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「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

「小林多喜二 草稿ノートDVD」とどきました (akio)

2011-03-02 23:57:14 | 多喜二研究の手引き
草稿ノート (akio)
2011-03-02 17:54:16
 こんにちは。

 今日、「小林多喜二 草稿ノートDVD」が届きました。

 開いてみました。早速「蟹工船」の画面を見ました(ワクワクしています。)今残念ながら急ぐ書込み(「多喜二とその盟友」に渡辺政之輔・伊藤千代子)をしている最中なので、終ってからになりますが、画面も拡大して多喜二の直筆の原稿を見ることが出来、解題と合わせて読むと今までになかった貴重な史料がみんなの前に姿を現したというべきでしょう!

 私の「多喜二とその盟友」も何時終るか判りませんが、この「草稿ノート」までも書き込んじゃったらあと数年先になるかも?
 (現在の容量が10・0MBになっています。)

 この記事のコメントを読ませて貰いました。
 現代の若者が「立ち上る」ことは現在の民主主義勢力の大きな課題だと思います。

 先日の「小樽多喜二祭」で小森陽一さんが冒頭に発言していましたが「島村輝さんの講演に多くの若者が参加する必要がある。」この言葉は大きな重みがありました。

 中々大変なことですが、私は、自分の周りの「若者」を一つの集会に誘ってあげる。この事から初めています。

追伸:多喜二祭から帰函した夜。小学5年の孫が突然「マンガ蟹工船」と「蟹工船」を「貸して!」と言って帰って行きました。(とてもビックリしましたがホホが大きくユルミました。)

追伸:めいさん、解題読みました。

 では、また♪

コメント (3)
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小林多喜二『党生活者』 : 「蟹工船」とともに

2011-02-25 23:19:21 | 多喜二研究の手引き
タイトル:  小林多喜二『党生活者』 : 「蟹工船」とともに
著者:  山田, 正行
ヤマダ, マサユキ
YAMADA, Masayuki
著者のプロフィール:  山田, 正行
刊行年月:  20091130
出版者:  季報『唯物論研究』刊行会
ISSN:  02852993
NCID:  AA11649026
掲載誌名:  季報唯物論研究
巻:  110
開始ページ:  32
終了ページ:  34
言語:  ja
資料タイプ:  Article
URI:  http://ir.lib.osaka-kyoiku.ac.jp/dspace/handle/123456789/11252
登録日:  2010-02-19 13:46:31
備考:  掲載写真:『蟹工船 党生活者』小林多喜二著(新潮社)
出現コレクション: 国内誌
学術雑誌掲載論文
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JAIROで「多喜二」を検索すると

2011-02-25 22:57:13 | 多喜二研究の手引き
<input id="OUTPUT_3" checked="checked" type="checkbox" value="on" />紀要論文    3
<input id="OUTPUT_7" checked="checked" type="checkbox" value="on" />紀要論文    7
<input id="OUTPUT_8" checked="checked" type="checkbox" value="on" />紀要論文    8
<input id="OUTPUT_11" checked="checked" type="checkbox" value="on" />紀要論文    11
<input id="OUTPUT_12" checked="checked" type="checkbox" value="on" />紀要論文    12
<input id="OUTPUT_13" checked="checked" type="checkbox" value="on" />紀要論文    13
<input id="OUTPUT_14" checked="checked" type="checkbox" value="on" />紀要論文    14
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多喜二研究はいまどこまできたか?

