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「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

期待高まる9/5「伊勢崎・多喜二祭」への関心

2010-08-22 18:23:42 | 各地多喜二祭情報

多喜二拘束事件、思い起こして 伊勢崎で講演など

「朝日新聞」2010年8月22日

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プロレタリア作家の小林多喜二=1931年ごろ東京で撮影

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旧菊池邸の前に立つ長谷田直之さん。多喜二らはこの庭で拘束された=伊勢崎市北千木町

 「蟹工船」で知られるプロレタリア作家小林多喜二(1903~33)が思想弾圧が厳しくなっていた1931(昭和6)年、伊勢崎署に拘束され、詰めかけた民衆の力で釈放された。舞台となった伊勢崎市などで、事件を思い起こすイベントが行われる。今年4月に亡くなった作家井上ひさしさんが多喜二を描いた戯曲「組曲虐殺」に関する講演をメーンに、来月まで随時開催される。

 イベント「伊勢崎・多喜二祭」を主催する同実行委員会によると、事件は同年9月6日に起こった。多喜二は、プロレタリア作家中野重治らとともに、旧茂呂村在住の菊池敏清ら左派青年に文芸講演会の講師として招かれ来県。現在の伊勢崎市北千木町にある菊池邸に20~30人ほどの青年らと集まっていたところ、トラックで乗り付けた伊勢崎署員にほぼ全員拘束された。

 これを知らされた講演会の聴衆らは、500人ともいわれる人数で署に詰めかけ、署員と乱闘。署員全員が署から退去する事態となり、当局側が翌日多喜二らを釈放した。

 治安維持法のもと思想が厳しく取り締まられていた当時、当局が民衆に屈することはほとんどなく、講演会主催者の1人で拘束もされた菊池邦作(故人)も「戦争前としては常識上ちょっと想像もできないような珍しい事件」と回想している。

 「多喜二祭」は、多喜二没後75年となった2008年に初めて開催。今年は、当時の司法省の内部資料のうち、事件を記した部分も、証言や当時の記事とともに冊子にまとめた。実行委の塾講師、長谷田直之さん(54)は「この史料で、語り継がれていただけの事件の真実がさらにはっきりした」と話す。

 事件に合わせ来月5日にあるメーンの講演会は、井上ひさしさんの最後の戯曲となった「組曲虐殺」について、30年以上多喜二文学を研究し、ひさしさんの友人だったフェリス女学院大の島村輝教授(日本近現代文学)が話す。

 戯曲の中で多喜二は「あとにつづくものを信じて走れ」と歌う。長谷田さんは「全国的にも知られていないこの事件を知ってもらい、残していきたい」と話す。(木下こゆる)

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多喜二を奪還せよ!! (毎日 8/19)

2010-08-19 19:22:23 | 各地多喜二祭情報
多喜二祭:「奪還事件」を後世に--伊勢崎で21日から /群馬

 プロレタリア文学の代表作「蟹工船」を著した小林多喜二(1903~33)をしのぶ「第3回伊勢崎・多喜二祭」が21日から、多喜二ゆかりの伊勢崎市などで始まる。多喜二は1931年、講演で訪れた同市で当時の伊勢崎署に身柄を拘束されたが、市民約500人が署を包囲して釈放を実現させた。この「多喜二奪還事件」を後世に伝えるための催しで、同実行委の長谷田直之事務局長は「群馬でも労働運動が高まり、多喜二を支える地盤があったことを多くの人に知ってほしい」と話している。【奥山はるな】


 実行委によると、31年9月6日、「全日本無産者芸術連盟(ナップ)」会員で、旧茂呂村(現伊勢崎市)在住の菊池敏清氏(1908~94)らが、多喜二や中野重治氏(1902~79)を招いての文芸講演会を企画。同日午後1時ごろ一行は菊池家に到着した。多喜二は菊池家での茶話会で「台所と文学」と題して1時間ほど講話し、同6時からの講演会前に夕食を取った。

 菊池氏の親せきで、夕食に居合わせた菊池正さん(88)によると、多喜二はミョウガを卵でとじた汁を「うまい」と言って食べ、正さんに「将来は何になる」と尋ねた。正さんが「貧乏人を助ける弁護士になりたい」と答えると「そうか」と言って笑ったという。正さんは当時、小学3年生だった。

