2010年10月30日に、日本聖公会奈良基督教会シオンホールで行われた、島村輝氏(フェリス女学院大学文学部教授)の文学講演会「『蟹工船』小林多喜二と志賀直哉の交流を探る」
の講演録の一部(9分45秒)。
2010島村輝氏「蟹工船」小林多喜二と志賀直哉の交流を探る講演の一部.wmv
講演では、志賀直哉「小僧の神様」の社会的文化的背景からこれまで語られることのなかった志賀直哉の文学世界を解き明かし、小林多喜二が「小僧の神様」からなにを学び、その代表作「蟹工船」にどう生かしたかを解明た。
また、2010年11月開催の「赤旗まつり」で、小林多喜二「蟹工船」の原稿ノート全ページが公開された大きな意義を語った。
▼公開された「蟹工船」原稿ノート
http://www.youtube.com/watch?v=MeTYAu...
本映像は、その講演の一部である。 ◇
文学的出発期に志賀直哉に私淑していた小林多喜二(1903-33)は、1931年11月初旬、奈良市上高畑の志賀直哉を訪ねた。
そこまでに文通を始めて約10年を要した。
訪問のきっかけは、1930年5月、『戦旗』の文芸講演で関西を訪問した足で、志賀を訪問する予定だった多喜二が検挙され投獄されたことを知った志賀直哉が差し入れなどに奔走したことをしった小林多喜二が出獄後その作を送り批評を求めた、それに志賀直哉んが応じたことで、プロレタリア文学と白樺派という立場を超えた交流が再開したことにあった。
すでに多喜二は1931年9月の満州事変以後、戦争拡大へと進む情勢のなかで、平和な生活を守り、言論表現の自由・人権を守るため日本共産党に入党していた。
文学の在り方はどうあるべきかを模索していた多喜二は、その解答のひとつを求めて奈良の志賀直哉を訪ねたのだった。
約80年前のこの二人の交流をたどり、その意義を語るべく文学講演会が行われた(発 起 人=日本民主主義文学会 奈良支部、主催同実行委員会)。
これに合わせて、カレイドセステットによる演奏会も行われた。 ◇
講 師=島村 輝(フェリス女学院大学文学部教授)
開催日時= 2010年10月30日(土)
主 催=島村輝講演「『蟹工船』小林多喜二と志賀直哉の交流を探る」実行委員会
発 起 人=日本民主主義文学会 奈良支部
( 島村輝氏 略歴 )
1957年東京生まれ。東京大学文学部卒業・同大学大学院博士課程単位取得退学。現在フェリス女学院大学文学部教授。専門領域は日本近現代文学、芸術表象論。「逗子・葉山九条の会」事務局長。主要業績に『読むための理論』(共著 世織書房 1991年)、『臨界の近代日本文学』(単著 世織書房 1999年)、『「文学」としての小林多喜二』(共編共著 2006年 至文堂)、マンガ『蟹工船
文学講演会前日は台風の接近が心配されたのですが、多くの方々に喜んで頂ける文学講演会となり、まだ感激の余韻にしびれています。
”「小僧の神様」「蟹工船」、手紙通して志賀直哉と小林多喜二 二人の深い交流解明~島村フェリス女子学院大学教授が講演”
(同記事より抜粋)
島村教授は「多喜二は自分のやり方で社会をそのまま書き、志賀に書けなかったことを書いた。それは志賀にもわかっていた」「二人は子弟というより、文学を巡ってそれぞれの立場、方法に強い自信を持ち、確心を持って進めていった偉大な文学者たちであったと言える」と結びました。
参加者は、島村教授が志賀の「小僧の神様」を通じて、志賀と多喜二の関連を深く解明したことや、会場の良さ、若い女性グループが多喜二にちなんだ曲を演奏したことに感動していました。
その案も良かったのですが、見学会は志賀邸ですが(午前)、講演会(午後)は奈良基督教会なので、会場を間違う人が出る恐れがあると考えて見送りました。