2011-02-25 20:31:11 | 多喜二研究の手引き
No. 論文題名 //論文執筆者名 //掲載誌名
1 〈座談会〉 『蟹工船』では文学は復活しない //柄谷行人 //文学界 
2 寄託資料紹介 「蟹工船」の自筆原稿 //島村輝 //日本近代文学館 
3 展望 二〇〇八年の「蟹工船」現象―その背景と展開 //島村輝 //日本近代文学 
4 歌壇時評 『蟹工船』の時代と短歌 //川野里子 //短歌 
5 平成二十年の蟹工船 //久間十義 //新潮 
6 特集・禁帯出 小樽文学館の「禁帯出」―市立小樽文学館 //玉川薫 //彷書月刊 
7 小樽今昔―多喜二と運河の街 //島村輝 //芸術至上主義文芸 
8 伊藤整と小林多喜二 //曾根博義 //芸術至上主義文芸 
9 雑誌『小説倶楽部』と小林多喜二、補記 //曾根博義 //日本古書通信 
10 〈内国植民地〉としての北海道―有島武郎と小林多喜二 //尾西康充 //近代文学試論 
11 展望 プロレタリア文学と現在―世界を分析し、オルタナティヴを模索する //竹内栄美子 //日本近代文学 
12 白樺文学館多喜二ライブラリー編『いま中国によみがえる小林多喜二の文学』 //楜沢健 //日本近代文学 
13 市立小樽文学館収蔵小林多喜二関連資料 //玉川薫 //小樽商科大学史紀要 
14 小樽への旅 //和田博文 //東洋 
15 小林多喜二についての若干の文献など //倉田稔 //小樽商科大学史紀要 
16 小林多喜二と「改造」―「工場細胞」から「地区の人々」まで //島村輝 //「改造」直筆原稿の研究 
17 近代 大正 //池内輝雄 //国語と国文学 
18 松田解子の多喜二受容 //高橋秀晴 //「文学」としての小林多喜二 
19 多喜二・女性・労働―「安子」と大衆メディア //中川成美 //「文学」としての小林多喜二 
20 「防雪林」―その可能性 //綾目広治 //「文学」としての小林多喜二 
21 「不在地主」における革命的労農同盟闘争の問題 //篠原昌彦 //「文学」としての小林多喜二 
22 母たちのポリフォニー―「母たち」と一九三一年代の短編にみる女性表現 //長谷川啓 //「文学」としての小林多喜二 
23 こぼれ落ちた血のゆくえ―『沼尻村』再読 //五味渕典嗣 //「文学」としての小林多喜二 
24 〈講演〉 反戦小説としての「沼尻村」 //王成 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
25 「独房」の落書き //楜沢健 //「文学」としての小林多喜二 
26 「党生活者」論序説―「政治」と「文学」の交点 //島村輝 //「文学」としての小林多喜二 
27 特集・社会派の私小説 小林多喜二『党生活者』論 //山中秀樹 //私小説研究 
28 白色テロの下で活躍した「党生活者」たち―作中人物像を中心に //田鳴 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
29 日本プロレタリア文学作家 小林多喜二―「党生活者」を中心に //徐永祥 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
30 〈文学〉が〈戦争〉を描く意味―「党生活者」と旧日本軍の毒ガス・細菌戦前夜の多喜二 //佐藤三郎 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
31 「転形期の人々」論 //宮沢剛 //「文学」としての小林多喜二 
32 「地区の人々」―〈地区〉の若き闘士達へ //山岸郁子 //「文学」としての小林多喜二 
33 「三・一五事件」をめぐる文学的表象としての「一九二八年三月十五日」 //土屋忍 //「文学」としての小林多喜二 
34 〈講演〉 小林多喜二「一九二八年三月十五日」の作中世界と視点―「プロレタリア前衛の眼」と「視点人物の眼」とのかかわり //朴真秀 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
35 「工場細胞」―コンテクストとしての一九二九年の小樽 //和田博文 //「文学」としての小林多喜二 
36 交錯する「蟹工船」と「上海」をめぐる序説 //十重田裕一 //「文学」としての小林多喜二 
37 文学をたたかいの武器に―「蟹工船」「不在地主」「工場細胞」を中心に //三浦光則 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
38 小林多喜二における話し言葉の表現の特色―話し言葉から「蟹工船」を読む //太陽舜 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
39 「オルグ」の恋愛と身体 //中村三春 //「文学」としての小林多喜二 
40 研究動向 小林多喜二 //副田賢二 //昭和文学研究 
41 秋田県多喜二祭 //佐藤好徳 //「文学」としての小林多喜二 
42 中国 小林多喜二国際シンポジウム―多喜二研究史に残る成果 //松沢信祐 //「文学」としての小林多喜二 
43 中国の大学生から見た小林多喜二―アンケート調査から //張如意 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
44 小林多喜二の小樽時代、および最近の研究文献 //倉田稔 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
45 小林多喜二―その歩みと作品〈年譜〉 //佐藤三郎 //「文学」としての小林多喜二 
46 小林多喜二について―その生涯をたどる //任鋒 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
47 小林多喜二と小樽 //倉田稔 //「文学」としての小林多喜二 
48 〈座談会〉 今日の時代と小林多喜二 //日高昭二 //「文学」としての小林多喜二 
49 小林多喜二と母セキ //北条常久 //「文学」としての小林多喜二 
50 小林多喜二と社会主義 //祖父江昭二 //「文学」としての小林多喜二 
51 小林多喜二とヒューマニズム //布野栄一 //「文学」としての小林多喜二 
52 小林多喜二と秋田―多喜二文学におけるヒューマニズムと叙情の形成 //工藤一紘 //「文学」としての小林多喜二 