 講演会の約1時間前の午後5時過ぎ、菊池家に警察がトラックで乗り付け、茶話会を「無届け集会」として多喜二らの身柄を拘束した。これを知った約500人が同署を包囲し、翌7日未明、多喜二らは釈放された。

 釈放の条件は、一連の出来事を公にしないこと。多喜二は1年半後の33年2月、特高警察の拷問を受け29歳で亡くなった。

 ◇公開講座や講演も
 伊勢崎・多喜二祭は21日から長谷田事務局長によるプレ公開講座が計4回開かれ、9月5日には伊勢崎市文化会館で、多喜二研究で著名な島村輝・フェリス女学院大教授が「小林多喜二と井上ひさし『組曲虐殺』をつなぐもの」と題して講演する。

==============

 第3回伊勢崎・多喜二祭の日程は次の通り。

 ◆プレ公開講座「多喜二奪還事件-伝説から史実へ」

21、29日=伊勢崎市今泉町2の絣の郷

22日=前橋市大手町3の県庁昭和庁舎

28日=高崎市東町の労使会館

 内容はいずれも同じで午後1時半から。資料代300円。

 ◆菊池敏清邸の現地見学と講演会

 見学会は9月5日午前11時、伊勢崎市北千木町の同邸。要予約。講演会は同日午後2時、同市昭和町の市文化会館。「小林多喜二と井上ひさし『組曲虐殺』をつなぐもの」。共通前売り券1000円、当日券1200円。

 問い合わせは、長谷田事務局長(070・5458・7225)へ。

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10月30日奈良「小林多喜二と志賀直哉の交流を探る」文学講演会 (御影暢雄)

2010-07-09 07:44:02 | 各地多喜二祭情報
10月30日文学講演会 (御影暢雄)
2010-07-09 04:13:30


 《10月30日(土)企画の内容》

 10:30~志賀直哉邸にて、島村輝先生解説による見学会。
        1F白樺サロンにて解説。
 14:00~奈良基督教会シオンホールにて、
        文学講演会「『蟹工船』小林多喜二と志賀直哉の交流を探る」。
 奈良の女性木管楽器演奏グループ・カレイドセステット
        演奏:「折れば良かった」
           「アンダンテ・カンタービレ」
           「日本童謡メドレー」

 
*文学講演会の参加協力券(1000円)は8月より取り扱います。
   詳しくは、
       shoujikanzaki@hotmail.co.jp
         にお問い合わせ下さい。

       150人定員。
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第3回伊勢崎・多喜二祭の概要決まる

2010-06-02 00:19:56 | 各地多喜二祭情報
第3回伊勢崎・多喜二祭の概要決まる!記念講演は島村輝氏に!

伊勢崎・多喜二祭実行委員会は、9月5日(日)午前11時より故菊池敏清宅の現地説明会、午後2時より伊勢崎市文化会館で記念講演をすることを決定しました。

記念講演はフェリス女学院大学教授の島村輝氏です。

さらにプレ企画として、プレ公開講座を伊勢崎・前橋・高崎で行うことに決めました。

現在伊勢崎市・群馬県の他に上毛新聞、朝日新聞、NHK、群馬テレビなどに後援申請をおこなっています。
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道南多喜二・山宣会開催報告(akio)

2010-05-23 20:58:56 | 各地多喜二祭情報
道南多喜二・山宣会盛況!! (akio)

 2010-05-23 19:00:05  

こんばんは♪  

5月22日函館市に於いて「道南多喜二・山宣会」設立総会と記念講演・音楽の夕べが100名を超える参加者で盛会のうちに開催されました。

 設立総会では、集会に寄せられたメッセージ5団体が紹介されたあと、役員の推薦・規約の承認が行われ大きな拍手のもと承認されました。

  特に規約(行動要綱)では、一年に「一回」は集会を開催することを確認しました。
 
 会長には、斉藤幹雄(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟道南支部長)を選出しました。
 
事務局長には、大田正春(宇治山宣会会員)。副会長2名・事務局次長・幹事3名・監事2名を選出し今後の活動の奮闘を確認しあいました。

 「多喜二」を冠にした「会」は北海道で始めてです。「山宣」を冠にした「会」は全国で6番目です。
 「多喜二・山宣」の2冠は、全国で始めての事です。  会長の斉藤さんから、「会の発足を心から喜んでいます。

