
第2章 ハンマーの音は聞こえたのか
第3章 神聖ローマ帝国のリフォーム
第4章 宗教改革の終わり?
第5章 改革の改革へ
第6章 保守主義としてのプロテスタンティズム
第7章 リベラリズムとしてのプロテスタンティズム
終章 未完のプロジェクトとして


「旅する長崎学 キリシタン文化の旅」総集編

2023年12月04日 07時45分52秒 | 読書(宗教)


「旅する長崎学 キリシタン文化の旅」総集編

先日、有馬キリシタン遺産記念館で購入した本。
具体的な歩き方情報が掲載されていて便利。
全頁カラー。

P38
キリスト教を棄てて宗門目明しになった宣教師フェレイラ(沢野忠庵)の署名が入った「ころび証文」が残されています。非公開ですが、長崎歴史文化博物館に複製があります。

P49
島原半島のキリスト教の歴史は口之津に始まった。179年、南蛮船が口之津に入港。島原半島の南部を治めていた有馬氏はイエズス会の巡察使ヴァリニャーノや宣教師を優遇し、ポルトガル貿易によって火薬や武器などを輸入した。有馬氏自身も東南アジアに貿易拠点を持ち、莫大な利益を得た。

P57
大村純忠は有馬家からの養子であった。
(有馬晴信は大村純忠の甥にあたる)

【ネット上の紹介】
地域ガイドによる歴史散策アドバイス。
第1章 布教はここから始まった 平戸
第2章 キリシタン大名大村純忠と4少年 西海
第3章 キリシタン文化栄えた貿易港 長崎
第4章 キリシタン受難そして島原の乱 島原半島
第5章 領主棄教とキリシタン取り締まり 大村
第6章 250年の信仰守った潜伏キリシタンの里 外海
第7章 信仰の証 東西文化融合の象徴 教会群 五島列島


「みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記」星野博美

2023年11月30日 08時20分11秒 | 読書(宗教)


「みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記」星野博美

久しぶりの読み返し。

P94
 イエズス会はポルトガル王室と結びつき、ポルトガルの航海領域で独占的に布教する権利と経済援助を補償されていた(実際にはその金がとだえることが多かったが)。1534年にパリで創設され、40年に教皇から認可されたばかりの新進修道会、イエズス会が短期間で急成長を遂げたのは、ポルトガル王から与えられた排他的な特権のおかげだった。ポルトガルの行くところにイエズス会あり、なのである。(ところが、スペイン王フェリペ二世がポルトガル王位を継承してしまう・・・ショックだったに違いない)

P94
彼らが独占していた布教範囲が「市場開放」され、スペインを後ろ盾にする他の修道会が参入してしまうからだ。

P95
 日本の民が与り知らないところで日本の争奪戦が行われていた。それこそ、魂の救済を求めて改宗した日本のキリシタンにはまったく関係のない話だ。
 このあたりの経緯を読んでいると、不謹慎だが私は、コカ・コーラとペプシ、あるいはグーグルとアップルといった、グローバル企業の世界シェア争奪を連想してしまう。

P193 
島原半島の南目と天草を中心とした3万7000もの民が、老いも若きも3か月間たてこもり、12万もの軍から総攻撃を受けて皆殺しになった。ここは焦土と化しただけでなく、人の姿が消えたのである。それでは石高が維持できないため、半島北部の北目や小豆島から農民が移住させられた。そうめんは小豆島から来た移民が作り始めたといわれている。

P243
長崎を訪れる観光客の多くが土産に買うカステラで有名なのは福砂屋だが、トレードマークのこうもりは崇福寺のシンボルである。ポルトガル人の伝えたカステラが、福州の砂糖で作られ(だから福砂屋というらしい)、いまも日本時に愛されている。(私も長崎空港で福砂屋のカステラを買った)

P278
宣教師も一枚岩ではなく、イエズス会と托鉢修道会では、白と黒くらい主張が食い違う。(托鉢修道会も、ドミニコ会、フランシスコ会、聖アウグスチノ修道会、カルメル会と派閥がある)