53 小林多喜二と反戦平和 //伊豆利彦 //「文学」としての小林多喜二 
54 小林多喜二とモダニズム //神谷忠孝 //「文学」としての小林多喜二 
55 多喜二の東京―そのまなざし //佐藤三郎 //「文学」としての小林多喜二 
56 日記 //荻野富士夫 //「文学」としての小林多喜二 
57 「監獄の窓から見る空は何故青いか」―小林多喜二の獄中書簡 //竹内栄美子 //「文学」としての小林多喜二 
58 小林多喜二と『文芸戦線』―一九二七年の「作品行動」 //大和田茂 //「文学」としての小林多喜二 
59 多喜二と志賀直哉、芥川龍之介―近代文学の流れから捉える //松沢信祐 //「文学」としての小林多喜二 
60 小林多喜二の文学―反戦平和と国際主義を中心に //松沢信佑 //文教大学国文 
61 中国人民への厚い友情―多喜二の国際主義精神 //張朝柯 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
62 松田解子から見る小林多喜二 //高橋秀晴 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
63 〈何代がかり〉の運動と〈火を継ぐもの〉 //伊豆利彦 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
64 小林多喜二の殉難と日本文化 //王鉄橋 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
65 プロレタリア文学作家への道―初期作品時代の差異と移行について //大和田茂 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
66 異彩を放つ人間像―小林多喜二とゴーリキーにおける母親像 //呂興師 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
67 若くして死したる多喜二と尹東柱 //李修京 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
68 〈講演〉 もっともらしい言葉にゴマ化されるな―「満州事変」後の世相と多喜二晩年の仕事 //島村輝 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
69 反戦平和と国際主義に殉じた作家小林多喜二 //松沢信祐 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
70 小林多喜二の生きた時代と現代 //荻野富士夫 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
71 〈インタビュー〉 魯迅と小林多喜二 //孫毅 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
72 「死の日の記録―金沙社 小林多喜二記念号によせる」 // //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
73 〈インタビュー〉 鹿地亘「死の日の記録」と、藩念之について //呂元明 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
74 小林多喜二と伊藤整―「生きる怖れ」をめぐる問題 //渥美孝子 //「文学」としての小林多喜二 
75 反啓蒙の弁証法―表象の可能性について //中村三春 //国語と国文学 
76 松沢信祐著『小林多喜二の文学』 //李修京 //社会文学 
77 特集・近代文学に見る日本海 『蟹工船』 //倉田稔 //解釈と鑑賞 
78 展望 時代と文学への新たな眼差し―多喜二研究近年の動向から //島村輝 //日本近代文学 
79 特集・近代文学に見る日本海 新資料 小林多喜二が小牧近江に宛てた葉書―クラルテ運動拡がりの証し //大崎哲人 //解釈と鑑賞 
80 小林多喜二の青春と文学―田口タキとの出会いと別れ //松沢信祐 //文教大学国文 
81 子午線 「いま最もホットな小説家」としての小林多喜二 //島村輝 //日本文学 
82 多喜二の三極―秋田、小樽、東京、そして… //島村輝 //文学年報 
83 特集・近代文学に見る日本海 小林多喜二 //近藤典彦 //解釈と鑑賞 
84 国境を越えた文化交流―クラルテ思想に影響を受けた日韓文学者 //李修京 //山口県立大学国際文化学部紀要 
85 松沢信祐著『小林多喜二の文学―近代文学の流れから探る』 //前田角蔵 //日本文学 
86 小林多喜二「党生活者」 //黄奉模 //千里山文学論集 
87 一九三〇年代における反ファシズム文学論―『党生活者』をケース・スタディとして //篠原昌彦 //苫小牧駒沢大学紀要 
88 特集・〈連載〉の場と力学 落書きと連載―小林多喜二における「連載」の発見 //楜沢健 //日本文学 
89 布野栄一著『小林多喜二の人と文学』 //曾根博義 //語文(日本大学) 
90 布野栄一著『小林多喜二の人と文学』 //松沢信祐 //日本近代文学 
91 賢治と多喜二―それぞれの「昭和八年」 //島村輝 //宮沢賢治研究アニュアル 
92 小林多喜二とアイヌ―『東倶知安行』における地名と表記 //楜沢健 //文芸と批評 
93 『党生活者』に構造化された「東京」と「細胞」の主体性問題 //篠原昌彦 //社会文学 
94 小林多喜二「営養検査」―語りと革命 //ノーマ・フィールド //異文化との出会い 
95 〈新資料〉生誕100年 小林多喜二の未発表書簡2通〔写真・翻刻・解説〕―大熊信行宛て //松沢信祐 //国文学 
96 死者の眠り―小林多喜二没後七十年 //沢地久枝 //新潮 
97 発禁本とその周辺をめぐる問題系 小林多喜二『蟹工船』と地下活動化する社会主義運動 //島村輝 //国文学 
98 「蟹工船」の「言葉」―その「団結」と闘争をめぐって //副田賢二 //昭和文学研究 
99 「小林多喜二と太宰治の接点はあったか」に新資料 //松沢信祐 //文教大学国文 
100 特集 読書のリバイバル 小林多喜二―文学の「偉大さ」について //田口犬男 //文学界 
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小林多喜二の草稿、DVD化(「朝日新聞」2011年2月24日付夕刊より)