戦前弾圧された大衆は、無名戦士なんです。
普通の生活を送りたいと願って主張した人たちです。

・・この立場から自分の人生を見据えこれからの奮闘を宜しくお願いします。

・・函館市議会でも『国家賠償要求意見書』が可決されました。奮闘いかんでは政治は変わっていきます。・・」の挨拶がありました。

 宮田 汎(ヒロシ)さんの記念講演「多喜二と山宣~北海道とのかかわりで~多喜二と山宣から私たちはどのようなメッセージを受け取るべきか。」と題して講演されました。

 山宣の略歴・多喜二と田口瀧子との出会い、真の解放(女性)に努力したこと。
 第一回普選での山宣・多喜二選挙活動。3・15事件で逮捕獄死した函館3人(鈴木治亮・斉藤金市・森永哲次)について語られました。
 「この人たちは、獄死しどこかで焼かれ無縁仏として、どこかに雑多に置かれている。
命日に私たちが線香をあげたくても、どこに向かっていいか解らない。・・」との講演に会場が一瞬ドヨメキました。

  音楽の夕べ♪  
 ♪うたう会「きずな」の皆さん(女性11名)が「二月」(作詞:O・M 編詞:きずな 作曲:ケイシュガー)をアカペラで歌い大きな拍手を受けました。

 ♪ケイ・シュガーさんは、冒頭「ウイシャルオーバーカム」で会場にスキトオール素晴しい声量で、ドッカンと参加者を魅了しました。 

♪「語り」(韓国訪問のこと・ベトナム=ベトちゃんドクちゃん:母)を交えて、「一本の鉛筆」・「YMASEN」・「多喜二へのレクイエム」を歌い、最後に『地域労組おおさか10周年テーマソング』の「ひとりひとりがHERO」を歌って盛会のうちに終了しました。


  道南多喜二・山宣会 2次会 (akio)
 2010-05-23 19:29:08

追伸:集会終了後。事務局長の「絆」の家で「懇親会=会費制」を開催しました。
(新鮮な海の幸?会員に魚屋さんがいるんです?函館の私もウマイ!!:ケイさんのポッペが落ちていたように思います。)
 ♪ 宮田汎さんからは、(るもい)さんからの要望が話されました。
 ♪ 宮田さんは、北海道での治安維持法の犠牲者の全貌を調査する決意を語られていました。
 ♪ 私は、(「東倶知安行」の位相に就いて史実をもとに語っていたようです) 
 ♪ 私は、1930年2月に多喜二が逗留した「昆布温泉」の旅館名を資料を基に特定して、参加者に入浴を勧めていました。  

 本日(23日)は、宮田汎さんケイさんと「函館文学館」で開催されている『啄木と大逆事件』を案内し学芸員から説明を受けました。一時間半程でしたが時間が足りなくて残念でした。
  ♪ 私は「朝野昭夫=小林多喜二研究者」として幹事に選出されました。 
  ♪ これからもガンバリます(^.^)
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「第9回阪神北小林多喜二祭 発足10周年記念」開催

2010-03-06 23:29:38 | 各地多喜二祭情報
「第9回阪神北小林多喜二祭 発足10周年記念」開催



栃木県日光市から駆けつけた“田中ケイ子”さんが「多喜二の母 セキのひとり語り」を演じた。
「こんばんは。77年前、プロレタリア作家、多喜二が29歳の若さで虐殺されました。愚痴ば聞いてもらいたくて、やってまいりました」から始りました。
「ほれ、多喜二もう一度立ってみせねか! みんなのために、もう一度立ってみせねかーっ」とも。


第2部は、アコーディオン演奏と「みんなで楽しく歌いましょう」という演出で、「早春賦」、「カチューシャ」、「山のロザリア」、「青い山脈」などを歌い挙げて、参加者みんな晴々しく満足の集いとなった。
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多喜二が提起したのは世界共通の課題