P291
一度洗礼を授けた人間には、司祭が定期的に会い、罪の告白「告解」を聴き、罪をゆるす「ゆるしの秘蹟」を授けなければならない。司祭が1人もいなくなれば、信徒は永遠にゆるしを受けられず、罪を抱えっぱなしで死を迎えることになる。(中略)大追放後は、信徒を訪ねて告解を聴き、ゆるす、それこそが司祭の務めだった。
それを踏まえるか否かで、潜伏した宣教師の姿がまるで違って見える。まして、隠れキリシタンが2世紀以上も司祭を待ち続けた理由が理解できない。キリシタンは、ただ隠れていたのではない。待っていたのだ。

P320
織田信長が一向宗門徒を大量虐殺したことは有名だが、もしも彼らひとりひとりの名前や生きざまを詳細に書き残し後世に伝えるシステムが一向宗にあったとしたら、キリシタンの殉教者と同じくらいのインパクトを後世の私たちに与えたことだろう。

タイトルの意味が語られる
P362
 後世に残された絵や演奏の逸話は、南蛮文化の頂点というより、血なまぐさい迫害がすぐ背後に迫った、最後の一瞬のきらめきだったのである。それは、突然に現れて夜空を照らし、それを見たある者は珍しくて美しいと言い、ある者は不吉だと言う、彗星のようでもある。

P400・・・著者は、ビトリアを訪問する
バスクの生んだ聖人といえば、有名なのはイエズス会のロモラとザビエルですね、と言うと、「ザビエルはナバラです」と間髪を入れず訂正された。
ナバラはバスクであって、バスクでない。自分たちはバスク人同士で普通にバスク語を話すが、ナバラの言葉はまた違う。

P422・・・著者は、ラ・ハナを訪問する
「いま、神父の説教が日本の話に入りました。今日は日本からお客さんが来ている。あの人は観光客ではなく、ハシントに共鳴してはるか遠くの日本から来た、と紹介しています」(中略)
「レオン神父、ただ者じゃありません。あれだけ短い時間で日本の迫害を理解して、村人にわかるよう完結に、過不足なく伝えきりました。外から来て苦労している人だけあって、異文化に対する理解が深いんですね。すごいなあ。訳しながら、自分が感動しましたよ」

P439
海バスクは確かに華僑に似ている。しかし山バスクは、客家に似ているのだ。

P440
客家には、中華圏の近現代史を飾る人物が多い。(具体例として、洪秀全、孫文、鄧小平、リー・クアンユー、李登輝が挙げられている)

【感想】
長崎旅行の際に、とてもに立った。
旅行に行く1週間前あたりから読み返し始めた。
8年くらい前、この本を読んで気になり、
「いつか行こうかな」と思ったのが経緯。
実行するのにだいぶかかったけど。
(熟成に時間がかかる。あとはタイミング)

【ネット上の紹介】
「キリシタンの時代」とは、何だったのか?はるかな歴史の糸に導かれるように、著者はリュートに出会い、長崎からスペインへと殉教をめぐる旅に出る。遠い異国からきた宣教師と、救いを求めた信徒たち。迫害の果てに辿り着いたものとは。世界文化遺産の陰に埋もれた真実を照らす、異文化漂流ノンフィクションの傑作。
はじめに―宙をゆく舟
第1章 リュート
第2章 植民地
第3章 日本とスペイン
第4章 有馬
第5章 大村
第6章 大殉教
第7章 スペイン巡礼


「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」島田裕巳

2023年11月15日 09時59分28秒 | 読書(宗教)


「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」島田裕巳

P22
四天王寺は宗派にこだわらないということで、「和宗」と称している。

P94
山伏が実践する修験道は、土着の神道と外来の仏教、とくに密教が習合することいよって生まれた民間信仰である。(中略)中世以降は天台宗系の本山派と真言宗系の当山派に分かれた。その当山派の中心となるのが京都の醍醐寺三宝院で、ソコは真言宗醍醐寺派の本山である。

P103
空也は正式な僧侶ではない私度僧として出発し、平将門や藤原純友の乱、あるいは天変地異で乱れていた京の都で念仏を勧め、「市聖」、あるいは「阿弥陀聖」と呼ばれた。

