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「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

1932年12月20日 風間六三上京

2009-12-20 11:18:10 | takiji_1932
12月20日☆小樽全協のオルグをしていた多喜二の仲間の風間六三が上京。時事通信社の寺田行雄と連絡して、「多喜二に会わせてくれ」と依頼した。

9月にモスクワを出発した山本正美は12月中旬、ようやく日本に到着。

山本はまず大原社研にいた細川嘉六を通じて地下指導部と連絡をとった。この線から秘密党中央委員・野呂栄太郎に連絡がつけられた。

飯島喜美、藤原・山下グループと、大泉兼蔵(中央部に送りこまれた特高スパイ)・松尾グループは当初、ともに野呂を排除して仮中央部を作ろうと意見の一致を見ていたが、野呂が山本正美とコミンテルンとの連絡線を持っていることを知ると、大泉は野呂の側についてしまった。

この結果、野呂、大泉、山本が組むことによって、藤原・山下グループは劣勢に陥り、大泉らによって組織的に排除される。
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