2011-02-24 19:49:23 | 多喜二研究の手引き

小林多喜二の草稿、DVD化 特高警察逃れて潜伏中の14冊分

 

 

プロレタリア作家小林多喜二(1903~33)の草稿ノートや原稿など直筆の資料を収めたDVDが刊行された。特高警察から逃れた潜伏生活中、トランクに入れ持ち歩いたと伝えられる草稿ノート14冊を収録。厳しい思想弾圧に立ち向かった若い作家の創作、思索の過程が浮かび上がってくる。

 多喜二の代表作「蟹工船」は登場人物に名前のない群衆劇として知られる。だが、草稿ノートには名前が記されていた。主人公は「田口」で「あらゆる労働をしてきた」人物、「山田」は「酔っぱらい」、「安本」は「ゴム工場からきた男」と設定されていた。冒頭に新聞記事を引用し、その事件の当事者の手記というスタイルで当初は構成されていたこともわかった。

 「プロレタリア文学は個人ではなく、集団や群衆を描かなくてはいけないという考えから構成が変わり、名前も消したのでしょう」と島村輝フェリス女学院大教授は分析する。ノートで推敲(すいこう)を重ね、最後に原稿用紙に清書するスタイルだったといい、「何を考えて創作していたのか、どんなことに悩んでいたのか、このノートを手がかりに探ることができる」と語る。

 1933年2月20日、多喜二は都内で築地署の特高課員により逮捕され、同日中に拷問により殺害された。解剖は妨害され、告別式の参列者は拘束された。

 その死後、草稿ノートがどのように保管され伝えられてきたのか、実はよくわからない。「持っているだけで身に危険が及ぶおそれがあったはず。よく守ったものです」と小樽商科大の荻野富士夫教授は感心する。戦後まもなく全集を刊行する際に資料として提供されたらしく、その後は関係者が個人的に保管するようになり、新しい全集を編集するといった場合に限って持ち出されたらしい。

 保管者が亡くなり、数年前に日本共産党中央委員会に所蔵が移った。相前後し「ワーキングプア」が社会問題となり「蟹工船」が脚光を浴びた。そうした現象を伝えるテレビニュースで、草稿ノートの映像を見て島村教授は驚いた。「私たち研究者にも見せてもらえないか」と共産党に尋ねると応じてくれた。話はさらに進み、デジタル化して公開しようと刊行委員会を組織し準備を進めてきた。

 草稿ノートは共産党所蔵の12冊に、日本近代文学館、小樽文学館のものが加わり計14冊。主要な小説はほぼ網羅しているという。日記や直筆の原稿なども収録した。

 刊行の過程で、多喜二の原稿はそのまま出版することはできず、いくつもの段階で手が加えられたことが見えてきた。複数の編集者の書き込みのある原稿もあり、いったん決まった掲載が取り消された痕跡と考えられるという。「社会の圧力が作品をどのようにゆがめたのかが見えてくる」と島村教授は指摘する。  潜伏しながら執筆した小説もある。「地区の人々」は雑誌が「次号に掲載」と告知したことが特高を刺激したとされている作品。ノートで推敲する余裕はなかったらしく、原稿用紙のうえで加筆や削除が重ねられていた。虐殺直後に発表された「党生活者」は初校のゲラが残っていた。伏せ字にする前の原稿をそのままいったん組み、編集者が隠し持っていたものだという。

 発禁を避けるため、どのような用語や表現を伏せ字にしたのかもわかる。「非合法」「革命的」「共産党」はもとより、「戦争の時期」「組織の重心」といった表現までが対象だった。厳しい時代をくぐり抜け、どう作品が伝わったのかを物語っている。  雄松堂書店、10万5千円。(渡辺延志)

「朝日新聞」2011年2月24日付夕刊

http://book.asahi.com/news/TKY201102240235.html

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共同通信が多喜二直筆原稿画像DVD発売を報道!!

2011-02-19 22:03:09 | 多喜二研究の手引き

「蟹工船」草稿がDVDに カラー画像で筆跡収録


 DVD―ROMに収録される「蟹工船」草稿ノートの一部

 プロレタリア文学の代表作「蟹工船」の構想などを記した小林多喜二(1903~33年)の草稿ノート15冊と直筆原稿約800枚をカラー画像で収録したDVD―ROM「小林多喜二 草稿ノート・直筆原稿」が、命日の20日に刊行される。

 草稿の一部は全集などで紹介されていた。多喜二の研究をしている島村輝フェリス女学院大教授は「今後、多くの研究者が推敲の跡などを詳細に検討することで、創作過程や時代背景を検証できる」と話している。

 草稿ノートは表紙に「原稿帳」と記載。発表された「蟹工船」は名もなき労働者たちの群像劇で、登場人物も「漁夫」「雑夫」などと記されているが、草稿段階では「山田」「石川」などの名前があったことが分かる。