P132
武士にとっても川の民にとっても重大な問題は、彼らが日々、仏法において戒められた殺生を行っていることにあった。仏教徒が守るべき基本的な戒が「五戒」で、その筆頭には、「不殺生戒」があげられている。殺生を犯したものは、「等活地獄」に落とされると信じられていた。
つまり武士や川の民は、大罪を犯した「悪人」だったわけである。そうした悪人にとって『歎異抄』の悪人正機説は根本的な救いを与えるものである。あるはそこに、親鸞が東国で長く活動した理由があったのかもしれない。

P141
明治に時代が変わる際に、仏教界は、神仏分離と廃仏毀釈の影響を受け、深刻な打撃を被るが、本願寺の信仰では、神仏習合の傾向が希薄であったため、あまりその影響を受けなかった。

P232
団塊の世代が消滅した後からは、死亡者の数は減っていき、葬式の件数の減少も進む。その頃には、葬儀の簡略化はいっそう進み、檀家離れも加速されていることだろう。その時点で、本格的な葬式仏教の危機が訪れるはずだ。

【ネット上の紹介】
日本の仏教はさまざまな宗派に分かれており教義や実践方法が大きく異なる。にもかかわらず多くの人、とくに地方から都会に出て菩提寺とのつきあいを絶った人は関心を持たない。だが親や親戚の葬儀を営む段になって途端に宗派を気にするようになる。家の宗旨に合った僧侶を導師として呼ばねばならないからだ。そこで初めて「うちは○○宗だったのか」と知る。そもそも宗派とは何か。歴史上どのように生まれたのか。本書は、日本の主な仏教宗派を取り上げ、その特徴、宗祖の思想、教団の歩み、さらに他宗派との関係、社会的影響をわかりやすく解説した。
序章 仏教において宗派とは何か
第1章 日本仏教宗派の源流、南都六宗(法相宗、華厳宗、律宗+聖徳宗)
第2章 仏教の総合大学、比叡山の天台宗
第3章 謎多き密教のスーパースター空海の真言宗
第4章 元祖・念仏信仰、浄土宗
第5章 親鸞が開いた日本仏教の最大宗派、浄土真宗
第6章 さまざまな禅文化が花開いた臨済宗(+黄檗宗)
第7章 葬式仏教の生みの親でもある道元の曹洞宗
第8章 2度も流罪に処された日蓮の日蓮宗
第9章 その他の宗派(融通念仏宗、時宗、日蓮正宗)、そして新宗教と葬儀


「ブッダは、なぜ子を捨てたか」山折哲雄

2023年11月06日 07時35分56秒 | 読書(宗教)

「ブッダは、なぜ子を捨てたか」山折哲雄

P92
最初の息子の誕生を迎えたシッダールタは、あろうことか、その息子に「悪魔」という名を与えた。

P130
キリストの十二使徒や、孔子の十哲とくらべてみると、仏の十大弟子のほうが、それぞれの弟子たちの個性をきわだたせようとする意図が強く働いているように私にはみえる。

P170
「涅槃の宗教」は、地上に静かに横たわるブッダの死=涅槃からはじまったが、「犠牲の宗教」は血塗られたイエスの死=犠牲から創始されたのである。

P214・・・インドでの仏教の衰退
十世紀前後を堺に、インドに侵入してきたイスラーム勢力によるたび重なる襲撃、聖地の破壊ということがえいきょうしたかもしれない。あるいは仏教の理念、とりわけその平等思想が、ヒンドゥー教社会にゆきわたっていた「カースト」的な枠組みと相容れなかったということもあるだろう。そして何よりも、ブッダの教えそのものがしだいにヒンドゥー教の信仰体系の中にとりこまれ、その中に混融していった事情も見のがすことができない。