2010-03-03 09:54:48 | 各地多喜二祭情報
多喜二文学 新たな視座
「朝日新聞」秋田 2010年03月02日


 弱い者、貧しい者の立場から社会の矛盾を描き続けた作家小林多喜二をめぐり、国内外の研究者たちが多彩な読み方を提示し始めた。県立大の教授は多喜二の思想と生まれ故郷・大館との深いつながりを考察。今月は米国の教授が秋田市や大館市で講演し、多喜二文学の先進性と21世紀に読む意義を語りかけた。没後77年を迎え、今なお新たな読者層を獲得している多喜二文学。多面的な魅力の今を紹介する。(江川慎太郎)

■先見性世界レベル/米シカゴ大・フィールド教授

 多喜二の命日にあたる2月20日、秋田市で開かれた秋田県多喜二祭に、米国シカゴ大学のノーマ・フィールド教授が講師として招かれた。

 1947年生まれで、日本文学と日本文化を専攻。評伝「小林多喜二―21世紀にどう読むか」(岩波新書)を昨年、刊行した。この評伝は、「政治と文学」という旧来の枠組みから多喜二文学を解き放つ斬新な読み方を示し、注目を集めている。

 約200人を前にした講演の中で、フィールド教授は「蟹工船の中で多喜二さんは、目の前にいる鬼の監督が敵なのではなく、帝国海軍や世界の資本家こそが敵なんだと描いている。現在いわれているようなグローバルな視点での分析が、1920年代の日本人によってすでに行われている」「日常的な労働がすでに殺しであるという労働者の感覚が表現される場面が出てくる。戦後の高度成長期やバブル時代、過労死に追い込まれた人がたくさんいた。現代に通じる労働の実態を80年前の小説で展開している」と多喜二の先進性を指摘した。

 その上で「一番に救うべき対象の人たちが、時間的、経済的な問題が壁になってしまい、救うための運動に参加できない。現代社会と同じ矛盾を、すでに言い当てている点がすごい」と21世紀に多喜二文学を読む意義を強調した。

 取材に対し、フィールド教授は「多喜二さんの文学は、誕生したときに、すでに世界文学のレベルに達していた」と語った。「それが戦後の経済的な繁栄の中で一度、忘れられた。そして今、再び強い関心を集めている」

 評伝で「たとえ今のブームがつかの間のものであっても、あなたは何度もよみがえる必要があるでしょう」とつづったフィールド教授は、講演で最後にこう呼びかけた。「人間にふさわしい、あるべき命を考えること。どんなささいな行為であっても実践に移していくこと。それが、多喜二さんが私たちに投げかけ続けている問いではないか」

■思想の源泉故郷大館/県立大・高橋教授

 多喜二における思想と故郷のつながりという視点から研究しているのは県立大の高橋秀晴教授(日本近現代文学)だ。「多喜二の文学には一貫して弱い者、貧しい者、差別されている者への共感が流れている。温かい視線の源泉は、母親から聞かされた生まれ故郷での貧しい暮らしにある」と指摘する。

 厳寒のカムチャツカ沖で過酷な労働に苦しみ、連帯して立ち上がる人々を描いた「蟹工船」は「おい、地獄さ行(え)ぐんだで!」との一言で始まる。これを高橋教授は「秋田弁に間違いない」とみる。蟹工船に乗り込む労働者たちが語り合う場面では一人が「北秋田だんし」と自らの出身地を紹介する。また威張る船頭に向かって、男が「手前え、何んだ。あまり威張ったことを云(い)わねえ方がええんだで」と「秋田弁」(高橋教授)で怒鳴る場面もある。

 弱い者、貧しい者が使う言葉に秋田弁が用いられている点に高橋教授は注目する。「貧しい暮らしを送った生まれ故郷に対する深い思い入れがあったのだろう。育った小樽は大きな港湾都市だ。様相の大きく異なる二つの故郷を持ち、意識したことで、多喜二は社会の矛盾を深く洞察することが出来た」と語る。

 例えば、小樽で執筆した初期作品に、一人の生徒が先生からの問いに秋田弁で答えたところ、ほかの生徒たちはおろか先生からも笑われる場面がある。「多喜二が感じた劣等感、疎外感が具体的に表れている。これらの感情が多喜二の思想に大きく影響した」