 作品の結末を何度も検討した痕跡もあり、29年3月10日に「今に見ろ!」という言葉でいったん物語を締めくくった後、さらに加筆。同28日に本文を書き終え、29、30日には「附記」として後日談を加え、「(一九二九・三・三〇夜)完了」と結んでいる。

 「蟹工船」を含むノート13冊は現在、共産党中央委員会が所蔵。同党は閲覧希望者に公開してきたが、より広く多喜二研究に役立ててほしいと、資料を提供した。 定価は10万5千円。購入希望者は書店に注文するか、発売元の雄松堂書店に申し込む。

<script></script> 2011/02/19 18:33   【共同通信】
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DVD-ROM版『小林多喜二草稿ノート・直筆原稿』来春発売という情報

2011-01-10 00:27:47 | 多喜二研究の手引き
島村輝先生のブログ

Prof. Shima's Life and Opinion

に多喜二のの残された草稿ノート他の自筆原稿を集めたDVD-ROMが、来春、雄松堂書店から刊行される予定だとの情報が公開されている。

くわしくは
  ↓

http://blog.livedoor.jp/insectshima/archives/52212538.html
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峠三吉の多喜二祭をひらこうという訴え

2010-10-22 23:53:05 | 多喜二研究の手引き
「にんげんをかえせ」の詩で知られる詩人・峠三吉の手による「百合子二周忌記念会と多喜二祭を開こう 」という訴えの草稿の存在を確認した。
所蔵しているのは、広島大学図書館である。
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多喜二「蟹工船」ノート原稿、赤旗まつりで公開!!

2010-10-20 22:51:52 | 多喜二研究の手引き
「党の値打ちが再確認でき、決意を新たにしました」「戦前の先輩たちの遺品を見て胸が熱くなりました」と毎回、参加者を元気づけているのが日本共産党展です。

 第40回赤旗まつり(11月6~7日、東京・江東区の夢の島公園)でも前回と同じ、BumB(ぶんぶ)東京スポーツ文化館(旧体育館)2階ロビーが会場です。
 今回のテーマは「一目でわかる 現実政治を動かす日本共産党」です。1960年代から今日まで、草の根の力と結んで共産党が国政を前向きに動かしてきた事実を写真やグラフで見ることができます。
 例えば派遣労働です。「労働者派遣法を原則自由化(99年)前に戻せ」の声が、今でこそ大きくなりましたが、最初からこの法案に反対し、国会追及や経団連、トヨタなどへ申し入れて世論を変えてきたのは共産党。その奮闘が展示されます。
 特別展示として、戦前の「赤旗(せっき)」やビラ、さらに弾圧に屈せずたたかった先輩党員たちゆかりの品々が紹介されます。
 今回初めて登場するのは作家・小林多喜二「蟹工船」の「ノート稿」(複製)です。加筆や訂正を書き込んだ推敲(すいこう)の後から、多喜二の作品にかけた強い思いが鮮やかに浮かび上がってきます。
 日本共産党展責任者の卜部(うらべ)学さんは「現実政治を動かす共産党がどういう党なのかがわかるだけでなく、党を語る力になる展示をと準備しています。また戦前の品々を間近で見られるのも赤旗まつりならではの魅力です。ぜひお越しいただいてご覧ください」と話しています。
(2010年10月20日(水)「しんぶん赤旗」)
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岩波書店『文学』が<草稿の時代>を特集している

2010-10-20 00:25:27 | 多喜二研究の手引き
岩波書店『文学』2010年9,10月号
  ISSN 0389-4029 雑誌07709-10
  9月24日発行 定価2200円



巻頭は、松澤和宏・十川信介・十重田裕一・栗原敦・井上隆史(司会)による座談会、「草稿の時代」。

論考執筆者、タイトルは以下の通り。

     ◇
草稿の解釈学 松澤和宏

なぜ草稿を読むのか,どのように草稿を読むのか 井上隆史

文学と哲学の草稿研究 澤田 直
  ――サルトルの『カルネ』を中心に――

確定稿に対する草稿の意味について 佐々木一也
  ――テキストについての解釈学的一考察――

「もう一つの物語」としての肉筆資料 安藤 宏
  ――『人間失格』を例に――

肉筆資料を読む 田中善信
  ――芭蕉書簡校訂余話――

世阿弥の本文改訂 落合博志
  ――世阿弥筆能本の改訂箇所を読む――

翻刻・翻字の限界 山本真吾
  ――日本語史研究の立場から――

分裂した本文の軌跡 十重田裕一
  ――「純粋小説について」から「純粋小説論」へ――

中国宋代における生成論の形成 浅見洋二
  ――欧陽脩『集古録跋尾』から周必大編『欧陽文忠公集』へ――

編集の善悪の彼岸 明星聖子
  ――カフカと草稿と編集文献学――

ハーディによる本文改変を読む 上原早苗

ルソーと『告白』の草稿 井関麻帆
  ――幼年期における記述をめぐって――

美術における草案の諸相 宮下規久朗

【文学のひろば】 光消えざるうちに 高橋睦郎

【文学のひろば】 筆記用具の近代文学 宗像和重

出雲の摩多羅神紀行(後篇) 黒いスサノオ
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高榮蘭著『「戦後」というイデオロギー―歴史/記憶/文化』

