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「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

明日は代官山・ヒルサイドで「蟹工船」翻訳者シンポだ

2009-05-17 00:10:35 | つぶやきサブロー
イベント前夜はいつも緊張して眠れない――というか眠るわけにいかない。なにせ起きることができるかどうかがわからないからだ。

会場一番乗りの責任がある。



でも明日は、事務局でも、出演者でもない。
しかし、観客でもないらしい。

私はもうそういう責任からは自由なのだ。


さびしくもある。

自由労働者とはそういうものだろう。




                             
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自由であることの難しさ (るもい (ノーマ・フィールド))
2009-05-18 01:24:16
佐藤さんのお気持ちかなりわかるような気がします。そして、そこには大きな課題がいくつかあると感じます。

ジャニス・ジョプリンのいう失うものがなくなってしまったための自由、食べることには事欠かないが確たる役割がなくなった(例えば肩書きがなくなった)ときの自由……。

人間が有意に生きていくためには衣食住も精神的j充足も欠かせない。平等な社会、役割分担の彼方の社会を夢見た若いマルクスをふと思い起こします。

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多喜二の「労働」観 (佐藤三郎)
2009-05-18 09:10:17
ノーマ先生、ご無沙汰しています。おっしゃる通り、同感です。労働は搾取・収奪される現場であるという意味においてはマイナスです。しかし、成果を生み出し、それを通じて生産者が自己成長し、人とつながり、自己の存在の意味を見出していく過程でもあります。資本主義社会における労働と、あるべき社会主義社会における労働は質が異なります。多喜二は「農業」においても「工場労働」においても、その労働にプラスの意味を描いてはいません。多喜二がプラスのものとして描いてのは、労働組合オルグ、共産党活動者としての職―労働でした。しかし、また「蟹工船」には、資本主義の立場からの労働の意味付けをする浅川監督や雑夫長はていねいに描かれています。多喜二の労働認識は、当時の、他の運動家とは別なところにあったとはいえ、そのことを描くことでは自己抑制があったのではないかと思っています。

ネットカフェの住人が、エッセーコンテストの応募作のなかに書いてあるように、私もそれが「蟹工船」であっても働きたいと思います。
まさに「地獄さ行くんだで!!」。

今日から、再就職活動に専心します。
ブログ更新も滞りがちとなるかもしれません。

便りのないのは、元気な証拠――だと思っていただければ幸いです。
昨日のイベントで、約6年にわたる「多喜二」漬けの活動に区切りをつけ、新しい領域にチャレンジしてもいいと確信しました。
返信する
本当の自由 (未来)
2009-05-18 19:55:29
私のもうひとつのペンネームは「未来自由」です。本当の「自由」を掴み取りたいからです。

私は、「地獄さ行くんだで!!」と地獄の火中に乗り込んだ多喜二の生きる姿勢に学びたいと思っています。
「蟹工船」を書いた時の多喜二には「自己抑制」なるものはなかったと思います。多喜二の気負いは、社会の現実を真正面から受け止め、それに向かっていく熱い決意を反映していると思います。

多喜二に私の若い頃を思い出すのですよ。失敗も間違いも犯したけど、熱意だけは誰にも負けない気負いがありました。私には多喜二のような能力はなかったけど、多喜二の熱意だけはわかるのですよね。

佐藤さん、就職活動頑張ってください。佐藤さんのようなことはできませんが、いざとなればバトンはいつでも勝手に握りますから。

固く握手する、ですよ。
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