【ネット上の紹介】
北インド・シャカ族出身の王子でありながら、自らの子に“ラーフラ(=悪魔)”と名づけ、さらに妻子を捨て、一族を捨てて家を出た若き日のブッダ!この仏教最大ともいえる謎に、宗教学の第一人者が挑む。そこから浮かび上がってきたのは、日本の仏教とはあまりに隔絶したブッダその人の思想であった。少子高齢化の時代を生きる二十一世紀の日本人にブッダは何を語りかけてくるのか。いまの日本にブッダを呼び戻し、その教えの真髄に迫る画期的な試み。

第1章 ブッダは、なぜ家を出たのか(「家出」にはじまる
理想の人生 ほか)
第2章 ブッダは、なぜ子を捨てたか(シャカも、捨て子同然であった
親を失った子どもに未来はあるか ほか)
第3章 ブッダの思想の真髄とは、どのようなものであったか(わが骨にかかずらうな
アーナンダの裏切り ほか)
第4章 ブッダの教えは、日本へどのように広まったか(アジアの周辺の国々へ
旅をする僧たち ほか)
第5章 ブッダは今、どこにいるのか(ブッダの姿をさがして
今なら死ねるか ほか)


「ミッションスクールになぜ美人が多いのか」井上章一

2023年05月22日 08時04分22秒 | 読書(宗教)


「ミッションスクールになぜ美人が多いのか」井上章一/郭南燕/川村信三

京女(京都女子大)は、3Bと言われているそうだ。
同女(同志社女子大)は、3Kだそうだ。

3B=不細工、貧乏、仏教
3K=可愛い、金持、キリスト教(かしこい、きれい、の説もある)

これって当たってるのだろうか?
京女に通っていたら、世間の評判も高いし就職、結婚は有利と思う。
初等科から通ってたら貧乏ではない、と思うけど。
単に、京女の自虐ネタのように思う。

ただ、具体的な数字として、女性ファッション誌の読者モデル、女子アナの出身校を見ると圧倒的にキリスト教系の学校を卒業している方が多い。
皇室との親和性も高く、イメージアップに貢献した。
美智子上皇后;双葉学園双葉小学校、聖心女子学園中等科・高等科を経て、聖心女子大学卒業
雅子皇后;田園調布双葉小学校、中学高等学校(大学はハーバード、東大、オックスフォード)
秋篠宮家の姉妹は国際基督教大学だし。

P32
今、多くの男女は、デートのクライマックスを、クリスマスイブの晩に設定する。京都の若い僧侶を見るかぎり、その様子は仏教界でもかわらない。(中略)ブッダの降誕日とされる4月8日に、男女交際の勝負をかける僧は、まずいない。

京女出身者の談話
P37
「同志社はだぶん当時入学したら、あの十字架もらえるみたいなんですけど、私たち、念珠なんですよ。念珠もらって全員本願寺に参る、で卒業の時も西本願寺にいくんですけど、(後略)」

【ネット上の紹介】
なんと「あけすけな題名」と思うでしょう。でもどこかで「そうかも」と、うなずくところがありませんか?ミッション系校に学ぶ女子は、「かわいい、金持ち、キリスト教」の3Kと呼ばれてます、と井上章一さん。局アナや読者モデルの出身校からもはっきり傾向がうかがえるという。キリスト教はなぜみな憧れるキラキラの存在となったか?日本のキリスト教受容研究には「盲点」があるのでは?そんなとっぴな問題提起を研究者が受けて立ち、見えてきたものは―。明治になって上流階級に浸透していったキリスト教文化のかくされた歴史。
第1章 プロテスタント校はあなどれない―読者モデルを量産するわけ(かわいい、金持ち、キリスト教
クリスマス、そしてチャペルの力 ほか)
第2章 ミッション系大学の成功物語―なぜ女子アナの多数を占めるのか(女子アナの半分近くはキリスト教校出身者
慈愛と奉仕を理念とするキリスト教系大学 ほか)
第3章 変遷するキリスト教イメージ―悲劇のカトリック受容史を見直す(日本社会で承認を得るための苦闘
「淫祠邪教」からの出発 ほか)
第4章 「お嬢様学校」を生み出したカトリック―女子教育で人気の秘密(プロテスタント学校の姿勢に学ぶ
女子教育の理想と「結婚」への介入 ほか)