2010-10-20 00:14:55 | 多喜二研究の手引き
オックスフォード多喜二シンポジウムでレポートいただいた高榮蘭(コウ・ヨンラン)
さんの著書『「戦後」というイデオロギー―歴史/記憶/文化』が6月に刊行された。
<「植民地」は、いかに消費されてきたか?>とサブタイトルされた本書は、

幸徳秋水、島崎藤村、中野重治や、「植民地」作家・張赫宙、「在日」作家・金達寿らは、「非戦」「抵抗」「連帯」の文脈の中で、いかにして神話化されたのか。
「戦後」が編成する「弱い日本」幻想において不可視化されてきた多様な「記憶」のノイズの可能性を問う内容となっている。

小林多喜二を論じた論文はないものの、オックスフォード多喜二シンポジウムでのレポート「共闘の場における「女」の表象」が収録されている。

同論考は、60万人参加で戦後最大の規模となった第21回メーデー(1950年5月1日)のポスター(衰弱しきった子供を抱いている「母」が描かれ、その「母」を、「戦争反対」「植民地化反対」「民族独立」「全面講和」などの言葉が囲んでいる)を素材に、この文字言語と図像が交錯しながら同じ紙面の上に作り上げられた「母」の表象を手がかりに、この時期の「共闘」の場におけるジェンダー編成について考察したもの。

エレイン金『危険な女性―ジェンダーと韓国の民族主義』(1997、サムイン)序などを援用して、石母田正「母についての手紙―魯迅と許南麒によせて―」、許南麒『火縄銃のうた』の「母」の表象を共闘の場において多面的に分析するとともに、当時中産階級の女性の保護のため内務省によって買春が許可された「赤線」地帯の「パンパン」の身体が、「闇」空間をめぐる比喩と連動しながら、「民族」が編成される「公」の空間に侵食し、上記の共闘の場における「階級」言説や無性的(asexual)「母」表象と交錯していたことを論じている。



四六上製 384ページ
ISBN-13: 9784894347489
刊行日: 2010/06

定価: 4,410円
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「多喜二と近代作家との接点 ― 芥川、志賀を視野において」松澤信祐

2010-10-01 22:09:03 | 多喜二研究の手引き
生誕百年の今年、未発表書簡や新資料の発見が続く小林多喜二を、これを機に、従来のプロレタリア作家という狭い枠をはずして、近代文学の大きな流れの中に位置づけ、その独自の文学的意義を明らかにしようとする動きが出てきた。

 多喜二は、外国文学では、ドストエフスキー、ストリングベリー、フィリップなど、日本文学では、石川啄木(短歌)、志賀直哉、有島武郎、菊池寛などをはじめ、おびただしい作品に接して、日記帳や覚え書きノートに丹念な読後感を記して、自分の創作の参考にしていた。漱石の「道草」も、優れた箇所に線をひいて勉強していると日記に書いている。

 そのことを、今回発見された大熊信行宛て書簡や雑誌書き込みの新資料は、一層生々しく伝えている。
 志賀直哉との関係については、他の講師が言及するので省略するが、直哉との信頼関係が早い時期から始まっていたことや、志賀も多喜二の文学的才能を認め、雑誌社などへの紹介を心がけていたことなどが明らかになった。

 芥川龍之介との関係については、大熊信行著『社会思想家としてのモリスとラスキン』を仲介として、多喜二との身近な接点が明らかになった。この本の出版を喜ぶ多喜二書簡(2月6日消印)が出された直後、芥川がこの本の贈呈への礼状(2月17日)を大熊に出している。

 芥川の卒論は「ウィリアム・モリス研究」である。しかも、この三ヵ月後の5月20日に、芥川は改造社主催文芸講演会で小樽に行く。その歓迎会の宴会を準備したり、駅まで見送ったのが多喜二であった。大熊信行の話がどちらかから出ていたらと惜しまれる。

 多喜二は、芥川の「一塊の土」の好意的な作品評を覚え書きに記しているが、今回発見の書き込みには、「三右衛門の罪」の心理描写に注目して、「芥川らしい、頭のいいトリックをもって終えてゐる。然し、しっかりしてゐる」と、これも好意的に評価している。

