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「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

今野大力の墓。  合掌。

2009-06-23 15:03:16 | 多喜二と同時代を生きた人々
めいさんから、多喜二とともに作家同盟で活躍し、1935年に拷問を受けて重態となり、中野療養所で死亡した今野大力の墓参りに行かれたとの報告と写真が届きました。



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今野大力
こんの だいりき
1904(明治37)~ 1935(昭和10)

埋葬場所: 多磨霊園 21区 2種 12側
 宮城県出身。3歳のとき一家は北海道旭川へ移住。有利里小卒業後、1920(T9)父の事業失敗とともに旭川新聞社給仕や郵便局員として働き、この頃から詩作をはじめた。 22歳の頃からチェーホフ・ツルゲーネフ・ゴーリキーにひかれ、プロレタリア文学運動への関心を高めていった。 27(S2)上京、郵便局で働きつつ詩や劇評を書く。一時北海道へ帰ったが、再度上京して、労農芸術家連盟に参加。 30同連盟を脱退、日本プロレタリア文化連盟(コップ)に加盟し、31頃「戦旗」「婦人戦旗」「少年戦旗」などの最後の編集にたずさわる。 32コップ加盟団体へ弾圧が加わられ、この年3月検挙され、拷問を受けて重態となり、釈放されたが中野療養所で死亡した。


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*墓石表面には「今野家之墓」のみ。裏面に大力の実弟邦男夫人の「今野和貴子建之」と刻む。
また墓石は昭和40年8月建立とある。

大力の名も、墓誌もない。


めいさん、炎暑のなか仲間たちを代表されての墓参ありがとうございます。
無名のままであることは、忘却を必然としていく。


東京に多喜二のモニュメント一つ作れない我々であるから、その同志たちは忘却されるのみなのだろう。




墓はそれなりに、意味がある。つくづく思う。

今は静かに手をあわせよう。

                   合掌

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行ってまいりました♪ (めい)
2009-06-23 16:04:39
佐藤さん、取り上げてくださってありがとうございます^^!
6/19は桜桃忌で、メディアはこぞって太宰治を取り上げ、一般の方だけではなく芸能界の方などもお墓参りに来られたりするようですが、この日は今野大力の命日でもあることに気づき、遅ればせながら自転車で行ってみました。

写真がへたで、申し訳ありません!
今野家のお墓を見つけたときは本当にうれしかったです。
ガーゼを詰められた耳の後ろを押しながら、仕事をしていたという大力のことを浮かべました。

今村恒夫も大力も、タイプは違いますが、詩もいいですし、人間的にも芯がすごく強くて、人間ってこんなにすごい可能性があるんだと心が洗われるようです。

若くして命を奪われた彼らのことを、もっと多くの人が知って守っていかなければと思いました。

そして蛇足ですが。。
お水の入っている石の容器のようなものが取れなくて、どうやって前の古い水を抜けばよいのかわからなかったので、落ちていたはちみつれもんのペットボトルを洗って花瓶にしてしまいました。大力さんごめんなさい。写真でみると、さらに微妙な感じですね。。
近々撤収にまいります~
返信する
『現代詩大事典』より「今野大力」 (Prof. Shima)
2009-06-23 21:55:57
今野大力〈こんのだいりき〉 一九〇四・二・五~一九三五・六・一九 宮城県金山町生まれ。小学校卒。今埜とも表記。号は紫藻(ルビ・しそう)。三歳の時旭川に移住。新聞社給仕、郵便局員などを勤める中で小熊秀雄と知り合う。一九二六年から『文芸戦線』に小品、詩などを発表。一九二七年上京。一九三〇年、黒島伝治らとともに労農芸術家連盟を脱退、日本プロレタリア文化連盟(コップ)に加盟し、三一年頃「戦旗」「婦人戦旗」「少年戦旗」などの最後の編集にたずさわる。 三二年コップ弾圧のため三月検挙され、拷問を受けて重態となり、釈放されたが中野療養所で死亡した。力感と叙情味に富んだ作風で、戦後再評価を受けた。『今野大力作品集』(一九九五・六 新日本出版社)

三省堂『現代詩大事典』より(執筆:島村輝)
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Unknown (るもい)
2009-06-24 23:30:19
めいさんがペットボトルに生た花が実に鮮やかですね。

小樽で過ごした一年、ときどき奥沢の多喜二のお墓に行きました。真冬は墓前祭のとき以外はなかなか上がっていけないので、秋か真夏がほとんどで、一度ぐらいでしたか、誰かが残していった草花の枯れかかったのを見つけ、嬉しく思いました。
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