 小樽商科大出版会が昨年、発行した論文集「多喜二の視点から見た〈身体〉〈地域〉〈教育〉」は高橋教授の「潜在する原体験―多喜二にとっての生地秋田」を収めている。前年に日本をはじめ米国や韓国、中国の研究者を集めて英国オックスフォード大学で開かれた多喜二の国際シンポジウムをまとめた一冊だ。

 21世紀の今、世界規模で論じられていることについて、高橋教授は「多喜二が提起したのは世界共通の課題で、いまだ解決されていない。多喜二の研究は、これからも新たな地平を切り開いていくだろう」と話した。

■キーワード■

 小林多喜二 1903(明治36)年、下川沿村(今の大館市)に生まれる。4歳で家族と一緒に、伯父のいる北海道の小樽に移住。小樽高商(今の小樽商科大学)を卒業後、北海道拓殖銀行に入る。29年に「蟹工船」や「不在地主」を発表、この年、プロレタリア文学の執筆がもとで銀行を解雇された。30年に上京、作家活動を続ける。33年2月20日、特高警察に治安維持法違反の疑いで逮捕。築地署で拷問を受け、虐殺された。代表作「蟹工船」は近年、ワーキングプアと呼ばれる現代の労働者との類似性が若者らを中心に再び共感を集め、読者層が広がっている。
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漫才「蟹工船」 動画で配信(未来)

2010-02-28 21:26:06 | 各地多喜二祭情報

大阪多喜二祭での漫才「蟹工船」 動画で配信

 
 大阪多喜二祭で披露された漫才「蟹工船」が動画で配信されています。関心のある人は、下記のサイトでダウンロードして拝見ください。
 http://www.shimizu-tadashi.jp/
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2/27神奈川多喜二祭が開催された

2010-02-28 09:19:45 | 各地多喜二祭情報
神奈川七沢・多喜二祭2010年2月27日

2月27日、第9回神奈川七沢・多喜二祭が、伊勢原市民会館で開かれ、多喜二と同時代の川柳作家を描いた映画『鶴彬(つるあきら)こころの軌跡』も上映された。

同祭には、24日夜のNHK「歴史秘話・ヒストリア」の番組で小林多喜二がとりあげられ、そのなかで多喜二が「オルグ」を執筆するため逗留した旅館七沢温泉・福元館が登場したことこともあって番組に出演した福元館の女将さんも同祭に参加するなど多くの人が集まった。

元共産党神奈川県委員長でプロレタリア文学研究家の相原進さんが主催者あいさつ。
そのなかで、多喜二が逗留した「離れ」の修復・保存のため、募金にとりくんできたことを報告。

また、記念講演に立った作家の田島一さんが、多喜二の作品にふれ、自身がいま派遣切り問題で小説を執筆していることを紹介しました。
「バラバラにされた労働者のつながりをとりもどすために、何ができるか」と考え、『蟹工船』を書く決意をした多喜二。
会場には多喜二のデスマスクが展示された。
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2/25 中野ゼロホールでの多喜二祭8

2010-02-27 16:17:01 | 各地多喜二祭情報
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記念講演 能島龍三(作家)「多喜二・その生き方と文学」その8

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2/25 中野ゼロホールでの多喜二祭7

2010-02-27 16:16:21 | 各地多喜二祭情報
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記念講演 能島龍三(作家)「多喜二・その生き方と文学」その7

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2/25 中野ゼロホールでの多喜二祭6

2010-02-27 16:15:40 | 各地多喜二祭情報
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記念講演 能島龍三(作家)「多喜二・その生き方と文学」その6

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2/25 中野ゼロホールでの多喜二祭5

2010-02-27 16:13:53 | 各地多喜二祭情報
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記念講演 能島龍三(作家)「多喜二・その生き方と文学」その5

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2/25 中野ゼロホールでの多喜二祭4

2010-02-27 16:12:58 | 各地多喜二祭情報
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記念講演 能島龍三(作家)「多喜二・その生き方と文学」その4

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2/25 中野ゼロホールでの多喜二祭3

2010-02-27 16:11:57 | 各地多喜二祭情報
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記念講演 能島龍三(作家)「多喜二・その生き方と文学」その3

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