 当時のプロレタリア文学陣営(特に『種蒔く人』同人たち)から、高踏派知識人として冷淡に扱われていた芥川を、多喜二は正当に評価しているのである。

 他にも、多喜二が書き込みをした大杉栄「正義を求める心」のクロポトキン「青年に訴ふ」は「若き日の芥川も感激して読んだものであった。

 多喜二と近代文学との結びつきは深いものがあることを実証した貴重な資料といえる。

<白樺文学館多喜二ライブラリーホームページより>

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「戦後の直哉の心に生き続ける多喜二の像 ― 『灰色の月』前後」伊豆利彦

2010-10-01 22:06:15 | 多喜二研究の手引き
「戦後の直哉の心に生き続ける多喜二の像 ― 『灰色の月』前後」
           伊豆利彦


 「灰色の月」の末尾に「昭和20年10月16日のことである」という日付が記されているのはなぜか。

 当時の日本は食糧不足が深刻で、この冬にかけて多数の餓死者が出ると予想されていた。家も工場も焼かれ、両親も身寄りも失って、餓死寸前の状態で、どこへ行くというあてもなく彷徨する少年工は、敗戦日本の現実を象徴するものだった。戦後2カ月のこの現実を、直哉は歴史に刻みつけて後世に残しておきたかった。政治犯が釈放され、出獄歓迎の人民大会が開かれたのは10月10日、治安維持法が撤廃されたのは10月15日だった。

 この頃、直哉はしきりに多喜二のことを思い浮かべていた。

 この10月16日の朝日新聞には、<小説の報復に拷問><同志作家が語る真相>という見出しで「小林多喜二はこうして殺された」という江口渙の談話が報道されている。1931年11月、きびしい監視の目をくぐって奈良に直哉を訪ね、直哉宅に一泊している。二人が顔を合わせたのは、生涯にこの時ただ一度だけであったが、志賀は多喜二にいい感じを持ち、それを一生忘れることはなかった。多喜二がなくなったとき、直哉は日記に<アンタンたる気持になる、不図彼等の意図ものになるべしという気する、>と書いた。

 多喜二が直哉を訪ねたのは、通り一遍の気持からではなかった。1930年に検挙され、1930年8月から翌年1月まで豊多摩刑務所に収容されたが、獄中であらためて志賀に対する熱い心を回復し、初心にかえって出発し直そうとした。 直哉の多喜二に対する感情もいい加減なものではなかった。

 『文化集団』(1935年11月)に掲載された「志賀直哉氏の文学縦横談」でも「たいへん優れた作家だと思っている。また人間としても実にいい人間だと思っている」と語り、戦後、「定本小林多喜二全集」の推薦文を書いたときにも、多喜二が訪ねてきた時のことを思い起こし、「あんな風に死んだのはそんなことがなければ今でも生きていて、自由に仕事が出来たのにと思うと非常に 残念な気がする」と述べている。

 二人を結びつけたものを生き方の問題、文学の問題として検討したい。


<白樺文学館多喜二ライブラリーホームページより>
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「志賀直哉と小林多喜二の接点 ― 直哉の多喜二宛書簡などを中心に」

2010-10-01 22:04:17 | 多喜二研究の手引き
「志賀直哉と小林多喜二の接点 ― 直哉の多喜二宛書簡などを中心に」
紅野敏郎

一、多喜二は志賀直哉の作品とどのようにむきあったか。
このたび小樽高商在学時代に図書館で多喜二が志賀の「雨蛙」を読みふけり、その所感を初出の『中央公論』に書きつけた部分が発見されたので、そこを摘出、志賀文学と多喜二との接点を検出する。従来の多喜二の初期短編における志賀直哉摂取も含む。

一、両者の交流、とくに志賀が多喜二の作品を評したいわゆる「主人持ちの文学」なる発言について考察する。

一、「志賀日記」に記された多喜二及び母セキへの言及のありようにたちどまって考察する。

一、貴司山治の志賀直哉より聞き取った記録と、滝井孝作の志賀直哉観との対比を試みる。

<白樺文学館多喜二ライブラリーホームページより>
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多喜二につながる人々2

2010-09-19 22:28:56 | 多喜二研究の手引き
石川 三四郎:いしかわ さんしろう▽:Ishikawa, Sanshiro生年:1876-05-23~:1956-11-28

石川 啄木:いしかわ たくぼく▽:Ishikawa, Takuboku生年:1886-02-20~:1912-04-13

今野賢三 いまの・けんぞう 明治26(1893)・8・26~昭和44(1969)・10・18
小説家。秋田生れ。本名賢蔵。高等小学校卒業後、様々な職を経る。大正10年、『種蒔く人』の創刊に参加し文学
活動を開始。短編「火事の夜まで」(大正13)で注目を浴びる。以後、映画批評、演劇活動、労農運動などに邁進。
戦後は秋田の農民運動に参加、『秋田県労農運動史』(昭和29)が高く評価される。他に自伝小説『暁』三部作(大
正13~昭2)など。

