見島人(Mishiman)


山口県最北端・・萩市見島の住人~ふるさと日記。

見島のいいところ!!

2014年02月10日 | 日記

今日は、おおしけになりました。ミゾレまじりの強い風が容赦ないです。当然船も欠航です。お休みです。

関東周辺以北は比較にならないほどの荒れ模様で大変です、都知事選は開けてみれば無風!?

わたしは、機会あるたびに見島の良さを島外の方に言ってきました。この場を借りても。

ここは、周りに遮るものがないから、電波状況バツグン、九州、山陰、中国(広島)放送まで網羅できたりしてたんですよ。

気候も人も温暖、食べ物も美味しいし大きな災害や事故もなく、ゆったりのんびり気楽に生活できるところ。

どんな田舎であっても、「ふるさと」を悪く言う人は居ないで欲しいし、居ないんじゃないかと思います。

「あのふるさとへかえろかな」の歌詞、郷愁心があるかぎり、ふるさとも救われます。

盆や正月、「やっぱ見島にいぬるから」が、待ち人にも生き甲斐です。

近頃は、島外の「孫さんたち」に見島好きが増えてるような。休みならもっと他にと思うのに、「見島大好き!」だとか。

祖父母も遊び相手する余裕があり、孫は可愛い。親も手間が省け、いい田舎教育もしてくれます。多少甘やかしはあるけど。

さて、見島の田舎なれどもの他に「いいとこ」とは、土地柄からの人間性、内面の話をしたいと思います。

現在社会では、「個人情報」、プライバシー保護やコンプライアンスだとかの観点から、人と人の交流も前より難点もあります。

ここ見島にずっと住んでる人は、はっきり言ってとてもみな親切でこの上なしと、一歩下がってもそう思います。

見島の方言で「いんじゅもん」という多分、因循(いんじゅん)から来た、思い切りが悪くぐずぐずしているとか引っ込み思案なさま、

だろうと思える言葉があります。いい形容ではないのですが、ここに見島人のシャイで遠慮深い、素朴味が含まれていると思っています。

いんじゅもんだけど、世話やきで逆にお節介すぎる程とか。噂話の広がりの早さとかは、話題が少ないせいの他人を気遣っていることです。

まあ良しとして、一度親しく交流できた方をずっと大事にし、必要以上に面倒もよく見て上げます。

極端な話、菓子折ひとつで来ても帰りの土産には、ありったけの見繕いをしています。相手は「恐縮」。

むかし、島の借財に全島をあげての返済協力もありました。人の良さも災いしたと反省部分有りかも?

狭い島でも後に親類関係が実ってきたのですが、それぞれは生い立ちのちがう集まりでした。

個々にから、お互い助け合う協力し合うが島の中で大切な生活法というか、それが当たり前になったのでは。

今はほとんどないが、家を建て直す際の解体・棟上や葬儀に墓穴を掘るとかには、島を上げての行事でした。

冗談抜きで、百人もの手伝いする人が来たものです。女性陣も飲ませ食わせに大忙しでした。

人手がいるのに手伝いをする、また自分もその時が来る、当たり前・お互い様の精神がいい伝統なんですわ。

道行く人それぞれが会釈を交わし、笑顔で通る姿はほほえましく、自慢できます。

田舎ならずとも過疎の波は日に日に強くなりました。ここも全盛期の三分の一に人も減っています。

静かにのんびりと余裕ある時間を過ごす。用が有れば船で外に出ればいい。そしてまた、戻って来る。

繰り返しますが見島は、島も人も温かい、風が吹き海が荒れる日も当然あります。しかし、人にまで及ぶ災害のないところです。

住むのに大変な離島のように思われますが、『住めば田舎も都』なりなのです。

 

              ここまで、わたし個人の見解です。みなさんで如何様にもご判断くださいませ。

      

                                         【 横浦海岸  曲がり角】

           

 

           ◎ 熟熟余談(つらつらよだん- 本日の日めくり 四字熟語 )

       「 明鏡止水 」(めいきょうしすい) : 邪念がなく、澄み切って落ち着いた心の形容。▽「明鏡」は一点の曇りもない鏡のこと。                                               

                              「止水」は止まって、静かにたたえている水のこと。「鏡」は「けい」とも読む。

             

                     〔明鏡止水の境地?〕

                           

                                                  (資料映像)