岩藤雪夫 いわとう・ゆきお 明治35(1902)・4・1~平成元(1989)・8・28
小説家。岡山生れ。本名俤。大正8年早稲田工手学校機械科卒。職工、船員などを経て、葉山嘉樹の紹介で労農
芸術家連盟に参加。「ガトフ・フセグダア」(昭和3)、「鉄」(昭和4)で脚光を浴びる。労農分裂後は共産主義に共鳴。
戦後は京浜工場地帯に居住し、新日本文学会へ参加、労働・文化運動に尽力。作品に「屍の海」(昭和5)、「歯車」
(昭和23)など。

江馬修 えま・なかし 大正2(1889)・12・12~昭和50(1975)・1・23
小説家。岐阜県高山生れ。斐太中学中退。20歳で上京、人道主義の影響を受ける。『受難者』(大正5)がベストセラ
ーとなり文壇に地位を築く。大震災時に社会主義へ傾倒、渡欧後にプロレタリア作家同盟中央委員となる。昭和7年
弾圧のため帰郷し郷土文化の研究活動に没頭、代表作『山の民』(昭和13~15)を発表。他に『本郷村善九郎』(昭
和24)など。


片岡 鉄兵:かたおか てっぺい▽:Kataoka, Teppei生年:1894-02-02~:1944-12-25



河上 肇:かわかみ はじめ▽:Kawakami, Hajime生年:1879-10-20~:1946-01-30

金子洋文 かねこ・ようぶん 明治27(1894)・4・8~昭和60(1985)・3・21
小説家、劇作家。秋田生れ。本名吉太郎。大正2年秋田県立秋田工業機械科卒。同10年、小牧近江、今野賢三らと
『種蒔く人』を創刊。「地獄」(大正12)により文壇に認められた。一方、『文芸戦線』系の劇作家、演出家としても活
躍。戦後一時期、社会党の代議士となったが、一貫して新派、新国劇の発展に尽した。『洗濯屋と詩人』(昭和2)
他、著書多数。
北 一輝:きた いっき▽:Kita, Ikki生年:1883-04-03~:1937-08-19

木下 尚江:きのした なおえ▽:Kinoshita, Naoe生年:1869-10-12~:1937-11-05

金 史良:きむ さりゃん▽:Kim, Saryan生年:1914-03-03~:1950

久保 栄:くぼ さかえ▽:Kubo, Sakae生年:1900-12-28~:1958-03-15

黒島 伝治:くろしま でんじ▽:Kuroshima, Denji生年:1898-12-12~:1943-10-17

幸徳 秋水:こうとく しゅうすい▽:Kotoku, Shusui生年:1871-11-05~:1911-01-24

前田河 広一郎:まえだこう ひろいちろう
前田河広一郎 まえだこう・ひろいちろう 明治21(1888)・11・13~昭和32(1957)・12・4
小説家。仙台生れ。中学退学後、徳富蘆花の門を叩く。明治40年渡米、貧困に耐えつつ英文小説を発表。大正9年
帰国し「三等船客」を発表、注目される。以後、菊池寛らブルジョア文学を否定するなど左翼文学陣営の雄として活
躍。著書に小説集『赤い馬車』(大正12)、『蘆花伝』三部作(昭和13~23)、翻訳にシンクレア『ジャングル』(大正
14)など


▽:Maedako, Hiroichiro生年:1888-11-13 ~:1957-12-04

ゴーリキー マクシム:ゴーリキー マクシム▽:Gorky, Maksim生年:1868~:1936

堺 利彦:さかい としひこ▽:Sakai, Toshihiko生年:1871-01-15~:1933-01-23

坂口 安吾:さかぐち あんご▽:Sakaguchi, Ango生年:1906-10-20~:1955-02-17

里村 欣三:さとむら きんぞう▽:Satomura, Kinzo生年:1902-03-13~:1945-02-23

島木 健作:しまき けんさく▽:Shimaki, Kensaku生年:1903-09-07~:1945-08-17

島崎 藤村:しまざき とうそん▽:Shimazaki, Toson生年:1872-03-25~:1943-08-22

田口運蔵 たぐち・うんぞう 明治25(1892)・5・1~昭和8(1933)・12・26
社会主義者。新潟生れ。二高中退後、海外を放浪。大正7年アメリカに渡り片山潜に親炙。同9年に在米日本人社会
主義団を結成、翌年のコミンテルン第3回大会に日本代表として参加。ソビエト代表ヨッフェの来日に尽力。同12年、
日本共産党機関誌『進め』主幹。昭和期は肺結核に苦しみ、執筆活動に終始。著書に『赤い広場を横ぎる』(昭和5)
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